琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

【読書感想】競輪選手 博打の駒として生きる ☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
トップ選手に上りつめたオールドルーキー、武田豊樹の初著作!

「1着賞金1億円、2着賞金2,000万円」最高峰のレースはわずか数センチの差に8,000万円もの違いが生まれる。競輪――人生の縮図とも言える昭和的な世界。15億円を稼いだトップ選手が今、初めて明かす。


 僕は競馬に関しては、かなりの情熱を傾け、お金も投じてきたのですが、それ以外の公営ギャンブルに関しては、ほとんど興味がありませんでした。
 競輪も一度だけ行ったことがあり、そのときは、ビギナーズラックで少し勝ったのですけどね。
 一緒に行った詳しい人たちが、「その車券は、競輪に詳しいヤツは買えないよなあ」と言っていたのを覚えています。
 競輪の場合は、地元が近い選手協力しあって「ライン」をつくって、そのラインどうしの駆け引きがあるとかいうのはまだわかるとしても、「あの選手は子どもが生まれたばかりだから来る」とかアドバイスされると、「そんな人間関係や選手のプライベートに結果が結びつくようなギャンブルは、うさんくさいなあ」と思ったんですよ。
 競馬なら、走るのは馬だから、と割り切らざるをえないのだけれど。
 この本を読んでいると、開催者側も「公正」であろうとしていますし、選手たちも、「八百長」的なことはやっていないのではないか、と思われます。
 もしあったとしても、そんなことは書けないでしょうし、競輪好きの人たちは、そういう人間関係まで含めて予想するのが楽しいのだ、と言うのです。
 僕の個人的な希望としては、「競輪」の世界の「情」の部分をもう少し深く掘り下げてほしかった、とも思いました。

 競輪をまったく知らない人が競輪のレースを見れば、「やるかやられるかの世界」のように感じるのでしょう。実際、一歩間違えれば大怪我につながるような危険なシーンもよくあります。それなのに、レースが終われば拍子抜けするほど選手同士はさっぱりしている。転ばせる寸前まで頭や肘や肩をぶつけ合っていた者同士が、レースが終わると笑って話しながら敢闘門(選手がバンクに出入りする門)に引き上げてきます。こんなことは、普通の感覚では理解しがたい光景です。つまり、競輪選手たちは命を落とすかもしれない危険な行為を、あくまでもスポーツの感覚で乗り切っているのです。
 それを象徴する面白い習慣があるのですが、レース直後に1着を取った選手が同じレースを戦った他の選手にスポーツドリンクや水を配ります。好きも嫌いも、敵も味方も関係なく全員に配るのです。規則ではないけれど、やらない人は誰ひとりいません。これはご祝儀的な意味合いではなく、「バンバンやり合ったけれど、これで終わり。すべて水に流そう」ということ。長い競輪の歴史のなかで誰がやりはじめたかはわかりませんが、とても気持ちのいい儀式だし、最初に考えた人は偉いと思います。
 こんな独特な儀式からも、選手たちの人情味や懐の深さを垣間見ることができるのではないでしょうか。
 ちなみに、1着の少ない選手が久しぶりに勝って、照れ隠しに「ポカリの配り方忘れちゃったよ」なんて言っているのは、微笑ましい光景のひとつです。


 こんな「儀式」があるのか……細かいことをいうのなら、「公正な競争」の原則に反しているのかもしれませんが、こういう儀式が必要なくらい、レースではみんなが命を削って勝負している、とも言えます。著者も「命がけでレースをしている」と何度も述べているのです。
 
 スピードスケートに限界を感じて、年齢制限ぎりぎりで一度競輪学校を受験したものの不合格だった著者は、その後、スケートに復帰し、オリンピックにも出場しています。そして、特例措置で、28歳で競輪学校に合格し、「元オリンピック選手のオールド・ルーキー」として注目を集め、その期待を裏切ることなく、競輪選手として活躍しているのです。
 オリンピックに出るくらいのエリートアスリートなのだから、と言いたいところですが、この本を読むと、著者のストイックさ、練習熱心さには圧倒されるばかりです。

 お金に関係することとして、稼げる選手と稼げない選手のちがいは見ていてすぐにわかります。これは、勝てる選手と勝てない選手と言い換えることができるかもしれませんが、練習の力を本番で発揮できるかどうかがすべてでしょう。
 競輪学校に入ってくる時点で肉体的なパワーや運動能力はあるわけですから、誰でも勝てる力は絶対に備えています。それなのになぜ勝てないのか? それは、練習というのはそれほど緊張しないのに、レースは緊張するものだからである。
 僕はいつもこんなことを考えています。


 緊張するのは、自分に期待しているから。
 期待するのは、苦しい練習をしてきたから。


 実は僕自身は、凄く緊張するタイプの人間です。競輪選手としての経験が浅かったことなどは、いつもレースの3日前くらいから緊張しはじめていました。そんなとき、俯瞰して緊張している自分を見ると、「子どものころから本格的にスポーツをやってきた。そのうえ、これだけ練習もやってきたのに、なんでレース直前になるとトイレに行きたくなるんだろう?」なんて、思わず笑ってしまうこともありました。
 そこから経験を積み、緊張しているなかで力を発揮する方法も身につきました。まずは、「毎日の練習を頑張っているから緊張するんだ」と、硬くなっている自分を受け入れることが肝要です。その次にやるべきことは、自分のなかでわかっているデータを活用しながら上手に戦っていくこと。たった、それだけのことです。
 そういった、勝つために持つべき頭のなかの回路をきちんと理解し実行できている人は勝てるし、稼げる選手になることができる。


 こういう「稼げる人になるための考え方」は、競輪選手にだけあてはまるわけではないと思います。
 著者は、デビューが遅かったこともあり、自分の基礎体力が落ちていくなかで、どうやってコンディションを整え、他の選手たちと戦っていくか、ということに、より真剣に向き合っているのです。
 理想とのギャップを嘆くのではなくて、いま、自分が持っているもので、どう勝負していくか、なんですよね。


「おおまかに言えば、『疲れていたら休むし、疲れていなかったら練習する』ということ」だそうですが、このルールをきちんと守るのは、けっして簡単なことではないはず。


 競輪では、レース中で反則をすると事故点が累積されていくのですが、その点数が大きくなると、出場停止や違反訓練といった処分が下されます。
 そのなかに、選手がもっとも嫌がる「お寺行き」という「別格の罰則」があるそうです。

 京都の黄檗萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)で行われる違反訓練を「お寺行き」と呼び、僕も過去にその違反訓練の経験があります。それが決まると、数日前からテンションはガタ落ちに。罪の重さによって日数が変わり、罰則が重いと6泊7日にもなります。修行と銘打ってはいるものの、肉体を武器にする選手にとってはある意味かなり厳しいものです。
 早朝から境内を掃除して、坐禅を組んで、お坊さんの説法を聞かされる。その間、選手はみんな一様に暗い表情をしています。食事は質素な精進料理が出てきます。体重制限のない競輪選手は食べたいだけ食べる生活に慣れているので、これがまた最高に苦しい。帰るころには数キロほど痩せているのが普通です。当然、トレーニングができないので筋力も落ちてしまいます。とくに冬場にこの罰則を食らうと、尋常じゃない寒さが待っていることにもなる。その寒さで、体調を崩してしまう選手もいるほどです。
 競輪場の宿舎と同様に、お寺も基本は4人部屋。普段の競輪宿舎は気心の知れた同県の選手と過ごすのでストレスはあまりないのですが、お寺だといままで話したことのない選手たちと一緒の部屋で過ごすことになる。すると、やっぱり落ち着かないし、変に気をつかってしまい精神的にも辛い状況に追い込まれていきます。それでいて参加費は自腹で数万円を徴収されるわけですから、本当にいいことなんてひとつもありません。


 本当に効果があるのだろうか、と疑問ではあるのですが、こういう「修行システム」を守り続けているのも、「競輪」らしいとは言えそうです。

 いま、日本で「競輪選手」として食べているのは約2300人程度。選手としては、プロ野球より多くの人が生業としているプロスポーツなんですね。
 そのなかで、『グランプリ』に出場できるS級S班に所属できるのは9人だけ。
 厳しい世界だけに、ドラマもある。
 そろそろ、競輪もちょっとだけやってみようかな。
 そんなことを思いながら読みました。


ギャンブルレーサー(1) (モーニングコミックス)

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これで競輪のすべてがわかる―競輪はKEIRINに変わった (サンケイブックス)

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