琥珀色の戯言

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【読書感想】ガリレオ裁判――400年後の真実 ☆☆☆☆


ガリレオ裁判――400年後の真実 (岩波新書)

ガリレオ裁判――400年後の真実 (岩波新書)

内容紹介
地動説を唱え、宗教裁判で有罪を宣告されたガリレオ。彼は本当に、科学者として宗教と闘った英雄だったのか。二一世紀に入り、新たな裁判記録がヴァチカンの秘密文書庫から明るみに出された。近代へと世界観が大きく変貌していく中で、裁判の曲折した進行の真実が浮かび上がる。ガリレオ裁判の見方を根底から変える決定版。


「それでも地球は動く」
 これは、教会の意思に背いて、地動説を唱え、宗教裁判で有罪判決を受けたガリレオが、判決を受けたあとにつぶやいた言葉だと、僕は信じてきました。
 すべてにおいて、キリスト教が優先し、規範となっている社会から、自然科学の時代へ。
 その移行期に、科学の正しさを主張し、理不尽な教会に立ち向かっていった「科学の子」ガリレオ


 僕のそんなイメージを、この新書は、少し修正してくれました。
 「ガリレオ裁判」というのは、「科学を重視する者」あるいは、「宗教の力を批判したい権力者」にとっては、ひとつの「象徴的な出来事」として、実像以上に大きく扱われてきたんですね。
 この本の冒頭では、ナポレオンが、「ガリレオ裁判」の資料を大量にフランスに持ち去ったことが紹介されています。
 当時、カトリックの勢力と争っていたナポレオンは、この裁判の様子をつまびらかにすることによって、「科学的な正しさを無慈悲に弾圧してきた教会勢力」を世間にアピールすることができると考えられてきたのです。
 バチカンから資料が持ち去られ、散逸したことや、カトリック教会側も「情報公開」に消極的だったことから、ガリレオ裁判は、長年、さまざなま推測や先入観に彩られてきたのです。

 このような状況を変えることになったのが、1979年11月10日、当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の「ガリレオの偉大さはすべての人の知るところ」と題する講演である。この講演は、ヴァチカン宮殿で催されていたアインシュタイン生誕百年の祝典のなかでなされたが、本書で検討しようとしているガリレオ裁判にとって重要な転機となった。この講演をきっかけとして1981年にガリレオ事件調査委員会が設置され、それまでヴァチカン秘密文書庫に所蔵され、外部の人間の目に触れることのなかったガリレオ裁判記録が明るみに出ることになったからである。

 「ガリレオ裁判」は1633年に行われたのですが、350年くらい経って、ようやく、その詳細な記録が公開されることになったのです。
 この新書では、著者が最新の資料を用いて、ガリレオは、どのようなスタンスで、この裁判に向き合っていき、協会側は、どう審議していったのかが紹介されています。
 著者は、基本的に「資料に基づいて、裁判の様子や経過を再現する」ことを重視しており、そのときのガリレオや教会側の主要人物たちの内心については語っていません。
 それは、ものすごく真摯な姿勢であるのと同時に、ちょっと、取っ付きにくい感じもあるんですけどね。


 著者は、当時の「宗教裁判」について、このように解説しています。

 宗教裁判の目的は何かということについても、今日の裁判の目的とするところとは異なっていた。特定の犯罪行為を究明して処罰するのではなく、被告に異端思想を抱いていることを自覚させるとともに、贖罪のための機会と手段を与える――現実には量刑を確定すると言い換えることもできる――ためのものだった。だから、宗教裁判はキリスト教の正統から逸脱した思想の持ち主の魂の救済を助け、教会との和解を実現するのである。
 二重の意味で、告解――自白と言い換えてもよい――は不可欠だった。異端思想を抱いているという自覚のない被告には贖罪は無意味で、救済はないからである。もうひとつは、異端の多くが思想信条の領域に属し、物的証拠が乏しかったからである。率直に自白しないばあい、被告は牢獄に戻されて再考を促された。どのような尋問手段でも自白が得られないばあいは、拷問もありえた。


 当時の記録には「拷問によって得られた自白かどうか」は記録されておらず、ガリレオに拷問が行われたかどうかの論争もあるそうです。
 拷問は違法、というのは現代の感覚で、あの時代には「被告が罪を認めない場合に行われる、正式な手続きのひとつ」という認識だったと著者は述べています。
 そもそも、「宗教裁判」は、「まず有罪である」ことからスタートし、被告に自分の罪を認識させ、量刑を決めるための裁判だったんですね。
 罪をみとめれば、改悛、断食、祈祷、巡礼といった比較的軽微な量刑から、投獄まで、さまざまな刑が課せられます。
 ただし、罪をみとめ、改心すれば、「すぐに死刑」ということはありませんでした。
 逆に、最後まで罪を認めるのを拒否した場合には、火あぶりになることもあったそうです。


 僕は、ガリレオは、「科学の信奉者」として、科学と矛盾する教会側の「聖書の記述」などに、真っ向から異議を唱えていたのだと思いこんでいました。
 ところが、この本によると、ガリレオは、終始「聖書や教会に背くつもりはなかった」と言い続けているのです。
 自説についても、「いやあ、こんな仮説もあるんですけど、ちょっと自分が賢いのを証明したくて、冷静さを欠いていました、すみませんすみません……」というような低姿勢を貫いているんですよね。
 ええっ、そんな簡単に屈しちゃうの?ガリレオ
 もちろん、命の危険、というのはあったのでしょうけど、それ以前に、「自分の学説は正しいと思っているけれど、キリスト教徒としての立場を失ってしまうということは、あってはならないことだ」という、当時のキリスト教徒の「世界観」みたいなものが、ガリレオにはあったんですね。

 つまり、特別委員会の神学者たちの審議は、天動説と地動説のどちらが正しいのかということをめぐってなされたのではないと考えるべきだろう。判断の基準は、「聖書」の記述に照らして、容認することができるかどうかという一点にかかっていた。

 教会側も、「地動説なんて論外!許さん!そんなことを言うヤツは火あぶり!」というほど頑迷ではなくて、「そういう『仮説』もありますよ」というような書きかたなら、まあよかろう、というくらいの寛容さはあったようです。
 ガリレオは高名な学者であり、当時の権力者に庇護されていましたし、教会のインテリの中には、ガリレオの支持者もいたのです。
 教会で偉くなるような人のなかには、自然科学に通じている人もいて、彼らは、「神」と「自然科学的な正しさ」を、必ずしも対立する概念としてみなしてはいませんでした。
 科学の進歩により、聖書の記述とのさまざまな矛盾が生じてきて、カトリック教会も、「揺れていた」のです。
 そして、教会は、科学を全否定しているわけでもありませんでした。
 日本への布教でも知られているイエズス会は「科学の産物」を、海外布教に活かしていました。
 ガリレオ自身も、「教会に挑戦」したわけではなくて、それなりに偉い人に「根回し」をして、自説を発表したのですが、それでもやはり、「地動説はマズい」ということで、裁判にかけられてしまった。
 

 あの裁判で問われていたのは「科学的に正しいか」ではなくて、「地動説は、信仰と宗教を揺るがすのではないか」ということだったのです。
 そういう意味では、ガリレオは、たしかに「有罪」であり、彼自身も「学説は正しいけれど、カトリック教会がそれを容認できるかどうかは別」だということはわかっていたはず。
 それでも、発表せずにはいられなかったのが、ガリレオの科学者としての矜持だったのでしょうけど……


 著者は「それでも地球は動いている」という言葉のルーツについて、最後の章で検証しています。
 少なくとも、裁判の判決直後にガリレオが口にしたわけではなさそうですが、本当にガリレオがどこかでそう言ったのかどうかは、さまざまな意見があるようです。
 興味がある方は、ぜひ、この本を読んでみてください。


 ガリレオは「科学の子」である以前に「あの時代としてはごくあたりまえのキリスト教徒」であり、後世の人々が、「ガリレオ裁判」にさまざまな意味を加えてきただけなのかもしれません。
 「それでも地球は動いている」という「名場面」が無くなってしまうのは寂しいけれど、長年、意に反して「宗教と戦う科学の闘士」という役割を押し付けられてきたガリレオさんは、迷惑しているのではないかな。

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