琥珀色の戯言

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ネットカフェ難民―ドキュメント「最底辺生活」 ☆☆☆


ネットカフェ難民―ドキュメント「最底辺生活」 (幻冬舎新書)

ネットカフェ難民―ドキュメント「最底辺生活」 (幻冬舎新書)

内容(「BOOK」データベースより)
金も職も技能もない25歳のニートが、ある日突然、実家の六畳間からネットカフェの一畳ちょいの空間に居を移した。パソコンで日雇いバイトに登録し、日中は退屈で単純な労働に精を出す。夜は11時以降が入店条件の6時間深夜パックで体を縮めて眠りを貪り、延滞料金をとられないよう、朝は早く起床。時にファミレスや吉野家でささやかな贅沢を楽しむ。やがて目に見えないところで次々に荒廃が始まった…メディアが映し出さない“最底辺”の実録。

この新書、「ドキュメント」とタイトルにありますが、実際は著者による「ネットカフェ難民体験記」です。
実家がすぐ近くにあり、何か大きなトラブルがあれば逃げ込めるという状況のなかでの「ネットカフェ難民体験」。
ホームレスたちがしている「体験」とホームレスの研究者が彼らと同じ生活をしてみるという「体験」が異なるように、この本を読んで「ネットカフェ難民」がわかるということはないでしょう。
というわけで、ライターさんがネタのために「ネットカフェ難民ごっこ」とは良い身分だねえ、などと思いつつ読んでいたのですが、この新書、「ネットカフェで寝泊りすることによって、自分探しをした人の日記」だと考えれば、けっこう面白いんですよね。日雇いの現場での人間関係とか、ついパチンコとか麻雀をやっちゃうところとか。

この本のAmazonのレビューでは、もうこれでもかとばかり、「何が最底辺だ!」と叩かれているのですが、僕はこういう「面白半分ではじめてしまって、そのまま抜けられなくなってしまった若者」って、けっこういるんじゃないかと思うんですよ。
その一方で、本当に困窮していて、仕事も見つからない「中高年ネットカフェ難民」も存在しているのですが。

たとえば、人がタバコを吸うようになるきっかけは何か?

はじめて吸った1本が美味くてたまらなかった、という人はほとんどいないはずです。
多くの場合、「なんかカッコよさそう」というような漠然としたイメージで吸いはじめ、いつのまにか抜けられなくなっていく。
いまの世の中で、「タバコの害」について理解していない人はほとんどいないのに、そして、けっしてすぐに「美味しい」と感じるようなものでもないのに「なんとなくカッコつけて吸っているうちに、いつのまにか手放せなくなってしまう」。
「不倫」とか「パチンコ依存」っていうのも、こんな感じなのではないかと。
喫煙者ごっこ、不倫ごっこ、パチプロごっこをしているうちに、「ごっこ」じゃなくなってしまう。
みんな「それは善くないことだ」と頭ではわかっていても、抜けられなくなっちゃうんですよね。
ダメになりたい衝動というのを、多くの人は潜在的に抱えているのです。

これを読みながら、以前読んでいたパチンコ雑誌に「また1000回ハマり!」などという「実録レポート」を書いていたパチプロの日記を思い出しました。人間って、ちょっと文学にかぶれてしまったりすると、自分が置かれている悲劇的な立場に自分で酔いがちなんですよ。
5年くらい前のインターネットには、「不倫日記」っていうのがたくさんあって、僕は「何が『純愛』だカラダ目当ての男に遊ばれてるだけじゃねーかバーカ!」などとディスプレイに向かって毒づいていたものですが、やっている本人にとっては、「ドラマの登場人物になったみたいな気分」なんですよねああいうのって。その感覚に慣れてしまうと、なかなか「普通の女の子」には戻れない。

僕は「興味本位でネットカフェ難民になってみたはずなのに、いつのまにか抜けられなくなってしまった人」がけっこういるのではないかと想像しています。いまの日本のような「餓死や戦死があまり身近ではない国」では、それもまたひとつの「現実」なのでしょう。

向上心が乏しい人間、「生きがい」を見つけられない人間、人間やってるのがめんどくさい人間……
そういう人にとって、「自分を言葉にすること」は禁断の果実なんじゃないかな、という気がします。

もちろんこれは、僕自身の問題でもあります。
自分にとって嫌なこと、社会にとって不幸な事件でも「これでネタができた!」って考えてしまうのは、やっぱりおかしいよね。

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