琥珀色の戯言

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【読書感想】謎のアジア納豆 ☆☆☆☆


謎のアジア納豆: そして帰ってきた〈日本納豆〉

謎のアジア納豆: そして帰ってきた〈日本納豆〉

内容紹介
日本は「納豆後進国」だった!?


誰もが「日本独自の伝統食品」と信じて疑わない納豆。だが、アジア大陸には日本人以上に納豆を食べている民族がいくつも存在した。
日本の納豆とアジアの納豆は同じなのか、違うのか?
起源はどこなのか?
そもそも納豆とは一体何なのか?
納豆の謎にとりつかれたノンフィクション作家は、ミャンマーやネパールの山中をさまよい、研究所で菌の勉強にはげみ、中国に納豆の源流を求め、日本では東北から九州を駆けめぐる。
縦横無尽な取材と試食の先に見えてきた、納豆の驚くべき<素顔>とは?


日本人の常識を打ち砕く、壮大すぎる「納豆をめぐる冒険」!


 あの『謎の独立国家ソマリランド』を書いた高野秀行さん。
 今回のターゲットは、「納豆」!
 ……えっ、納豆、なの?

 
 なんか、高野さんにしては、日本ローカルなテーマだなあ、と思ってしまうのが「トラップ」なんですよね。
 日本生まれで、ずっと日本に住んでいる日本人である僕にとって、「納豆」というのは、日本人にとっての「リトマス試験フード」みたいなイメージがあるのです。
 僕の母親は茨城出身で、納豆が大好きなのですが、父親山口県の出身で、納豆はにおいをかぐのも苦手、その子どもである僕は「あれば食べる」というくらいのスタンスでつきあってきました。
 そして、「納豆が大好物!」という人はそれほど多くないにもかかわらず、外国人に日本の食について尋ねるときには「納豆は食べられますか?」が、「箸を使えますか?」という質問と同じくらいよく出てくるんですよね。
 

 納豆は「日本的なるもの」の代表だと、僕は思いこみ、いままで、疑問を抱いたことはありませんでした。
 ところが、世界の辺境を旅してきた高野さんは、「納豆のような食べ物」が、アジアの辺境に散在していることに気づいたのです。

 辺境の旅ではときおり”奇跡”としか言いようのない出来事に遭遇する。
 十四年前のあのときもそうだった。私は森清というカメラマンと一緒に、ミャンマービルマ)北部カチン州のジャングルを歩いていた。カチン独立軍という反政府少数民族ゲリラの協力を得て、中国の国境からインド国境まで旅をしようとしたのだ。
 中国国境に近いカチン軍の拠点から歩き始めて二日目。不慣れなジャングル・ウォークにヘトヘトになった私たちは、密林が途切れた平原にある小さな村にたどり着いた。カチン軍の将校二人と高床式の民家にあがらせてもらうと、家の主が軽い夕食を出してくれた。
 食事を見て、私と森は目を疑った。
 白いご飯に、生卵と納豆が添えられていたのだ。納豆は見た目からしても匂いを嗅いでも、日本のものと変わらない。出されたスプーンでかき混ぜるとよく糸を引いている。
「何これ?」
「納豆卵かけご飯だ!」
 私たちは歓声をあげた。とりわけ、辺境に慣れていない森はカチン料理が喉を通らず、毎食ご飯を残していたから、喜びようは尋常でなかった。
 さっそく私たちは納豆をよくかき混ぜてご飯にかけ、上から卵を落とし、食べはじめた。
 炊きたてのご飯の湯気と納豆の匂いを嗅ぐと自分の家に帰ってきたような気がした。納豆は醤油でなく塩で味つけされていたが、完璧なまでに日本の納豆と同じ味。
 夢を見ているようだった。
 ――なぜ、こんなところに日本と全く同じ納豆があるのだろうか?


 これ以前、そして、この後も、高野さんは、アジアの辺境で、さまざまな「日本と同じような納豆」や「明らかに納豆と同じ味がするのだけれど、形状や食べ方が異なるもの」を発見します。
 そこで、高野さんは、「日本人が日本だけのものだと信じている、ソウルフード」のルーツを探るための長い旅に出ることにしたのです。
 日本国内のさまざまな納豆の生産地とアジアの各地(タイ、ミャンマー、ネパール、中国)を行き来し、納豆をつくっている人たちを訊ね、作られるプロセスを丹念に最初から最後まで観察し、自分でも作っていたりしながら。
 高野さんのすごいところは、「学者」や「研究者」ではないはずなのに、現地に赴いて徹底的にフィールドワークを行っているところで、それには、『ソマリランド』でも僕を驚愕させた圧倒的な言語習得能力と「人脈」をつくる力がものを言っているのです。
 高野さんは、とにかく、自分の目で、手で確かめてみることを徹底しているのです。
「昔からそういうものだった」という先入観にとらわれずに、高野さんが「やってみた」ことによるさまざまな発見が、この本ではたくさん紹介されています。
 そもそも、「納豆」というのが、作り方や材料はシンプルであるのもかかわらず、「日本のもの」と思われていることに、僕を含む多くの日本人は、これまで疑問を抱いていなかったわけですし。
 誤解を招かないように補足しておくと、世界での分布も含めて、納豆を研究対象にしてきた日本の学者もちゃんといるんですけどね。


 ミャンマーでの取材のなかで、高野さんはこんな仮説を立てています。

 匂いというのは相対的なもので、衛生的な暮らしをすればするほど、強い匂いを好まなくなる。シャン族は「里の民」であり、川や田んぼのあるところにしか住まない。山の上には住まない。いつえも水浴びのできる環境に暮らし、家の中も清潔だ。強い匂いはいらないのだ。
 いっぽう、パオの人たちは「山の民」だ。水浴びをしない。自分たちの体臭が強いので、他のものの匂いも気にならない。むしろ、食べ物の匂いが強くないと物足りなく思う。匂いが強いというのは、「風味がしっかりしている」ということなのだろう。
 日本でも似たような現象が見られる。納豆やくさやは昔の方がもっと匂いがきつくて美味しかったという話をしばしば耳にするのだが、それは昔のほうが生活臭が強かったからだ。今では都会はもちろんのこと、田舎の家でも数十年前とは比較にならないほど衛生的、というより過度に消毒・消臭されている。密閉度も格段に高くなった。ほのかな匂いも「くさい」と感じてしまうから、さまざまな食品の匂いがどんどん薄くなる。
 結局のところ、山の民は彼らなりにその生活に適応しているから、頭から「不衛生」と決めつけてはいけないのだが、シャン族とパオ族が互いに相手の納豆を好まず、自分たちで作った納豆に固執するのは偏屈なナショナリズム以外にもちゃんとワケがあるのだった。


 納豆といえば、あの「匂い」が特徴なのですが、食べ物の匂いについて、高野さんはこんな話をされています。
 日本でも匂いの強い食べ物が昔より好まれなくなったのは、「衛生的な生活をおくるようになり、体臭が薄くなったから」というのも、確かにあるのかもしれませんね。


 高野さんは、日本国内の調査・取材も行ない、「雪納豆」や「菓子箱納豆」という納豆についても書いておられます。
 納豆を発酵させるのには、本来、それなりに高い温度と湿度が望ましいはずなのですが、なぜ「雪中に埋めるような製法」が生まれたのか?
 メディアの在り方も含めて、大変興味深い内容ですので、興味を持たれた方は、ぜひ、この本を手にとてみてください。

 見る者を迫力で圧倒する幻の雪納豆と地道に絶品である菓子箱納豆。
 私もこの二、三年、アジアと国内各地でずいぶんいろいろな納豆を食べてきたが、納豆料理はともかくとして、納豆だけなら、この両者が「ベスト・オブ・納豆」である(以後、今に至るまでベストのままだ)。


 正直なところ、僕は納豆の味の優劣って、あんまり意識したことがなかったんですよね。
 「納豆って、こういうものだろ?」と、とくに疑問も持たずに食べていたのです。
 でも、この本を読むと「納豆の味」について、これからは、ちょっとくらいは考えてみようと思いました。
 「味」って、舌だけで感じるものじゃないんだよなあ。

 アジア納豆とは一言でいえば「辺境食」である。
 東は中国湖南省から西はネパール東部に広がる、標高500から1500メートルくらいの森林性の山岳地帯やその盆地に住む多くの民族によって食されている。肉や魚、塩や油が手に入りにくい場所なので、納豆は貴重なタンパク源にして旨味調味料である。
 納豆民族は例外なく所属する国においてマイノリティだ。それは偶然ではない。どの国でも文明が発達し、豊富な人口を擁するのは平野部だ。魚や家畜の肉、あるいは塩や油を入手しやすく、他の有力な調味料を発達させている。納豆を必要としないのだ。


 納豆は、日本だけのものではなかったのです。
 それでも、「そこに納豆がある」というだけで、なんとなく親近感を抱いてしまうのは、日本も「大きな辺境」だからなのかもしれませんね。
 納豆だけではなく、「辺境」に興味がある人の好奇心を満たしてくれる「すごいことを、わかりやすく、面白く書いてあるノンフィクション」だと思います。