琥珀色の戯言

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【読書感想】サハラ砂漠 塩の道をゆく ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

サハラ砂漠 塩の道をゆく (集英社新書)

サハラ砂漠 塩の道をゆく (集英社新書)

内容(「BOOK」データベースより)
八~一六世紀、西アフリカ内陸部の地に興隆したいくつかの黒人国家は、サハラ砂漠を越えて北から運ばれて来る岩塩と南からの金や象牙、奴隷などの交易で繁栄したという。そして、その中心には伝説の“黄金都市”があった。それらの国家はすべて消え去ったが、往時のままに岩塩が切り出されるタウデニ鉱山と、ラクダのキャラバン「アザライ」によってかつての黄金の都・トンブクトゥに運ばれる塩の交易は、二一世紀の現在も続いている。写真家の著者は、三〇年来の夢を叶え、トンブクトゥからタウデニ鉱山へ往復一五〇〇キロ、アザライに密着する命懸けの旅を敢行した。これは、美しい写真と共に綴られた四二日間の過酷なキャラバンの記録である。


 著者は砂漠に魅せられたカメラマン。
 この新書を書店で見かけたとき、砂漠の「この世のものとは思えない」美しい写真とともに「サハラ砂漠の塩の道って、どういうこと?」とも感じたんですよね。
 だって、塩は海(に近いところ)で獲れるはずなのに。
 サハラ砂漠は大昔は海であり、湖塩や岩塩など「地球上のすべての塩が存在している」そうなのです。そのなかでも、サハラ砂漠の奥地で産出される岩塩は、かつて「王者の商品」と呼ばれ、塩が産出されない西アフリカ南部の森林地帯では金と同じ重さで取引されていたのだとか。

 退色した一枚の写真がある。
 1970年1月、私は荒々しい褐色の砂漠にいた。昼と夜が変わるだけの大地を二週間以上車で異動する毎日。このまま永久に砂の世界から脱出できないと思い込みかけていたある日、突然、水を満々と湛えた大河に出た。目に飛び込んできたのは、マリのニジェール川の岸辺に辿り着いたアザライ(先住民トゥアレグ族の言葉で「塩を運ぶキャラバン」の意)の姿だった。30頭近いラクダの背中には岩塩が積まれていた。
 この岩塩こそ、かつて金と同じ重さで取引された「バー」と呼ばれる板状の塩だ。初めて見るサハラの岩塩に、私は好奇心をかき立てられた。砂漠の真っ只中に眠る岩塩。削られて板状になっているが、どんな姿形で大地に埋まっているのだろう。その場所は地下なのか地上なのか。岩塩を鋸で挽いて板状にするのか。アザライはどんな旅をするのか。タウデニは、トンブクトゥの北、約750キロの流砂の彼方だが、いつかアザライと一緒に訪ねてみたいと思った。しかし、タウデニはフランスの植民地時代から独立後の軍事政権下でも政治犯の流刑地だった。そのため、当時、外国人の立ち入りが一切できなかった。


(中略)


 アフリカの政情は、空模様のように変わる。たまたま治安が良くなった年があった。2002年、世界遺産の撮影で28年ぶりにトンブクトゥを訪ねた時、外国人であもタウデニ鉱山に行けるようになったことを知った。翌2003年12月、早速、アザライと旅をするという夢を実現させるために、四度目のマリに飛んだ。初めてアザライを目にしてから、すでに33年の時が流れていた。本書はこのときの記録である。


 今の世の中であれば、外国から輸入された塩が入ってくるんじゃないかとも思うのですが、少なくとも著者がこの旅をしたいまから十数年前くらいには「サハラ砂漠の岩塩」は珍重されていたのです。
 この地域は政情不安が続いており、現在では外国人の立ち入りは不可能になっています。
 この旅行記も、取材した当時は「旅行記を本にする時代は終わった」とまで言われ、お蔵入りしかけていたものを今回新書化したものなんですね。
 政情不安と時代の変化で、今後同じような取材ができる見通しが立たないことが、この旅行記の価値をさらに高めているのです。
 それが、地元の人たちにとって幸福なことなのかどうかはわかりませんが。

 今日は大きな砂丘を通過するので、撮影に備えて重装備だ。ベストのポケットは、フィルムや交換レンズのほかにピーナッツ、ナツメヤシの実、三角チーズ、サラミなど自前の非常食ではちきれんばかりに膨らんでいる。肩にカメラ二台の入ったバッグをぶら下げ、三脚を背負うと、その重さで砂の中に足がめり込んでいく。アブドラがアルカイダの戦士だとはやし立てた。アザライの隊員たちもそんな眼で私を見ている。サハラの男たちにとってアルカイダは仲間だ。ビン・ラディンは彼らの英雄になっていた。


 読んでいると、サハラの人々には、彼らの流儀や規律、生活があり、それは日本で生活している僕のもの(そして、欧米人たちのもの)とは異なるのだけれど、どちらが正しい、というものではない、ということがわかります。
 もちろん、テロも仕方がない、とは思わないけれど、彼らがアルカイダを支持するのも「騙されているから」ではないのです。


 著者は、還暦にもなって、砂漠で水や食べ物、人間関係に苦労しながら過酷な旅をするなんて、すごいというか、物好きだなあ、とも思うんですけどね。

 アラワンを出ると、次の井戸まで六日かかる。距離を稼ぐために、昼食は乾パンとピーナッツと甘いデーツ(乾燥させたナツメヤシの実)を歩きながら食べた。見渡す限りの砂砂漠だ。左前方に、砂丘群が山脈のようにどこまでも我々の移動と並行して続いている。風が幾何学模様を描く砂の大地に、コブのように砂が吹き溜まった場所がある。そこに、力尽きて無残に白骨をさらけ出したラクダの野ざらしがあった。その近くには、きれいに砂に洗われた人の頭蓋骨もある。タウデニに行くという命懸けの旅が本当に始まったことをひしひしと感じた。
 塩の道は人とラクダの屍を道標にして続いている。しかも数百年の時を重ねて続いてきた。かつて多くのキャラバンが金と奴隷を北へ、サハラの塩を南に運んでいた。当時、金より遥かに儲かる交易は奴隷貿易だった。忌まわしい交易の間、鎖で首を繋がれた何十人という黒人が、裸足で砂漠を越えて北へ引かれていった。1805年の記録には、トンブクトゥからタウデニに向かっていた奴隷を連れた2000人の隊商が不運にも遭難し、渇きで死んだという記録が残っている。それが、今歩いているこの塩の道だ。


 ああ、この砂漠の骨をモチーフにしたミステリがあったな……と思いながら読みました。
 それにしても、わざわさこれを一緒に旅をしながら撮影した著者の砂漠好きと好奇心の強さには圧倒されます。
 こういう人がいなければ、この「塩を運ぶキャラバン」は、歴史に埋もれてしまったかもしれません。
 アフリカ、といっても、今では多くの国で携帯電話が普及し、どんどん西欧かが進んできていますし。

 自然を相手に、ただひたすら歩く。カラフルな砂、青い空と明るい星、強烈な太陽と埃を巻き上げる風。その真っ只中に塩の道がある。朝夕の砂丘の妖しい景観やラクダの長い列は人を惹きつける不思議な力がある。それは私にとって憧れの世界であり、想像を絶する感動の世界だ。よそ者の勝手な感傷かもしれないが、砂漠の旅のたまらない魅力である。人の生活に欠かせない塩のドラマをつい忘れてしまいがちだ。


 この新書の本当の主役は、著者が撮影したサハラ砂漠やキャラバンの写真なんですよね。
 とくに砂漠の写真は素晴らしくて、日本に住んでいる僕にとっては、幻想的で、息を呑む絶景ばかり。
 塩の道に興味がない人でも、書店で手にとって写真だけでも眺めてみていただきたい、そんな旅行記です。


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