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琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】世界しあわせ紀行 ☆☆☆☆

世界しあわせ紀行 (ハヤカワ・ノンフクション文庫)

世界しあわせ紀行 (ハヤカワ・ノンフクション文庫)


Kindle版もあります。

世界しあわせ紀行 (ハヤカワ文庫NF)

世界しあわせ紀行 (ハヤカワ文庫NF)

内容紹介
不幸な国ばかり取材してきたアメリカ人ジャーナリストが、人々が最も幸せに暮らす国を探して旅に出た。訪れるのは、国民の幸福度が高いスイスとアイスランド、逆に低いモルドバ、富裕国カタール国民総幸福量を国是とするブータン、多くの西洋人を魅了するインドなど10カ国。各地で出会った人々や風習、哲学をユーモラスに紹介しながら、幸せになるために必要なものとは何かを探る。草薙龍瞬×たかのてるこ特別対談収録。


 世界の「幸福度」が高いとされている国では、人々はどんな暮らしをしているのか?
 そして、本当に「しあわせ」なのか?

 そんな興味を持った著者が、実際に「世界の幸福度ランキング上位の国」を巡ってみたルポルタージュです。
 日本は「経済的に豊かなわりには、幸福度が低い」なんて言われがちですが、いったいどこが問題なのか?
 なぜ、人々はしあわせを実感できないのか?

 幸福額の研究結果は、すんなりと理解できる場合もあれば、にわかに信じがたい場合もある。期待どおりの結果もあれば、意外な結果もある。多くの場合、何世紀も前の偉大な思索家たちが唱えた説を実証するような結果になっている。まるで古代ギリシア人が、自分の学説の有効性をぜひ確認してほしいと申し出ているかのようだ。そうした研究成果の一部を思いつくままに列挙してみよう。
 外交的な人は、内向的な人よりも幸せに感じている。楽観的な人は悲観的な人よりも幸福感が強い。既婚者は未婚者よりも幸福に感じている(ただし、子供がいない夫婦よりも子供がいる夫婦のほうが幸せというわけではない)。共和党支持者は民主党支持者よりも幸福度が高い。礼拝に参加する人は、参加しない人よりも幸福感を抱いている。大学を卒業した人は、そうでない人よりも幸福度が高い(ただし大学院修了者は大学卒業者よりも幸福度が低い)。性生活に積極的な人は、そうでない人よりも幸福に感じている。女性は男性よりも感情の幅が広いが、女性と男性で幸福感の強さに差はない。浮気をすると幸福感が得られるが、配偶者が浮気に気づいて去っていってしまうときに感じる虚しさ以上の幸福感を得ることはない。最も幸福を感じられない時間は通勤中である。忙しい人は、何もすることがない人よりも幸福度が高い。裕福な人は貧乏な人よりも幸せだと感じているものの、その差はわずかである……。


 「幸福」というのは、人間にとって大きな「テーマ」のひとつであり、それについての研究はかなりたくさんなされているのです。
 にもかかわらず、「何が幸せなのか?」という最終的な結論は、なかなか出ない。
 「不幸」というのは「食べものがない」とか「自分の自由な時間がない」とか、ある程度「万人にとって不幸だろうな」というものは思いつくんですけどね。
 でも、「通勤電車が幸せじゃない」っていうのは、わかるなあ。


 著者は、オランダ、スイス、ブータンカタールアイスランドモルドバ、タイ、イギリス、インド、アメリカの10ヶ国を巡って、そこに住む人々の「しあわせ」について検証しています。
 「しあわせではないとされている国」「幸福度が低い国」も比較のために訪れているのです。


 著者は幸福度が高いとされているスイスについて。

 幸福の調査にためにスイスに行くつもりだと友人たちに伝えたとき、なかにはこう聞いてくる友人もいた。「スイスって自殺率が高いんじゃないの?」そのとおり、スイスの自殺率は世界有数だ。これではまったく筋が通らない。なぜしあわせな国で自殺率が高いのだろう。実を言うとそれは簡単に説明できる。なによりも、統計を調べてみると自殺件数そのものはいまだに少ない。したがって自殺率は幸福度の調査にあまり影響を及ぼしていない。研究者が自殺を考えている人物にインタビューする確率はきわめて低いからだ。しかし、もう一つ別の理由がある。自殺を思いとどまらせる要因と、人を幸せにする要因は別の問題なのである。たとえば、ローマ・カトリックの国では、自殺が禁じられているために自殺率がきわめて低い傾向がある。しかしそれは、それらの国が幸福だということを意味しているわけではない。良い政府、やりがいのある仕事、家族の強い絆、これらはすべて幸せの主要な成因となる。
 おそらく問題なのは、幸せそうな人に囲まれていると、ときに非常に惨めな気分になりうるという点だろう。スイスの著名な作家フランツ・ホーラーが私にこう語ってくれた。「自分が幸せでないとき、人はこう思う。こんなに美しくて、こんなに機能的な国で、どうして幸せじゃないんだ。自分のどこが悪いんだ、とね」
 世界じゅうどこの国に行っても、初対面の人に最初に尋ねる質問がある。その質問をすれば、その人物についての重要な情報が得られる。アメリカでは「お仕事は何をなさっていますか?」。イギリスでは「どちらの学校に行かれましたか?」。スイスでは「ご出身はどちらですか?」。それさえわかっていれば何事も円滑に進む。


 周りがみんな幸せな国だからこそ、感じずにはいられない「不幸」もあるんですよね。
 日本も、「幸せにならなければならない」というプレッシャーが強い国だからこそ、「なんで自分だけが幸せじゃないんだろう?」と惨めな気分になりやすいのかもしれません。
 それは、ぜいたくな不幸、なのかもしれないけれど。


 石油と天然ガスによって、「水道も電気も医療も教育も無料」で、所得税も消費税もなく、男性が結婚すると政府から家を建てる土地と無利息の貸付金が与えられ、7000ドルの月額手当がつくという国、カタール。なんて恵まれた国なんだ、と驚いてしまうのですが、この国の項で、著者は、こんな研究を紹介しています。

 1978年、心理学者のフィリップ・ブリックマンは、二つの集団の比較研究を試みた。一方は宝くじに当選して裕福になったばかりの人で構成され、一方は事故で思うように体を動かすことができなくなった人たちで構成される。当然のことながら、宝くじの当選者は当選以前よりも幸せになったと答え、事故にあった人は事故以前よりも幸せではなくなったと語った。しかし、ブリックマンがこの二つの集団を継続的に観察したところ、まったく予想外の結果となった。宝くじ当選者の幸福度は、当選前と同じ程度にすぐ戻ってしまったのに対して、事故で体が不自由になった人たちは、事故の直前よりもわずかに低い幸福度まで回復をみせたのである。
 いったい何が起きたのか。ブリックマンは次のように考えた。宝くじに当選した人の場合、服を買うとか、友人と話すといったありきたりの出来事からほとんど喜びを得られなくなった。かつての楽しみが、楽しみではなくなってしまった。心理学ではこのような状態を「快楽の踏み車」(あるいは「満足の踏み車」)と呼ぶ。実際の踏み車と同じく「快楽の踏み車」でも人は汗をかく。そのため誰もがそれを避けようとする。実際に踏み車と違う点は、「快楽の踏み車」は健康にまったくよくない。終わりなき快楽と順応の繰り返しによって、人はおかしくなってしまう。


 宝くじに当選しても、大きな幸福感は一時的なもので、事故で身体が不自由になっても、時間とともに以前の状態近くまで幸福度は回復してくるのです。
 人間って、うまくできているなあ、って思う一方で、「ずっとものすごく幸せでいる」ことは難しいのだな、と考えさせられます。
 他人からみたら羨ましくてしょうがないような環境・状況でも、本人にとってはそれが「日常」なわけですし。


 ソビエト連邦を構成する一共和国だったモルドバは「不幸な国」として紹介されています。

 信頼(より正確には、信頼の欠如)こそ、モルドバが不幸な国である理由だとヴィタリーは言う。ヴィタリーのこの発言は、幸福と信頼の関係について研究者が発見した事実をそのまま反映している。モルドバ人はスーパーで購入する商品を信用しない(商品が偽装されているかもしれない)。隣人も信用しない(賄賂を受け取っているかもしれない)。家族さえも信用しない(ぐるになって何かを企んでいるかもしれない)。

「不幸ほどおもしろいものはない」と述べたのは、サミュエル・ベケットの一幕物の芝居『勝負の終わり』に登場する、ドラム缶で暮らす両足のないネルである。ベケットはおそらくモルドバを訪れたことがないと思われる。この国にはユーモアは見られず、無意識になされるたぐいのユーモアさえない。それでもモルドバ人は、少なくとも一つの冗談を共有している。モルドバについて多くを物語るジョークだ。
 モルドバを訪問中の高官が、地獄のツアーに出かける。「ここはアメリカ人の部屋です」と案内役が説明する。すると、煮えたぎった大釜から炎が立ち上る。ここでは数十人の武装した万人が、地獄に堕ちたアメリカ人を注意深く見張っている。「ここはロシア人の部屋です」別の大釜からさらに炎が上がる。しかしここには地獄の番人の数は少ない。「そしてこちらがモルドバ人の部屋です」別の大釜に炎が上る。ところがここには番人が一人もいない。
「どういうことか、わけがわからない」と高官は言う。「なぜモルドバ人を見張る番人がいないのかね?」
「必要ないからです」と案内役が答える。「一人が大釜から逃げ出すと、他の者たちがそいつを釜の中に引きずり戻しますから」
 幸福の敵である嫉妬が、モルドバじゅうに蔓延している。それはきわめて毒性が高く、ふつうならそれに伴うはずの強烈な野心が存在しない。したがってモルドバ人は、嫉妬から得られるメリットを享受することなく、デメリットだけを背負うことになる(嫉妬から得られるメリットというのは、野心ある人が築き上げたビジネスやビルを見て、自分にもできるからもしれないと思うこと)。モルドバ人は、自分の成功よりも隣人の失敗から楽しみを得る。これ以上に不幸な状況は想像がつかない。


 ただ、こういうのって、モルドバに限らず、日本でもありそうですよね。
 「セレブ」が成功し、贅沢をするのには憧れるけれど、身近な人や「仲間」が自分たちのコミュニティから抜け出してしまうことに対しては、拒絶反応を示しがちなのです。


 結局のところ、人間って、どんな場合でも、飛び抜けて幸福にはなれないものなのかな、とこれを読みながら考えずにはいられませんでした。

 ものすごく不幸になるのは、そんなに難しくないような気がするのだけれど、それはそれで、周囲から「不幸自慢」と言われたり、「私のほうがもっと不幸」だという人に諭されたりするからなあ。