琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】失踪願望。 コロナふらふら格闘編 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

シーナ、78歳。よろよろと生還す。

後遺症、進む老い、進まない原稿、募る一方の失踪願望……
サイアクときどきサイコウの、ある1年の記録。

新型コロナ感染後、生死をさまよい退院するも、しつこい後遺症に悩まされる日々。旅には出られず、友と生ビールは遠く、自らと向き合えば今までと何かが違う──。
若き頃から抱える“失踪への衝動”を携えてシーナが放つ、パンデミック下の1年の記録。
〈WEB-MAGAZINE集英社 学芸の森〉で好評連載中の「失踪願望。」、2021年4月~2022年6月の日記に加え、壮絶書き下ろし「新型コロナ感染記」、盟友・野田知佑氏ら、自らの人生に大きな影響を与えた男たちへ捧ぐ「三人の兄たち」の2編を収録。

「自分の日記なのに興味深い……浦島太郎的な気分である」


 先日、共に『本の雑誌』を創刊した、長年の椎名さんの盟友・目黒考二さんが亡くなられました。
 大学時代に先輩に薦められて椎名さんを知り、椎名さん、目黒さん、沢野ひとしさんに木村晋介さんの人生をささやかに追いかけ続けてきた僕は、悲しみとともに、もう自分自身もこんなところまで来てしまったのだなあ、と考えずにはいられなかったのです。


fujipon.hatenablog.com


 椎名誠さんといえば、僕にとっては、CMでジーンズをはためかせて馬に乗って駆けていく姿がサマになる、そんな「憧れの男」だったのです。
 「本が好き」という共通点を除けば、僕とはまったく違う世界で生きている「超人」ではあったのですけど。
 行動力や冒険心が旺盛で、SF小説も書き、映画監督もつとめ、仲間たちとともに焚き火を囲んでビールをぐびぐびと飲み、ガハハと笑う。
 
 そんなイメージだった椎名さんは、近年の著作で、長年、不眠症に悩まされてきたことや精神的な不調、作品で題材にしてしまったがゆえの(そして、題材にしなかったがゆえの)身内とのこんがらがった関係などを告白するようになりました。
 あの椎名さんが、キャンプのテントの中で、眠れなくて悶々する夜に悩まされ、だからお酒を浴びるように飲んでいたのか……

 この本には、2021年4月から2022年6月までの椎名さんの日記が収載されています。
 新型コロナウイルスに感染してしまい、救急車で搬送されたときの日記があり、日記とは別に50ページほどの「新型コロナ感染記」も書かれているのです。

 主に、椎名さんの日常が描かれているのですが、あんなに頑丈だった椎名さんが、介護認定調査を受けたり、免許証を返納していたりしているということには「老い」を感じずにはいられないのです。
 その一方で、妻の一枝さんとの穏やかな暮らしぶり、そして、椎名さんから一枝さんへの感謝の言葉が綴られているのを読むと、「ああ、よかったなあ」とホッとしますし、こういう夫婦の関係が羨ましくもなります。
 椎名さん夫妻は、椎名さんも妻の一枝さんも、それぞれ、自分の仕事での旅が多い生活で、なんだか不穏な状況が伝わってくる描写がこれまでの椎名さんの作中にいくつかあったんですよね。
 でも、こうしてずっと支え合ってきて、椎名さんが70代後半になって、率直に妻への感謝を言葉にしているのを読むと、人と人との関係って、とくに家族の関係って、本当に外からではわからないよな、あるいは、当事者たちもその場ではよくわかっていないのかもしれないな、なんて考えずにはいられなくなるのです。


 今だから話せる(もう時効だろうから)、あるいは、ふと思い出した昔の、昔からの知り合いの様々な話も出てきます。

 戦場のウクライナの風景になじみがある。1984年から85年にかけて、のべ二ヶ月半ほどうろつき回っていたロシアの地方都市やさびれて広大な田舎の風景に見覚えがあるのだ。
 ロシアとウクライナはいろいろと共通点がある、ということを戦争の映像を見て認識するのも悲しかったがどちらも綺麗だった。そしてのんびり懐かしかった。攻撃するロシアの兵らは祖国を爆撃しているような気持ちになったはずだ。
 40年近く前にはぼくたちが旅したところはまだソ連と言っており、エリアは「シベリア」というに相応しかった。夏と冬に行ったが冬はマイナス40度から50度以下が普通だった。取材チームはロシア人も入れて15人ほどいて、その中で一番タフだったのが米原万里さんだった。
 チェコスロバキアで育ったのでまるで東欧人そのもののモノの考えかたをし、ロシア語はいくつものエリアの言葉を操る。ケタ違いの体力、精神力の持ち主ですぐに全体のリーダーになった。
 毎日の極寒の行動の日々にも一番強く、沢山のジョークを使いこなし、食道楽でウォトカをジャンジャン飲んでいた。そしていわゆる日本人離れした美人だった。それまでよくこんな大物が日本に潜んでいたなあ、と驚いたものだ。
 帰国すると、矢継ぎ早に本を出し、ロシア関連のしっかりした同時通訳などをこなし、国際番組などにも出て有名になっていった。ぼくはこの人の活躍を見ながら「当然の流れだ。よかった」とつくづく思った。この頃、日本にもおかしな戦略臭プンプンの女性国会議員などがあちこちから飛び出してくるようになったが、米原さんなら、と思ったものだ。でも神は残酷なことをする。そのうちに米原さんにがんが見つかり、数年でこの世を去ってしまった。

 
 米原万里さんが亡くなられたのは2006年、享年56歳でした。
 もう17年も経つんですね。
 米原さんが存命であれば、いま、ウクライナで起こっている戦争について、どんなふうに語ったのだろうか。


fujipon.hatenadiary.com


 2021年8月18日の日記には驚かされました。

 突如、ワープロが壊れた。富士通ワードプロセッサOASYS」(オアシス)という20年来の相棒だ。
 電源を入れても画面が真っ白なのでとても困った。
 ついに我が家でもパソコンの導入が検討された(といっても妻も息子も孫も使いこなしているが)。


 オ、オアシス! これ、2021年の日記、だよね……
 ずっと原稿用紙+万年筆で描き続けている、という話であれば、なんとなく「作家としてのこだわり」として納得できそうなのですが、ワープロまでたどり着いておきながら、ずっとワープロ止まりというのは、なんだか不思議な気がします。
 今の僕から考えると、ワープロよりもパソコンの方が便利だし、ネットで原稿も送れるのに、という感じだし、ワープロまで行けば、パソコンとそんなに変わらない気がするのですが、椎名さんの場合は、事務所のスタッフがその部分はやってくれているのかもしれませんね。

 作家としてのげん担ぎみたいなものなのか、それとも、わざわざパソコンを覚えるのはめんどくさいと思っているうちに、20年経ってしまったのか。
 ちなみに、このOASYS、詳しい人がすぐに修理してくれたそうです。
 2002年のワープロ専用機の生産中止時に、椎名さんは4台購入しておいたのだとか。
 まだ現役のワープロ専用機って、意外とあるのでしょうか?
 古いパソコンでシステムが組まれていて、データも複雑かつ膨大になってしまい、新システムへの切り替えが難しい、という話も病院関連でときどき耳にします。
 
 僕自身も、なんでもスマートフォンでやってしまう「パソコンを必要としない若者たち」に驚くことが多くなりました。


 この本に収められている「3人の兄たち」という短編では、長良川河口堰問題で「象徴」として運動の矢面に立つことになった野田知佑さんの「逃亡の日」のことが書かれています。
 野田さん自身は、カヌーで下れる川、自然を残したい、という気持ちから運動に協力していたのですが、運動が激しくなり、社会問題として大きくとりあげられ、野田さんには広告塔としての大きなプレッシャーがかかるようになっていったのです。
 
 世の中に名前を知られ、何かの活動のリーダー、あるいは象徴にされる人というのは、「みんなから注目されて、チヤホヤされていいなあ」と思われがちなのです。
 しかしながら、当事者にとっては、「みんなの期待を背負う」ことに、やりがいを感じるだけではなく、「自分はそんなつもりじゃないのに」というようなことを「みんなのために」やらされたり、反対勢力からの強い批判にさらされたりすることも多いのです。

 椎名さんは作中では自分のことは書いていないけれど、椎名さん自身も、本人が望んだ仕事であれ(たとえば映画監督など)、そうでないものであれ、「もっと自由で、エゴイスティックでありたい自分と、リーダーとしての責任感」とのあいだで、ずっと闘ってきたのではないかと思います。
 
 椎名誠は「すっかりおじいちゃんになってしまった」のだけれど、そんな自分の姿を飾らずに書き続けていてくれるのは、これからさらに歳をとっていく僕にとっては、ささやかに心強くもあるのです。
 ここは、あの椎名誠さんも通ってきた道なんだ、って。


fujipon.hatenadiary.com

アクセスカウンター