- 作者:池上 俊一
- 発売日: 1990/09/17
- メディア: 新書
内容紹介
法廷に立つブタ、破門されるミミズ、モグラの安全通行権、ネズミに退去命令……13世紀から18世紀にかけてヨーロッパに広くみられた動物裁判とは何だったのか?自然への感受性の変化、法の正義の誕生などに言及しつつ革命的転換点となった中世に迫る「新しい歴史学」の旅。
1990年の9月に上梓された新書なのですが、いま(2020年3月)、けっこう話題になり、売れているみたいです。
もともと地道に売れていたロングセラーだったのですが、2019年の12月に大阪のラジオ番組で紹介されたことがきっかけになったそうです。
この新書の最初に、1456年、フランス・ブルゴーニュ地方のサヴィニー村で、5歳の子ども、ジャン・マルタンが仔ブタに餌をやっていたところ、興奮した母ブタに突き飛ばされ、食い殺されてしまった、という事件と、その後の経過が紹介されています。
大気をつんざくような絶叫をききつけて、ブタ飼いのジャン・バイイと、ちかくで仕事をしていた農民数人がかけつけたが、かれらが発見したのは、みるも無残な姿で横たわる子どもの骸と、口辺に肉片をくっつけて荒い息づかいをしている母ブタ、そしてそのまわりをまっ赤な血を体中に浴びながら、チョコチョコ走りまわっている六匹の仔ブタであった。呼ばれて村の若者たちもかけつけ、母ブタと仔ブタたちは、「現行犯」で逮捕された。ブタたちは、領主である貴婦人が牢にいれたが、さて、そのブタたちをどうしたらよいのか、だれにもわからなかった。
裁判は、翌1457年1月10日、サヴィニーのシャストレの壕のちかくで、ブルゴーニュ公の侍臣にして裁判官であるニコラ・カロワイヨンの主宰のもと、多くの司法官と証人をあつめて開かれた。原告となったのは、サヴィニーの貴婦人(女領主であろう)カトリーヌ・ド・バルノーで、検察官の名はユグマン・マルタンであった。本来の被告はブタたちであったが、責任者としてブタの所有者であるジャン・バイイ別名ヴァロが出席した。
検察・弁護双方の活発な応酬があり、証人たちの証言も十分きかれた。そのなかで、検察官はジャン・バイイに質問し、ブタにくわえられるべき罰についてなにかいうべきことがあるか、また、かれがブタをどうしたいと考えているか、三度、問いただしたが、かれはなにも答えようとしなかった。六匹の仔ブタの共犯性については、とくに喧々囂々、議論がつづいた。
裁判官は、本件については証人も多いことであるし、また識者・法律家にも意見をたずねたあと、犯罪は十分立証されたとし、ブルゴーニュ地方の慣例と慣習法にのっとって判決をくだした。ジャン・マルタン殺しの母ブタは、サヴィニーの貴婦人の裁判所に没収され、裁判所内にある木に後ろ足で吊るされること、という内容であった。 一方、六匹の仔ブタにかんしては、たしかに血だらけになって発見されたけれども、殺人に積極的に関与し、子供を食べたという証拠はなにもないとして、無罪となった。それゆえ子ブタたちは、所有者であるジャン・バイイに返却される。が、もし後日、仔ブタたちが子供を食べたことがあらたに判明した場合は、ただちに裁判所にひきわたすこと、そして、仮占有の保証金と舎飼いの肥育料を支払うべきこと、という条件付きであった。
しかし、この判決にたいして、当のジャンは、仔ブタたちをかえしてほしいとはねがわず、それらについてなにも要求しない、と主張したため、ブタたちは、無主物としてサヴィニーの領主である貴婦人に譲渡されることが宣告された。
母ブタは即刻、シャロン=シュル=ソーヌにいる刑吏のエティエンヌ・ポワンソーに、形式・内容とも判決文をキッチリまもってひきわたされた。エティエンヌは、ただちにブタを荷車にのせてはこび、裁判所内にあるカシの木に後ろ足で吊るして、死にいたらしめた。
本件にかんしては、裁判所付きの書記によって調書が作成され、請求のあったサヴィニーの貴婦人の代訴人(検察官)にわたされた。
動物の裁判って、演劇かユーモア小説?と思ってしまうのですが、中世のヨーロッパでは、このような「動物裁判」が12世紀から18世紀まで、記録に残っているだけでも数百件は行われていたそうです。
このブタの話を読んで、僕は役所広司さんが主演していた『狐狼の血』を思い出しました。ブタというのはとにかく食欲が旺盛で、なんでも食べてしまうので、死体を消してしまうために裏社会で「利用」される、というエピソードがあったんですよね。
ブタにとっては、本能に基づく行為であり、悪意があったわけではない。とはいえ、子どもを食い殺された親や、その周囲の人々は、「人を食ったブタ」を不問に処すことは感情的に納得できないのもわかります。
現代の日本では、人を襲った動物は、よほどの事情がないかぎり殺処分とされる可能性が高いでしょう。
その動物に対して、「裁判」はやらないですよね。
この事件の場合は、ちゃんと審理されて、仔ブタたちは「証拠不十分で無罪」になっています。
悪名高い「魔女裁判」が行われていた一方で、中世には、こんな「理性」もあったのです(魔女裁判というのも、あれはあれで、キリスト教的な「理性」に基づいて行われていた、という面もあります。被告にはなりたくないけれど)。
ちなみに、中世で裁判の対象となったのはブタのような大きな動物だけではないのです。
ハエやハチ、チョウ、ネズミ、アリ、ミミズ、モグラ、バッタ、ヘビ、毛虫など、多数発生し、畑や果樹園、川や湖を荒らし、汚染する昆虫や小動物も裁かれていました。
この場合も、被告の昆虫や小動物にはちゃんと「弁護人」がついていて、彼らの言い分を「代弁」していたのです。
やっと討論が終結すれば、裁判官は両者の弁論の応酬から自己の見解をひきだして、判決をいいわたすことになる。通常、まず昆虫・小動物は、すなおに罪を悔い改め、即刻、侵略地をたち去るよう催告される。それがかれらにすなおにききいれられないとき、弁護士は、あてがわれた土地が不毛で、かれらの避難所としてふさわしくなく、豊富な草木がないため飢え死にしそうなところである、などと述べたて、なんとか被告をまもろうとする。するとあらたに執達吏ないし専門家が派遣されて、その土地を調査する。昆虫(動物)の生存に問題ないとなると、やっと破門予告にうつる段どりとなる。いやはや、なんとも面倒な手続をふむものである。
破門のおどしつきの退去命令は、期間はさまざまで、猶予なくただちにそれを求める場合、あるいは三時間、三日など、地域・時代により偏差があった。教会法によると、この破門予告は、破門宣告の実施に先だち三度なされるべきであった。しかし、三度の戒告にもかかわらず非をみとめず、誤った行動をあらためない場合、ついに破門の儀式がとりおこなわれる。それはおよそ、つぎのようにしてであった。
司教または司祭を中心とした聖職者たちが教会のなかにあつまり、手に手にローソクをともす。かれらは、ローソクを教会の床に叩きつけて、足でふみにじりながら、「神よ、平和と正義をまもろうとしない者たちの喜びを、このローソクのように消滅させたまえ!」という司式者の唱える破門の言葉を復唱する。「犯人」のうち何匹かがとりあつめられれば、この儀式はそれらを前にしておこなわれるが、つかまえられなければ、やむなく欠席でなされることになる。
「自分たちがなぜ裁かれるのかを理解できない動物たちを形式的に裁く」なんて、ヨーロッパの中世の「野蛮さ」を示すエピソードだな、と僕は読みながら思っていたのです。
ネズミやハエを「破門」したところで、彼らは痛くもかゆくもないだろうし。
しかしながら、著者は、この新書のなかで、この「動物裁判」が行われた背景を詳しく検討しており、そこに合理性や、それまでは自然の力の前に無力だった人間が自然を征服していくプロセスのひとつではないかということ、そして、キリスト教が異教的なアニミズム・自然崇拝を否定していった時期と合致することなどを指摘しています。
「芝居じみたこと」ではあるけれど、おそらくその意味を理解できないであろう動物や昆虫に対してさえ、ちゃんと弁護士をつけて、人間と同じように裁判をしていた、とも言えるわけですし。
歴史の流れを考えると、動物裁判というのは、けっして「無知であるがゆえの愚行」だとは言い切れないのです。
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