琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

mixiの未来予想図

http://note.fwss.jp/?date=20050729

さて、mixiはこれからどうなるのか?という話なのですが、登録者が100万人というのはけっこうな数字である一方、自分から積極的に周囲の人をmixiに誘うような人ではない、「隠れネットフリーク」な人(たとえば僕とか)の場合、周りの誰がmixiに入っているかなんて、全然わかんないんですよね。100人にひとりで、お年寄りや子供は少ない(というか、18禁か)とすれば、それこそ、けっこうたくさんの人がいるのではないか、と考えられるわけです。
しかし、そういう状況になると「会員制」のメリットというのは、どんどん少なくなっていくんですよね実際のところ。いや、そもそも「趣味」は、多かれ少なかれ「閉鎖性」を有しているもので、昔の「パソコン通信」の時代というのは、「パソ通に参加していること」そのものが、ひとつのコミュニティの要素であり、その場にいるだけで、「仲間意識」があったわけです。「インターネット」というのも、ちょっと前までは、そういう類のものだったような気がします。「ホームページ持ってます」というのは、ひとつの「属性」であり、たぶん、個人のホームページを見に来る人には、自分もホームページを運営している人の割合が高いのではないでしょうか。「2ちゃんねる」が、まだアングラだった時代には、「2ちゃんねる用語」が出てきただけでニヤニヤしていた人も多かったのではないかなあ。
でも、今となっては、「ネットをやっている」ということだけでは、「仲間意識」というのは生まれてこないと思うんですよね。「電車男」が20%の視聴率をたたき出しているのだし。
mixiは、その「一般化」の重要な岐路に立っていて、これ以上メジャー化したら、初対面の相手に、「マイミクになろうよ」とか言われるように必ずなってくるはずです。そうなると、社会通念上、「差しさわりの無いこと」しか書けなくなる場合も多そう。「誰に見られても困らないような内容」にせざるをえず、そうなると、僕みたいに「友人のみ公開」としてクローズな場所としてmixiを利用している人間には、住みにくくなっていく一方になるでしょう。それこそ、「カモフラージュ用」のプロフィールを作って置いておかなければならないのではないか、と。
正直、もう、「祝祭の場」としてのmixiは、既に終わりつつあるのではないでしょうか。最初に携帯電話を入手した人たちは「今、どこからかけてると思う?」なんて嬉しそうに電話をかけていたにもかかわらず、現在では「ああ、いつでもどこでもかかってくる携帯電話って、めんどくさいなあ…」という人が増えてきているように。コミュニティでも、「声の大きい人たち」が仕切って、あとの人はなんだかついていけねえなあ、と冷ややかな視線でそれを眺めているようなところが増えてきているようであり、これは、パソコン通信やインターネットそのものがたどってきたのと同じ道のりなのです。結局、mixiの終着点って、個人個人に特化したポータルサイトみたいになっていくか、それとも、飽きられて衰退していくかのどちらかしかないような。
全体としては拡大していくけれど、個々は閉鎖的になっていって、そのうち、miximixiみたいなのができてくるかもしれません。マイミクオブマイミクとか。
昔は、「パソコン通信」や「インターネット」という「趣味の世界」そのものが「mixi」だったんですけどねえ。

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