琥珀色の戯言

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【読書感想】宗教消滅 資本主義は宗教と心中する ☆☆☆

宗教消滅 資本主義は宗教と心中する (SB新書)

宗教消滅 資本主義は宗教と心中する (SB新書)


Kindle版もあります。

宗教消滅 資本主義は宗教と心中する (SB新書)

宗教消滅 資本主義は宗教と心中する (SB新書)

内容(「BOOK」データベースより)
創価学会でさえ信者激減!?天理教63万人減・立正佼成会324万人減。今、世界中で一体何が起きているのか―衝撃的な事実を緊急検証。


 キリスト教徒とイスラム教徒の軋轢など、世界で「宗教」がクローズアップされています。
 いまの日本で、そして世界で、「日常のなかの宗教」はどうなっているのか、というのを、創価学会PL教団幸福の科学などの「新しい宗教」の動静も含めて論じている本です。
 内容としては、各宗教の信者数の推移など、興味深いデータも多いのですが、資本主義や経済の話にけっこう多くのページが割かれており(読んでみると、たしかに、「宗教と経済の動向」というのは切り離せない関係にあるとは思うのですが)、信者への取材などはほとんど無いんですよね。
 世の中の宗教の趨勢を知ることはできるけれど、信者の顔はあまり見えてこず、ルポルタージュ的なものを求めている人には、ちょっと物足りないかもしれません。


 いまの日本に住んでいると、仏教キリスト教などの「既成の宗教」が衰退している、熱心な信者が減っている、というのは感じるのですが、創価学会のような、いわゆる「新宗教」の勢いがどうなのかというのは、よくわからないのです。
 僕は40年以上生きてきて、執拗に勧誘された記憶もありませんし(まあ、勧誘されたいわけでもありませんが)。


 著者は、既成の宗教だけでなく、「新宗教」として、太平洋戦争後に信者を増やしてきた宗教も、近年、どんどん信者を減らしてきていることを紹介しています。

 生長の家が衰退し、PL教団も衰退している。天理教立正佼成会も、そして霊友会も信者の数は減っている。
 しかも、衰退の勢いはかなり激しい。そこには、誇大に発表していた信者数を実情に即したものに変えてきたということも影響しているかもしれないが、たんにそれだけではないだそう。
 というのも、信者数の減少は依然として続いているからである。
『宗教年鑑』の平成22年度版と26年度版を比較してみると、近年における変化がわかる。
 生長の家の場合、平成22年度版では68万2054人であった。それが、平成26年版では55万310人である。この4年で13万人も減少していることになる。平成22年を基準にすれば、20パーセント近い減少である。
 PL教団の場合には、この間、96万5569人が92万2367人に減少している。減少した数は4万人以上で、生長の家ほどではないが、信者は減り続けている。
 ほかの教団についても数字をあげれば、天理教は118万5123人から116万9275人に、立正佼成会は349万4205人が308万9374人に、霊友会は151万6416人が136万9050人にと、それぞれ減少している。それも、わずか4年のあいだでの変化である。
 増えている教団もないわけではない。
 立川市に本部をおく真如苑の場合には、88万7702人が91万6226人に増えている。真如苑は、平成2年版では、67万2517人だったから、四半世紀の間に、4割近く信者数を増やしており、「一人勝ち」の状況を呈している。


 ただし、『真如苑』は、他の新宗教に比べて組織性には乏しく、信者が本部などでカウンセリングを受けるのが中心で、信者同士の交流はほとんどないのだそうです。
 著者は「『真如苑』を他の新宗教と同列に考えることには問題がある」と述べています。


 もう少し長い期間でみると、PL教団の信者数の場合、『宗教年鑑』では、平成2年版が約181万人だったのが、平成26年版では約92万人と、24年間で半減しており、他の新宗教も軒並み信者数を大きく減らしているのです。
 ちなみに、さまざまなデータから類推しての、現在の創価学会の実際の信者数は約300万人くらいなのだとか。たぶん、僕は知らなかったけど信者だった、という人とたくさん接してきたのだろうなあ。


 著者は、日本で高度成長の時期に新宗教が急速に信者を増やした理由をこう説明しています。

 中学を卒業したばかりの子どもたちは「金の卵」ともて囃され、専用の列車に乗せられ、都市部へと出ていった。この金の卵のなかには、その後、創価学会へと入会していった人間が少なくない。
 大学を卒業していれば、大企業や官公庁に就職することができた。しかし、学歴が低くては、そうしたことはかなわない。彼らは労働者となっても、労働組合がしっかりと組織されているような職場に入ることができず、未組織の労働者として寄る辺ない生活を送らざるを得なかった。
 そうした人間たちを吸収していったのが、創価学会だった。
 ほかに、立正佼成会霊友会といった、創価学会と同じ日蓮系、法華系の新宗教も同じ時期に大量の会員を増やし、巨大教団へと発達していくが、それも同じような経緯をたどってのことだった。
 高度経済成長のような経済の急速な拡大は、社会に豊かさをもたらすが、その恩恵が社会全体に及ぶまでには時間がかかる。したがって、経済の拡大とともに、経済格差の拡大も続き、社会的に恵まれない階層が生み出されていく。
 創価学会に入会すれば、都市に出てきたばかりの人間であっても、仲間を得ることができる。彼らは同じ境遇にある人間たちであり、すぐに仲間意識を持つことができた。
 ただ都会に出てきたというだけでは、地方の村にあった人間関係のネットワークを失ってしまっているわけで、孤立して生活せざるを得ない。ところが、創価学会に入会すれば、都市部に新たな人間関係のネットワークを見出すことができるのである。


 その宗教の教義に魅力を感じた、というよりは、誰も知らない土地で生活していくなかで、なんらかの人との繋がりがほしい、ということで、新宗教に入信していった人が多い、ということなんですね。
 昔の本当に生活が苦しい、理不尽な死に直面するのが日常茶飯事な人々は「教義」に惹かれたのかもしれないけれど、新宗教の時代には「孤独から逃れる」ために入信した人も少なくなかったのでしょう。
 なんで新宗教にわざわざ入信するのだろう?と僕も若い頃は疑問に感じていたのだけれど、「ひとりきりであること」と「宗教的なつながりでも、仲間がいること」と、どちらかを選べと言われれば、後者を選択する人が少なくないのも、いまはわかるような気がします。
 しかしそれは、経済的に安定してきたり、その土地に長く住んでいたりすると変わってきますし、学校などで横のつながりができる次世代になると、「宗教への熱意」が激減するのは自然なことでもあるんですね。
 いまの日本では「新宗教の熱心な信者である」と、無宗教の人からは、それだけで敬遠されがちですし。

 新宗教の場合、信仰を獲得した第一世代から、その子どもである第二世代に継承が進まないからでもある。第一世代には、その宗教に入信するに至る強い動機がある。ところが、第二世代にはそれがない。それでは、親の信仰を子どもが受け継ぐということが難しいのである。
 それが、既成宗教と新宗教とを分ける壁でもある。
 既成宗教の場合には、信仰は代々受け継がれていくものである。現在信仰している人間は、個人的な動機からその宗教を選択したわけではない。親が信仰しているからそれを受け継いだだけである。信仰に対して強い情熱をもっていないために、かえってそれを自分たちの子どもにも伝えやすい。信者になっても、熱心に信仰活動を実践する必要がないからである。


 僕自身は本当に「無宗教」なのですが、妻の実家に行くと、お盆とお正月にはお墓参りをし、お寺の住職に挨拶をして、しばらく近況を話しこんでいます。
 家には仏壇があって、マメにお線香をあげているようです。
 ただし、日常的にお経を唱えたり、修業をしたりしているわけではない。
 長年の「ご近所づきあい」のような感じで、家の近くのお寺と繋がり続けているのです。
 こういう感じの「信者」が少なからずいるからこそ、既成の宗教はなんとか続いているんでしょうね。
 逆に、これだと、よほどの事情がなければ「つきあいを断つ」のは難しいと思いますし。


 ただ、日本でも「直葬」や「家族葬」が増えたり、戒名を求めない人が増えたりもしてきているので、既成の宗教もかなり厳しい状況になっているのは間違いないようです。
 独身、都会のアパートで一人暮らし、というような生活だと、妻の実家のような関係をこれから築くのは難しいでしょうし、そういう人の割合が、これからもどんどん増えていくのですから。


 ちなみに、「宗教間の争い」が問題になっているのですが、ヨーロッパでも「宗教、とくにキリスト教の衰退」が目立ってきているのです。

 日本人は、「自分たちは無宗教で、宗教に対して熱心ではないが、キリスト教の信者たちは毎週日曜日には教会に足を運び、熱心にミサに与っている」と考えてきた。今でもそう考える人は少なくないだろう。
 しかしそれは、ヨーロッパでは完全に過去のことになりつつある。各種の統計資料からも、明らかである。
 今から60年近く前の1958年には、フランス人のなかで、日曜日にミサに与っていたのは35パーセントに及んでいた。3分の1以上が、日曜日のたびに教会に出かけていたわけだ。
 ところが、2004年には、それがわずか5パーセントにまで低下した。ある調査では、2011年に毎週一度は教会に通っているフランス人は、0.9パーセントしかいないという結果も出ている。
 ただし、教会にいかなくなったものの、フランス人の63パーセントが、自分はキリスト教の教会に属していると答えている。
 その一方で、1950年には、90パーセント以上のフランス人が子どもに洗礼を授けていたのが、2004年には60パーセント以下に減少している。
 こうした数字からすれば、「フランスの空っぽの教会」は、フランス全土に及んでいることになる。仮に1000席の教会であるなら、0.9パーセントしか出席しなければ9席しか席は埋まらない。それは、想像を絶するほど寂しい光景である。

 2015年7月、ドイツではカトリック教会について衝撃的な数字が発表された。
 2014年にカトリック教会を正式に離脱した者の数が、20万人以上にのぼったというのだ。2013年に比べると、離脱者の数は21パーセントも増えた。
 2014年にカトリック教会を離脱した人間の正確な数は21万7116人である。2013年には、17万8805人だった。21パーセントの増加というのは、かなり大きな数字である。

 ドイツでは、プロテスタントでも同様に教会から離れる人の数が増えているそうです。
 ドイツには、教会に所属していると、「教会税」という所得税の8ないしは10パーセントの税金を取られてしまう、というのも影響しているようです。
 それはさすがに高いんじゃないか、と僕は思うのですが、それを免除されるのと引き換えに、宗教的なよりどころを失ってしまっても良い、と考える人が、どんどん多くなってきているのですね。


 「宗教間の軋轢」が大きな問題になってはいるのですが、イスラム教の勢力がどんどん増しているように見えるのは、絶対的にというより、他の宗教の衰退が激しいため、現状維持くらいでも相対的に伸びているだけではないか、という感じです。
 いまの世の中の流れとしては、宗教は退潮傾向にあり、ヨーロッパに移民してきたイスラム教徒も経済的に豊かになり、生活が安定していけば、宗教的な軋轢は、目立たなくなっていく可能性が高そうです。
 逆に、経済がうまくいかなくなると、それが「宗教的な争い」として顕在化してしまう危険性もあるのですけど。

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