琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

『日記才人』閉鎖から1年


独酔亭日乗 7月15日

日記才人』閉鎖から、もう1年も経ってしまったのか、というのと、まだ1年しか経っていないのか、というのと。
1年前はあんなに感傷的になっていたのになあ。
今年の2月には、『Read Me!』も完全に閉鎖され(というか、メッセージだけはまだ残されていますが)、いわゆる「昔ながらの(善くも悪くも「馴れ合い」的な)テキストサイト、日記サイト文化というのは、もう、ほとんど失われてしまったかのように思われますし、いま、新しくブログを書き始めた人たちが、誰かに読んでもらおうと思ったときには、いったい、どういうふうにして「アクセスアップ」(これすらも、もう「死語」に聞こえてきます)を試みているのでしょうか?
地道にトラックバックを送っていくか、一か八か他所にケンカを売ってみるか、あるいは、『mixi』でクローズだけど「誰かが読んでくれること」を保証された空間で書くことを選ぶのか。
各ブログサービスのアクティブユーザー数の統計を見ていると、何年か前までは「右肩上がり」のはずだったのに、最近はすっかり「停滞期」に入ってしまったようです。
今後、「もう、無名の個人がブログを新しく始めても誰も見てくれない」ということにみんなが気づいてしまったら、果たして、今のような「無料ブログサービス」は維持していけるのでしょうか?
僕たちが「より良い時代への過渡期」だと思っていた時代は、実は「最盛期」だったのかもしれないな、と最近よく考えます。

みんなは信じてくれないかもしれないけれど、「ネットにサイトを持っている者同士」というだけで、「仲間意識」を感じていた時代があったんだよ。
そんなに昔の話じゃないはずなのに、なんでこんなに懐かしいのだろう?

メッタ斬り!版 第139回芥川賞直木賞選考会


「メッタ斬り!版 第139回芥川賞・直木賞選考会」

 そういえば今日発表だったということに気がついたので、「いつものやつ」を御紹介しておきます。

 それでも、「芥川賞は、前回から続けて候補になった楊逸さんシフトなんじゃないの?なにせ北京オリンピックの年ですから」(豊崎)
と、話題性バツグンの候補者もいる! 

 それで選ぶのかよ……(とも思うのですが、まだ候補作は読んでませんすみません)
 しかし、今回はお二人の作品評価が軒並み低めですね……


せっかくなので、僕の予想も再掲しておきます。

芥川賞:◎受賞者なし ○楊逸 ×津村記久子

直木賞:◎萩原浩 ○三崎亜紀 ×受賞者なし

芥川賞に楊逸さん、直木賞に井上荒野さん


芥川賞に楊逸さん、直木賞に井上荒野さん(毎日jp)

第139回芥川・直木賞日本文学振興会主催)の選考委員会が15日、東京・築地の「新喜楽」で開かれ、芥川賞楊逸(ヤンイー)さん(44)の「時が滲(にじ)む朝」(文学界6月号)に、直木賞井上荒野さん(47)の「切羽(きりは)へ」(新潮社)が決まった。

 今回の候補作はすべて未読だったので、作品に関してはなんとも言いようがないところではありますが、楊逸さんへの授賞に対する各選考委員(とくに、前回「日本語が未熟」と断じた山田詠美さん、宮本輝さん、石原慎太郎さん)の選評が楽しみです。

毎日jp』には、興味深いこんな記事も。

芥川賞:「日本文学」から「日本語文学」か…楊逸さん受賞

 受賞作は前作の「ワンちゃん」同様、登場人物の性格や心情などをはっきりと描き分け、情景を太い線で力強くデッサンする。何を書きたいかはっきりと読者に伝える熱気があり、洗練された他の候補作と対照的だ。

 楊作品の“越境者の文学”としての魅力は、その独特な比喩(ひゆ)にもある。「田舎色の歯」「西北風を飲む暮らし」「空が魚の腹のように白くなって」など、中国の慣用句を直訳したような書き方が、従来の日本語にはない魅力を感じさせる。

 助詞の使い方や描写の進め方も一見ぎこちなく、スムーズではないかもしれないが、抵抗感にゴツゴツした確かさがある。

 こういう比喩や表現って、「越境者」という背景を抱えていれば「従来の日本語にない魅力」なのかもしれませんが、もし日本人作家が全く同じ小説を書いたとしたら、「へたくそ!」と一蹴されていたような気がします。 僕はジェロが歌っているのを聴くたびに「たぶん、同じくらいの技術があって、懸命にプロモーションしているにもかかわらず全然売れない日本人の演歌歌手がたくさんいるんだろうなあ」と思うんですよ。
 「作者のキャラクターも作品の一部」であることは厳然たる事実なのだとしても。

切羽へ

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