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琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】はるか南の海のかなたに愉快な本の大陸がある ☆☆☆☆


はるか南の海のかなたに愉快な本の大陸がある

はるか南の海のかなたに愉快な本の大陸がある

内容(「BOOK」データベースより)
学術本―それはエンターテインメントの宝庫だった。日本史、世界史から、民俗学に地誌学、はては宇宙論まで真剣なのになぜか楽しい、ボケてないのに面白い。宮田珠己がおくる脱力エッセイ的ブックガイド。


 世の中には、まだまだいろんな本がある。
 この本、旅行エッセイスト(という紹介で良いのかな)の宮田珠己さんが、古今東西の「『未知の世界を伝える』目的で、著者が真面目に、学術的に書いたはずなのに、結果的に『面白本』『不思議本』になってしまった本の数々について紹介したものです。
 僕はこれを読みながら、「ああ、椎名誠さんが旅先のテントの中で読んでいるのは、こういう本なんだよなあ」と思っていました。
 もともと連載されていたのは『本の雑誌』ですし、宮田さんも椎名誠さんの影響についてはかねがね口にされていますから、椎名誠さんの冒険エッセイ好きの人も、愉しめるんじゃないかな。


 それにしても、世の中にはまだまだ僕が知らない本がたくさんあるなあ、と(当たり前のことなんですけど)。


 文化人類学者のベルトルト・ラウファーさんの『キリン伝来考』(福屋正修訳/ハヤカワ文庫)の項には、こんな話が出てきます。

 そしてわれわれ東洋人に興味深いのは、なぜキリンが麒麟と訳されたかということだろう。キリンビールのラベルを見てもわかるが、中国の古代神話における伝説上の生き物である麒麟は、キリンとちっとも似ていない。
 実は、1414年に、ベンガル王の使節が明の永楽帝を訪問した際、貢物としてキリンがもたらされた。古来、伝説の麒麟は有徳の支配者の治世下にしか出現しないと考えられていたから、臣下が言わば皇帝へのごますりとして、これを麒麟と命名した。というような経緯があったらしい。

 僕はあまり疑問に感じたことはなかったのですが、確かに、キリンビールのラベルに描いてある生物と動物園にいる「キリン」って、全然違いますよね。
 しかし、その名前のルーツが「皇帝へのごますり」だったとは……
 

 また、中城忠さんの『かくれキリシタンの聖画』という本の項には、こう書かれています。

かくれキリシタンの聖画』で紹介されている図版のほとんどは、掛け絵と呼ばれ、文字通り軸に張って壁に掛けて祀るご神体である。かつては納屋の隅などに目立たないように置かれていた。多くの場合、一見してキリスト教の絵だとわからないように、わざと描きかえられているのが特徴だ。
 たとえば洗礼者ヨハネの掛け絵をがあるのだが、ヨハネ、ちょんまげである。
 ここだ。ここで、私はつい吹き出してしまったのだ。しかも着物を着て、椿の柄なんかが入っていたりして、どう見てもヨハネというより、与平という感じである。


(中略)


 さらによく見ると、絵の変容の理由はカモフラージュだけではないこともわかってくる。たとえば受胎告知を描いた絵。ゼウスが、大天使ガブリエルをマリアのもとへ遣わす場面だが、どういうわけかマリアはもう幼子を抱いている。受胎を告知しているのだから、キリストはまだ生まれていないはず。キリストにはお兄さんがいたのだろうか、というと、そうではない。
 これはつまり、この絵を描いた人物が、絵の意味をすでに忘れてしまっていたということなのだ。
 ほぼ二百五十年という長い間、外部との接触もないままに孤立し、教義を文書化することにも用心深くなっていた彼らは、時を経るにつれ、本来のカトリックの教義を見失っていった。その結果、明治になってカトリックの布教が許されたとき、教会側から、それはカトリックではないと批判されたほどの変容を遂げてしまう。


 幕府の弾圧から逃れ、隠れて信仰を守っていった結果、どんどん本来の教義とはかけ離れたものになってしまったのか……
 でも、それを「違う」と否定するのであれば、「教え」とは一体何なのか?
 なんだかとても、せつない話ではありますね。


 宮田さんが「石」の魅力について語りまくる項などもあって、置いていかれる感じもするのですが、40代の僕としては、なんだかわかるといえばわかる。
 昔は全く興味がなかった「建築」も、最近になって面白そうだと思えるようになってきましたし。

 誰かに聞いたんだか読んだんだか、男が興味を持つ自然は、子供のときは虫で、それがだんだん動物になり、やがて植物に移り変わり、最後は石に行きつくのだそうだ。自分自身の体に対応して、素早く動くものから、ゆっくり動くもの、全然動かないものへと変化していくのだろうか。

 逆に、「なんで子供の頃って、あんなに平然と虫を捕まえて遊んでいたのだろうか?」と、疑問になってしまうんですよね、今は。

 
 僕自身は、このエッセイ集で紹介されている本をそんなにたくさん読む機会はないと思うのだけれど、まだまだ世の中にはこんな不思議な本の世界があるのだな、と教えてくれる、愉しい「ブックガイド」だと思います。
 ほんと、宮田さん、よくこんな本を、これだけたくさん探して読んでるよなあ。