琥珀色の戯言

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【読書感想】「ヒットソング」の作りかた 大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
伝説の名プロデューサーが、あの「名盤」誕生の真相を明かす。
なぜ彼らの歌は色褪せないのか? シュガー・ベイブ竹内まりや加藤和彦フリッパーズ・ギター、そして忌野清志郎坂本龍一の「い・け・な・い ルージュマジック」など……、数々の大物ミュージシャンの音楽プロデュースを手掛け、今日まで40年以上業界の最前線で活動を続けてきた伝説の仕掛人が、彼らの素顔と、長く愛され、支持され続けるものづくりの秘密を明らかにする。


 著者は1960年代の半ばから現在(2017年)まで、音楽制作の現場で音楽ディレクター、プロデューサー等として活動されてきた方です。
 大瀧詠一さんや山下達郎さん、坂本龍一さんなど、名だたるアーティストと真剣勝負しながら、日本の音楽シーンの変遷をみてきた、というか、その変遷をつくりあげてきたのです。

 僕は1972年にユイ音楽出版で音楽ディレクターとして、1973年にON・アソシエイツ音楽出版でCM音楽ディレクターとして、音楽制作の道を歩み始めました。そこで素晴らしい才能と出会います。
 それが大滝詠一さんでした。大滝さんのCMソング作りの現場を通じて、僕はプロデュース、作曲、作詞、編曲、歌唱、演奏、レコーディング技術……、その一つひとつを会得するヒントをいただき、いえ、盗ませていただいたのです。
 CMソング「サイダー73」の詞を担当された伊藤アキラさんは、以前こう言っていました。「楽曲はもちろん素晴らしいものでした。加えて、「大滝商法」のおかげで思いのほか多くの印税をいただきました」。大滝さんは15秒、30秒のCMソングをレコード化して売るつもりで、最初から作品制作にあたっていました。後のナイアガラ・レコード構想は、出発点ですでにあったものなのです。
 こうした手法もまた、大滝さんから盗ませていただいたものの一つです。
 大滝さんから始まった縁は、円を描くように、シュガー・ベイブへ、坂本龍一さんへ、さらに細野晴臣さんへ、センチメンタル・シティ・ロマンスへ。そこから1980年代のノン・スタンダード・レーベル、90年代の「渋谷系」の時代へと続いていきます。


 この新書では、著者が実際に関わった、さまざまなアーティストの素顔やヒットソングが生まれるまでの経緯が紹介されています。
 興味深いのは、著者が彼らの音楽を現象として語るだけではなく、その技術的な側面についても簡潔に紹介していることなんですよね。

 今日、はっぴいえんどが日本のロック、あるいは広い意味でのポップスの始まりだと言われるのは、サウンド、アレンジというものを極めて重要視した音楽を生み出したことが大きいでしょう。60年代後半のグループサウンズや和製ロックでは、中低域の音、ベースやバスドラムの音に対する配慮がまったくと言っていいほどありませんでした。
 はっぴいえんどがこだわったのは、一つには、中低域がしっかりした音で作りたいということでした。曲作りの段階でサウンド、アレンジまで含めてそうしたイメージがしっかりとあり、それは決して譲れないものだったのです。はっぴいえんどは「日本語のロック」という面で評価され、それまでの「日本語のロックは英語のロックに劣る」というコンプレックスを駆逐したことが強調されがちですが、そのことと同じくらい、洋楽に匹敵するサウンドを構築したということも重要なのです。


 「日本語の歌詞」の功績が語られることが多い「はっぴいえんど」なのですが、サウンドやアレンジ面でも「洋楽に負けないもの」をつくりだした、ということなんですね。
 この本を読んでいると、大滝詠一さんや山下達郎さんの妥協しない仕事ぶりに、なんだか納得してしまうのです。
 ちなみに、大滝さんは、納得がいくものができるまで、徹底的にやるタイプで、山下さんは、「仕事が速く、三時間と言ったら三時間、五時間と言ったら五時間で仕上げてくれた」そうです。


 大滝さんは、良い音楽をつくるのと同時に「ヒットさせる」ということも、徹底的に追い求めていたのです。

「サイダー’73」の詞を伊藤アキラさんに頼むときに、「始まりはあ行でお願いします」と大滝さんが言ったという有名なエピソードからは、大滝流「ヒットソング」の作り方の一端がうかがえます。大滝さんは、
一拍目からリスナーを引き込むためにはインパクトのある「あ行」が効果的だということをわかっていました。この依頼を受け止めて伊藤アキラさんが書いたのが、ご存知の「あなたがジンとくる時は/私もジンとくるんです/サイダー」という出だしです。
 大滝さんは、多くの人の耳に残る曲の手法を理解していました。大正時代に大流行した「唱歌」には、じつはヒット曲作成のコツが詰まっています。例えば、野口雨情の唱歌「雨降りお月さん」や「青い目の人形」などには、歌いだしが「あ」から始まるものがたくさんあります。そしてリフレイン(繰り返し)が多く、耳に残ります。
 さらに「証城寺の狸囃子」など、振りがついている曲は盆踊りでも好まれました。踊れる曲のほうが売れやすいことも、大滝さんは十分にわかっていたのです。


 これを読みながら、僕は、大滝さんの最大のヒット曲となった『幸せな結末』(ドラマ『ラブジェネレーション』の主題歌)も、最初は「あ」だったっけ?と確認してみたのですが、歌いだしは「髪をほどいた 君の仕草が」と「か」だったんですよね。
 「か」なら、母音は「あ」だから、ということなのか、この時期、この曲に関しては、そんなにこだわらなかったのか。
 以前、引っ越し業者はなるべく電話帳の最初のほうに載るように「あ」で始まる名前をつけていた、という話を聞いたことがあって、こういうのって、けっこう大事なことなのかもしれませんね。


 著者は、忌野清志郎さんと坂本龍一さんがコラボレーションした『い・け・な・い ルージュマジック』の制作にも、二人を結びつける、中心的な役割を果たしています。
 この曲、小学生のときに『ザ・ベストテン』で観て、「なんなんだこのオジサンたちは……見てはいけないというか、こんなのゴールデンタイムに、『ベストテン』で流していいの?」って、驚いた記憶があります。
 いまでもサビの部分は歌えるんですよね。

 「い・け・な・い ルージュマジック」というタイトルが無事通ったことで火がついたのか、曲の仕上げはものすごい勢いで進みました。しかし、しばらくして坂本さんが「何か足らないと思わない?」と悩み始めました。
 聴いてみて、僕は何が足りないのか、すぐに気づきました。そこで「アッコちゃんの『ほーら、春咲小紅』の『ほーら』がないですね。この曲にはそういう呼びかけがいるのでは?」と言うと、坂本さんは「そうそう、それそれ」と納得の顔です。
 前年の1981年のカネボウのCMソングだった矢野顕子さんの「春咲小紅」を例に説明すると、前奏からすぐに「春咲小紅」と始まるのと、「ほーら、春咲小紅」と始まるのとでは、視聴者を曲に引き込む力がまったく違ってきます。
 特にCMは短いと15秒の世界ですから、聴き流されないよう、視聴者の興味を最初にぱっと引きつけなければなりません。「ほーら」と聞こえることで、聞いた人は「なんだろう」と思い画面を見る、という反応を引き出すことができるのです。
 そこで坂本さんは清志郎さんに「ここのところに、何か言葉入れて」と話をふりました。その言葉は「ベイビー」だと、みなわかっていたと思います。すぐに清志郎さんが鼻歌で「ベイベー、オー、ベイベー」と歌うと、そこにいた全員の笑顔が弾けました。
 二度繰り返したのは清志郎さんのセンスです。しかも「ベイビー」じゃなくて「ベイベー」。「い・け・な・い ルージュマジック」が完成した瞬間です。


 これを読んで、僕も「その瞬間」に居合わせたような、そんな幸せな気持ちになりました。
 そうだよね、「ベイビー」じゃなくて、「ベイベー」じゃないと!


 「CDが売れない時代」「音楽産業の衰退」が叫ばれて久しいのですが、著者は、今の状況というのは、「それまで大手事務所やマスメディア主導だったのが、インディーズやライブハウスから、新しいミュージシャンたちが自力で芽を出してきた60年代~70年代に似ているのではないか」と仰っています。
 「右肩下がりの音楽産業」という固定観念にとらわれていた僕は、ああ、長いスパンでみれば、そういう見方もできるのだな、と感じました。
そして、今はけっして、「悪いことばかりの時代」ではないのかもしれないな、とも思ったのです。


MAGIC?Kiyoshiro The  Best

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