
- 作者: 飯田泰之,荻上チキ
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2013/09/26
- メディア: 単行本
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内容紹介
日本に風俗嬢は何人いるのか?
買春する男の傾向とは?
高学歴童貞男が幸せな理由とは?
弱者を叩く人ってどんな人? etc.
夜のマーケットから政治、他者への厳しさ・やさしさまでーー
印象論が跋扈するデータ不在の領域に、
気鋭のエコノミスト&評論家が、数字を武器に切り込んだ!
数字が示す根拠なきままに、印象や思い込みで語られる事象は数多くある。そこに、「数字だけでは語れない」けれど、「数字なしには語れない」を基本姿勢に、“データ"を用いて切り込んでいったのが本書である。
風俗情報サイトの圧倒的な数のデータを、推測を重ねつつ丁寧に分析すれば、フーゾク業界の産業規模、フーゾク嬢の数、風俗価格の決定方程式などが明らかになる。それらをベンチマークにしつつ、出会い系を通じて売春をする女性たち3000人超のデータを用いれば、現代の売春(ワリキリ)事情が浮き彫りになる。他、「若者」と「希望」の密接な関係、生活保護受給者などへの弱者叩きの背景にある“想像力の欠如"、情報“不足"がデマを生み出す構造……。「ダメな議論」も「当てずっぽうな議論」も、数字が疑う根拠を与えてくれる。
気鋭のエコノミストと評論家がタッグを組んで贈る、オモシロデータ本、そして、社会を見る眼差しを養うドリルが本書である。
ひととおり読んでみての実感としては、『夜の経済学』というよりは『夜の統計学』なんですよね。
大規模にデータをとることが難しい、「風俗産業」の経済規模とか、そこで働いている人たちの収入やプロフィールを、ふたりの著者が実際に集めてきたデータを解析して、推測していくというプロセスが丁寧に書かれている本です。
この本のあとがきにも書かれているのですが、それぞれのデータについて、著者たちは「こういう結果が出ていますよ」と素材として紹介するにとどめていることが多く、あまり詳細な分析や論考はしていません。
この本「夜の世界のお金の話」ではあるのですが、僕にとっては「夜の世界を題材にした、統計学入門」でした。
世の中には「意図的に一部を切り取ったものを『客観的なデータ』として見せているもの」が少なくありませんし(2人に1人が治ったから、50%の高い治癒率!みたいな)、なかなか「実際にすべてのデータをとること」は難しい場合も多いんですよね。
まあ、自分自身が「アンケートに答える側」になったときのめんどくささを考えていただければ、「そのアンケートの統計結果は、どのくらい正確なのか?」も推して知るべし、なのですが。
それでも、多くの人が、なるべく「正確で客観的なデータ」を求めているのが、いまの世の中なのです。
この本は、「風俗業界」を題材とした、そういう「データの見方、取り扱い方」のレクチャー、あるいは「ウソの『データ』に騙されないための指南書」でもあるのです。
ただ、僕自身は「フーゾク業界の規模とか、働いている人の収入」には正直あまり興味がなく(そもそも、他人の財布の話でもありますし)、前半の「フーゾク」「ワリキリ」関連のお金や数字の話については「ああ、そんなものなのか……」という以上の感慨はありませんでした。
プロはこういうふうに統計を出していくのか、というのには、感心したのですけど。
後半の「幸福な若者って、誰のこと?」「生活保護についての誤解」「流言やデマの拡散方法」について書かれているところのほうが、僕個人としては、興味深く読めました。
それにしても、「統計」ってやつは、クリアカットなようでいて、案外曖昧で難しいところがあります。
でもね、「大卒」って、今ドキ、ひとくくりにしていいカテゴリなんだろうか? 飯田(著者のひとり)は大学教員としてすでに10年以上のキャリアがある。そして、非常勤や専門学校・企業研修の講師を含めると、東大早慶から、おそらく読者のほとんどが聞いたことがないであろう大学まで、さまざまな学生を相手に講義をしてきたわけだけど……。トップ大学・上位大学・中堅大学・そしてFランク大学では、(学力だけではなく)学生のカルチャーや常識に大きな違いがある。これを一緒くたにするのはかなり問題がある。
「大学もレベルによっていろいろ」――ここまでは誰だってわかっている。そして、「大学のレベル」とカルチャーの関係を探究する研究が、もっとあってもいいんじゃないかと思われるかもしれない。でも、これがなかなか難しい。「アカデミックな研究」という意味では特に。その理由として「大学のレベル」とは何かという定義問題があるんだ。
例えば、レベルの高い大学では喫煙率が低く、底辺大学では喫煙率が高い――っていう学術的研究を発表しようと思っても、「では、レベルの高い大学って何ですか?」という入口の部分で論争になってしまったりする。その結果、空気を読みながらみんなと仲良くやっていきたいという日本的な研究者ほど、ついつい二の足を踏んでしまうというわけ。
大学教員も「Fランク大学」って言葉、使うのか……
この「喫煙率」の調査、実際に著者はやってみたそうです(2012年10月調べ)。
ちなみに、難関大学に分類したのは東大・東工大・一橋・早稲田・慶応・上智の6校、次の「偏差値60以上70未満」は主にMARCH(明治・青山学院・立教・中央・法政)を中心に9校、中堅大学がいわゆる日東駒専ランクの大学で10校、偏差値50以下の大学に分類されるのが5校だ。
ここでは毎日1本以上たばこを吸うことを「喫煙習慣」と呼んでいる。ヘビースモーカーである飯田が一番驚いたのは平均的な喫煙率の低さだが、それ以上に習慣的な喫煙者の比率が偏差値によってここまで違うことに驚いてしまう。ちなみにこの傾向は男女別にしても変わらない。難関大学での男子の喫煙率が7.6%なのに対し、偏差値50以下の大学では35.9%にものぼる。2012年調査での難関大女子に至っては110人の調査サンプルのなかに喫煙者はいなかった。
「レベルの高い大学では喫煙率が低く、底辺大学では喫煙率が高い」という、「いかにもありそう」な仮説は高い有意水準で確かであると言っていい。その一方で、飲酒についてはこうした傾向は見られない。特に男子だけに限ると、難関大学でむしろ飲酒習慣のある者が多いのが印象的だ。
面白みのない結果、ではあるのですが、その一方で、「そういうのって、偏見じゃないの?」とか思っていた僕にとっては、ちょっと意外、でもありました。
もしかしたら、難関大学の学生は「他人に自分の喫煙習慣を告白することのリスク」を考えているのではないか、とか想像してみたりもして。
このアンケート調査のなかに、面白い結果があったんですよね。
それは、同じ2012年の調査のなかの「幸福度」という項目について。
幸福度を「0(とても不幸)〜5(とても幸せ)」の6段階に分けて訊ねたアンケートの結果です。
幸福度に関して、偏差値50以下層と偏差値60以上70未満の層で「とても幸せ」を選ぶ比率が比較的低いことがわかる。
偏差値60以上70未満といえば、MARCH。飯田が教えている明治大学も含まれる大学群だ。そのなかでも際立つのが、この層の女子の「高幸福度回答(幸福度5)」の低さ。後述するように、基本的には女子は男子に比べて「とても幸せ」を選ぶ傾向が強いのだけれど、このカテゴリだけは例外のようだ。性別・大学による8分類のなかで、もっとも「高幸福度回答」が少なくなっている。一方でもっとも「高幸福度回答」が多いのが、「中堅大学女子」であるという点は非常に興味深い。
ひとつの仮説としてはMARCHの女子の立ち位置問題、将来問題が考えられる。インテリ女子を前面に押し出すには十分な学歴とは言えないし、学歴を無視して”女子”をエンジョイしようと割り切るには大学がよすぎる。
就職にあたっても、大企業総合職への就職は不可能ではないけれど、それはけっこう大変だ。でも、初めから大企業総合職への道を捨ててしまうのは「なんだか、もったいない」。そんな位置づけにならざるを得ないのではないだろうか。
女子の皆様、いかがでしょうか?
「それなりに賢いだけに、いろいろ割り切れなくて、難しい」というのは、なんだかわかるような気がするのですが……
MARCHって、けっこういい大学だと思うのだけれど、だからこそ、いろいろこじれてしまうところも、あるのかな。
こういうのって、「考えてみたら、ありそうなこと」ではあるけれど、実際にデータとして出てこないと「考えすぎだよ、いい大学に通っている人のほうが、幸せに感じているに決まっている」ような気もしますよね。
統計って、「至極当然」「予想通り」の結果が出ることもあれば、「なんでこんな結果に?」ということもある。
もっとも、予想外の結果のなかには、サンプリングの失敗とか、解析のやりかたに問題があった、なんてこともあるので、注意が必要なのですけど。
また「生活保護叩き」については、こんなふうに述べておられます。
ちなみに厚労省によれば、現在の不正受給額は全体のうちの0.4%前後。2012年に、いくつかの自治体が「不正受給はもっとあるはずだ」と徹底調査した結果、それらの自治体では調査前後の比で6割ほど増加したと報じられた。仮に全国が一律、6割ほど不正受給が増加したとしても、全体としては0.6%ほど。そのなかには、書類上の不備なども含まれている。一方で、日本の生活保護の捕捉率は2割ほど。
もし適当な冗談で済ませられるなら、「不正受給を減らしたいなら、捕捉率をあげればいい。それだけで、実質不正受給率が0.1%程度に激減するよ」とでも言ってのけられる。エラー率がその程度の社会システムというのは、ある意味で優秀だといえるわけだし。うん、あんまり出来のいいジョークではないね、これ。でも、結構大事なことなんだけど。
何が言いたいのかといえば、不況が続き、他の制度がうまく機能していないからこそ増加している生活保護という論点のなかから、全体から見れば非常にマイナーな「不正受給」の問題を取り上げて、偏ったイメージでクローズアップする。そのうえで、高齢者や障害者を多く含む生活保護受給者全体に向けて、「減らせ」だの「働け」だのといったでたらめな解決策ばかりを叫んでいる――。こんなできの悪いコントみたいな状況が、現在の日本で展開されているのは、ちょっと笑えないんじゃないか、ということだ。
これを読むと、本当の問題は「0.4%の不正受給」よりも、「捕捉率が2割しかないこと」なのではないか、と思うのですが……
大部分の国民にとっては「自分が困ったときに、もらいやすい制度」のほうが、「不正受給者を徹底的に締め出す制度」よりもメリットが大きいはずなのに。
今の世の中、ちょっと病気になったり、リストラされたりすれば、誰でもすぐに「生活保護レベル」の収入に落ち込んでしまう可能性があるのですから。
結局のところ、「不正受給叩き」によって、損をしているのは、自分たち自身なのです。
まあ、あんまり甘すぎると、国の財政が破綻する(というか、もうしてますが)、というのも事実ではあります。
荻上チキさんは、この本の巻末の飯田泰之さんとの対談のなかで、こう仰っています。
フーゾクとワリキリの調査としていると、「ミクロとマクロの誤謬」というのを感じるよね。悪しき場所による「温床効果」というものを、警察や政治家や教育関係者らはしばしば唱える。つまり、出会い系サイトとか喫茶とか、そうした「場所」があるから、そこで売春という稼ぐ方法の存在を知り、市場価格を学び、ある種、市場化されて、性の搾取をされる女の子たちが生まれてしまうんだ、と。『彼女たちの売春(ワリキリ)』でも書いたけれど、その言説って、その場に流れてくるまでのさまざまな選択の積み重ねや、彼女たちに共通した背景を調べようとする視点を軽視しすぎている。彼女たちがその決定をするに至った背景の一要因として”場所”の存在はもちろんあるけれども、そこを選ばなくてもいい他の選択肢が複数あれば、その場に行かなくてもすんだかもしれない。でも、そうした背景を一切すっとばすと、「今は小遣い稼ぎの売春ばかり」とか、「貧困売春は皆無」とか、ミクロをマクロに置き換える議論ばかりになるんだ。
人間というのは、自分の「経験」や「思い込み」に、ものすごく影響されやすいんですよね。僕自身もそうです。
だからこそ、こういう「データ」で軌道修正していかなければならないし、「正しいデータのふりをして、ウソを信じさせようとする人」に騙されないように、気をつけなければ。
ネットは「世界につながっている」ように見えるけれど、それでも、ひとりの人間が処理する以上、見える範囲って、そんなに広くはならないものだから。