琥珀色の戯言

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夜行観覧車 ☆☆☆


夜行観覧車

夜行観覧車

内容(「BOOK」データベースより)
父親が被害者で母親が加害者―。高級住宅地に住むエリート一家で起きたセンセーショナルな事件。遺されたこどもたちは、どのように生きていくのか。その家族と、向かいに住む家族の視点から、事件の動機と真相が明らかになる。『告白』の著者が描く、衝撃の「家族」小説

うーん、なんだか消化不良な作品。
ひとつの「事件」が、多くの人の視点から語られるのは、同じ湊さんの『告白』もそうでしたし、桐野夏生さんの『柔らかな頬』が僕の印象に残っているのですが、この『夜行観覧車』は、ミステリとしての意外性も、家族小説としての心理描写の深みも中途半端でした。メディア批判のメッセージとしても弱すぎる。
もちろん、こういう作品には、はっきりとした「謎解き」が必要、とは限りません。
でも、この作品には、「真相がわからないからこその不気味さ」も感じないんですよね。

湊さんというと、どうしても『告白』と比較してしまうのですが、あちらが、「そこまでやるか!」と読者を唸らせ、呆れさせる「過剰な小説」であるとするならば、こちらは、より「小説的な曖昧さ」や「読者の解釈の自由」を尊重した小説ではあります。
ただ、そういう「小説らしいところに着地してしまう小説」に、みんながちょっと飽きてきているからこその『告白』人気という面もあったのではないかと思うのです。

それにしても、これを読んでいると、子供が多くくなるとか、マイホームを持って御近所づきあいをしていくこととか、自分にも十分予想されるさまざまな未来予想図が不安なものになってきますね。
「家族間の残酷な事件」というのは、マスメディアにとって、「おいしいネタ」として消費されてしまうのだけれども、どんな家族にだって、多かれ少なかれ「問題」はあるものです。そもそも、マスコミやワイドショーのキャスターだって、自分の家庭には「問題」を抱えている人が多いはず。
そういう大小の「家族の問題」が、ちょっとしたきっかけで「一線」をこえてしまう可能性は、どこにだってあるのだと思う。

僕の父親は医者だったのですが、子供のころは、そのことに誇りを感じていたのと同時に、「お父さんはお医者さんだからねえ」と言われるのが本当にイヤでイヤでしょうがなかった。「勉強ができる」のは、親が医者だからじゃなくて、僕がそれなりに勉強していたからだっていうのに!そもそも、そういう「違う人種」みたいに言われることが悲しかったんだよなあ。
その一方で、玩具や本をたくさん買ってもらっていましたから、利用はしていたわけです。
なんかね、親というのは、子供にとって、なにかと「問題の要因」にはなりやすいですよね。
僕の子供も、同じように言われるのかと思うと、申し訳ない気がします。

やっぱり、「家族」って難しいね、本当に。

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