琥珀色の戯言

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【読書感想】新宿遊牧民 ☆☆☆☆


新宿遊牧民 (講談社文庫)

新宿遊牧民 (講談社文庫)

内容紹介
おうい、みんな遊ぼうぜ!作家、居酒屋店主、広告マン、編集者、カメラマン。彼らはもとは別々の小川たちだった。新宿の星空に集まってきた、本気で遊ぶ男たち。
名作『哀愁の町に霧が降るのだ』『わしらは怪しい探検隊』などに続く、椎名誠の人生遊び日記にして、あたらしいバカ小説。
本の雑誌社をともにつくった昔からの仲間たち、にっぽんびゅんびゅん紀行シリーズで出会った大食漢たち、本当に美味しい生ビールを出してくれる、夢をかなえた愛すべき居酒屋。人生は小川が集まってできるのだ!

ああ、なんだか椎名誠さんの小説を久々に読んだなあ。
僕が椎名さんの作品を読み始めたのは、大学に入ったときくらいで、『哀愁の街に霧が降るのだ』を「面白い、面白い」と、ずんずん読んでいたような記憶があります。
文化系インドア人生を送ってきた僕にとっては、椎名さんのような人生は、「憧れても届かない星」みたいなものだったのですが、なんというか「ああ、男らしいって、椎名誠みたいな人のことを言うのだろうなあ」とは、ずっと思っていたんですよね。


椎名さんは、『哀愁の街に霧が降るのだ』から、『銀座のカラス』『本の雑誌血風録』など、「自伝的な(というか、自伝そのものですね、登場人物もほとんど実名だし)小説」を断続的に書かれているのですが、この『新宿遊牧民』もそのシリーズのひとつ、いま書かれているものなかでは、いちばん最近の時代にあたります。


この本を読みながら、僕は「ああ、椎名さんも、もう60代後半なんだよなあ」なんてことを、何度か確認せざるをえませんでした。
もう亡くなってしまった人たちの話も、少なからず出てきますし。


そして、僕が椎名さんの作品を読み始めた20数年前に比べると、世の中も、僕自身の感じ方も、だいぶ変わってきてしまったことも痛感しました。


たとえば、主要登場人物のひとりに対する、こんな描写。

 西沢は今の本人からまったく容易に想像できる無思慮な問題児で、授業中にあちこち歩き回る。心配した母親が落ち着かせるために書道を習わせたらどうか、と書道教室に入れると、墨汁を周囲の友達にべたべた塗りまくってかえって問題を大きくしていった。その西沢が今になって初めて「あれは悪かった」と責任を感じているいたずらに「雑草食わせまくり事件」がある。クラスで一番おとなしい男の子に学校の帰り道、道端の草をいっぱい食わせて腹痛をおこさせ入院させてしまったのだ。雑草にはトリカブトなんかもあるから入院だけで済んでよかったと思うべきだろう。冗談をいっちゃいけないが、本当に「道草を食わせて」しまったのだ。
「なんと言って草を食わせたんだ?』
 おれは聞いた。
「牛さんも馬さんも草をおいしいおいしいって食べてるだろう。だから大丈夫。栄養になるんだよ」と言って食わせたらしい。そう言っておいて自分は食わないんだからひどい奴だが、牛さんや馬さんと同じ気になって草を食べてしまった相手の子もやや問題があるんじゃないかと、まあそんなことを今さら心配してもしょうがないのだけれど。

……なんというか、椎名誠さんに憧れている一面で、やっぱりこういうのを読むと、椎名さんはもう「いまの時代の作家」とは言えないではないか、とも感じるんですよね。
「もう70近い人だから、しょうがないんだけど」って、「いじめられる側」だった僕は、苦々しく思いながら読みました。
そんなの「牛さんや馬さんと同じ気になって」食べたわけないだろう、と。
怖いから、仕方なく食べたに決まっているのに。


ああ、こういうのって、20年前は、あんまり気にならなかったんだけど……


この本、「椎名誠の歴史」に詳しい人が読まないと、何が何だかよくわからず、「ヒロシっていう人が、とにかくやたらめったらご飯を食べて、太田トクヤさんが事業を成功させていく話」としか読めないと思います。


椎名さんや周囲の人たちへの予備知識を持って読んでいると、なんというか「大人どうしのつながりの美しさ」みたいなものが散りばめられていて、すごく心地よいんですけどね。


太田さんの店『池林房』に勤めていた名嘉元さんが独立するときの話。

 さっそく生ビールを飲んでいると太田がそばにやってきて、「やがて名嘉元が店を持つかもしれないんですよ」と、笑い顔を見せた。
「じゃあ店長やめちゃうの?」
「いや、そんなにすぐということじゃないんだけれど、本人がそう希望しているので」
「じゃあ暖簾わけかあ」
「暖簾はわけないけど、独立というコトで、いまどういう店にしたらいかやつと相談していたところで……」
 太田はいろいろ面倒見のいい男だったが、ここまでココロが広いやつなのか、と驚いた。しかも太田は「独立するなら、この『池林房』により近いところに作ったほうがいい。この世界ではまるっきり知らないところで店をやるのはけっこう大変だから」と言うのである。
「偉いよトクちゃん、ココロが大きいよ」
「いやまあ、ぼくもそうやっていままで修行してきた居酒屋のオーナーに言われてきたからね」

近くに店ができれば、当然、ライバルになるはずなのに、この懐の広さ。
椎名さんの作品に出てくる人たちには、こういう「人と人とのおおらかなつながり」があるんですよね。


この本の「解説」は、この感想の最初に紹介した「草を食わせた男」西沢さんが書かれているのですが、この西沢さんの「椎名誠観」は、非常に興味深いものでした。

「出会いってのは偶然じゃなくて必然」とシーナさんは言う。念ずれば通ず、と解釈しているが、いま集まっている「必然の男ども」はホントーに気持ちのいい連中だ。これにはシーナさんの審美眼とでも言うべきものがあって、ある時シーナさんがこんなことを話してくれた。
「おれはさ、講演会やらイベントやらで、とにかくヒトと会うことが多いじゃないか。年間何百人、何千人と会うわけだ。そんななかで、”あー、こいつはいいな”という男はそんなに多くいるわけじゃなくて、だからおれが”いい”と思う男はホントにいい、ってことなんだよ」

 もうひとつ、我らバカなのだけど、シーナさんと共にすると、どんどんココロは澄んでいく。「シーナマコトの浄化作用」と言うべきものがあって、シーナさんは友の悪口を絶対に言わない。言うとしたら本人の目の前で。シーナさんは、ヒトとヒトと比べて無用な批評などしない。バカの多様性を認め、おおらかに構える。そんなだから我ら下の者どもがつまらない悪口を言い合ったり仲間を排除するようなこともない。わしらみなバカですけど、シーナさんの作用でココロはみんなピュアになっていくんですわ。痛快で爽快な遊びだからいつも一緒にいるのが心地よくて、どうしたって結束も固くなる。

正直、ボクにとってのシーナさんの言葉の受け止め方は、前述したように「ずっと同じ」ではないのだけれど、やっぱり、憧れの人ではあるのです。
「友の悪口を絶対に言わない」「ヒトとヒトを比べて無用な批評などしない」
そういう人間であって、周囲も「この人はそういうことをしない」と確信できる人って、そうそういないと思うんですよ。
ビジネス書をどんなに読んでもわからない「生き方の参考書」として、いまの時代も、椎名誠は立ち続けているのです。

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