琥珀色の戯言

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何かのために sengoku38の告白 ☆☆☆☆


何かのために sengoku38の告白

何かのために sengoku38の告白

内容紹介
sengoku38のハンドルネームでYouTube尖閣諸島での中国漁船と海上保安庁の巡視船の衝突ビデオを投稿した元・海上保安官。なぜ彼はビデオを公開しなければならなかったのか? 誰に、何を訴えたかったのか? いつ、どのように決意し、どうやって行動を起こしたのか……。ビデオを入手した様子から、政府が非公開を決定したときの驚愕、そして決意まで、全てを白日の下にさらす独占告白手記。

この本の前半を読みながら、僕は少しがっかりしていたのです。
ああ、これは「尖閣ビデオ」を公開した「sengoku38」という人の政治的な主張のための本なのか、と。
海上保安庁の仕事や尖閣諸島の情勢の「解説」がけっこう書かれていて、勉強にはなるけれども、「sengoku38」の肉声はあまり伝わってこない気がしたのです。


でも、辛抱してしばらく読み進めていくうちに、僕にもようやくわかりました。
sengoku38」が求めているのは、個人的な名声ではないし、自分語りをしたいわけでもない。
彼は自分のことを伝えるためにこの本を書いたのではなく、いまも日本の海で任務になたっている海上保安官たち、そして、日本人たちに伝えたい「何か」があったからこそ、あのビデオをYouTubeに流し、名乗り出たのです。
日本の海上保安官たちの「立場と心情」について、「sengoku38」氏は、こんなふうに語っています。

 発砲した後に撃った弾を戻せというような命令が発せられると考えている人間と、撃てば英雄になれると考えている人間では、結果はおのずと見えてくるであろう。

尖閣ビデオ」を公開した「犯人」が発覚したことで、多くのメディア、そして、僕自身も、肝心のビデオの内容よりも、「どんな人が公開したのだろう?」という「わかりやすい一面」にばかり興味が向いてしまって、ビデオの中身の検証は、二の次になっているように思われます。
sengoku38」氏(って、もう御本人が実名で本も書かれているので、一色さん、でいいですよね)の今回の行為は「公務員として是か非か?」
「国民の利益に奉仕する」という意味ではある意味「当然の行為」だけれど、「組織の一員」としては、「出すなと言われているものを表に出した」のだから、「裏切り行為」。
(ただし、一色さん自身は、あのビデオ公開が「守秘義務違反」にならないという主張を、この本のなかで堂々とされており、僕もその主張には頷けます)

しかしながら、残念なことに、日本の大部分のメディア(そして視聴者)の興味は、一色さんの人物像とか、ビデオの公開は、公務員として妥当だったのかという議論に向かってしまって、もっとも大事な問いかけは、(わざとなのか、視聴率がとれないから無視しているのか、政治的な配慮からなのかは不明ですが)、スルーされてしまっています。

「もっとも大事な問いかけ」というのは、
「なぜ、『尖閣ビデオ』は国民に対して「非公開」とされていたのか?」
「非公開にした責任者は誰なのか?」
「そもそも、このビデオを『非公開』にするのは、妥当な判断だったのか?」


ウィキリークス』で公開されている「国家機密」を見てみると、その大部分は「単なるうわさ話や週刊誌のゴシップ記事レベル」なんですよね、実は。
(ただし、「最高レベルの国家機密」は、これまで『ウィキリークス』では公開されていません)
リビアカダフィ大佐は、愛人の看護師とベッタリで、彼女と一緒じゃないと外国にも行けない」なんていうのが「国家機密扱い」にされているのです。
僕は以前、有名なスパイが、「スパイが得る情報の95%は、現地の新聞や雑誌の記事として誰にでも読めるものだ」と語っていたという話を聞いたことがあります。
スパイ映画に出てくるような「すごい国家機密」なんていうのは、現実にはほとんど存在しません。

 今回の事件で、私は自分の考え方を人に押しつけるのは本意ではなかったので、そのように行動していた。ただ、あのビデオを見て一人ひとりが考えてほしかったのである。考えることは多い。


 なぜ、尖閣諸島は日本の領土なのか。
 なぜ、領土を守らなければならないのか。
 なぜ、中国や台湾は、尖閣の領有権を主張しているのか。
 なぜ、最近になって中国漁船が大挙して尖閣諸島付近に現れるのか。
 なぜ、中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりしたのか。
 なぜ、中国はあれほどまでに中国人船長の釈放を要求したのか。
 なぜ、日本政府は中国人船長を釈放したのか。
 なぜ、ビデオを非公開としたのか。
 なぜ、残りのビデオが公開されないのか。
 なぜ、日本の海上保安庁は中国漁船を取り締まれないのか。
 なぜ、尖閣は自国の領土と言うが、何人も上陸できないのか。
 そして、今後、日本はどうすべきなのか。


 しかし、自分で考えるのは面倒なものである。人の意見に従って、何不自由なく生きていけるのであれば楽である。仕事でも上司の命令をひたすら守り、家では妻の言うことだけを聞いていれば楽かもしれない。
 それにしても、いつから日本人は考えるのをやめてしまったのだろう。

 一色さんに対するわかりやすいゴシップ記事や「公務員の職責」について語られることはあっても、「本当に大事なこと」を考えている人は、ごくわずかです。
 

尖閣ビデオ』が公開されて困るのは誰なのか?
公開されることは、日本国民や海上保安庁にとって、マイナスになるのか?

尖閣ビデオ』は、もしかしたら、中国との「政治的取引の道具」として非公開にしていたのかとも思ったのですが、どうも、そういうわけでもないみたいですしね。
「中国と揉め事を起こしたくないから、とりあえず非公開にしておこう」という、誰が決めたかすらわからないような「政治的判断」に、疑問は感じながらも、自分で責任を取るのはイヤだから、従ってしまう。
僕はこの本を読んで、ちょっと怖くなったのです。
もし、一色さんがいなかったら、あのビデオは、ずっと「機密」として、忘れ去られてしまったのだろうか。
一色さんの他に、自分を犠牲にして公開しようという人は、いなかったのだろうか。

偉そうなことを言っていますが、僕だってたぶん、「他の誰かが名乗り出るのを待っているだけの男」です。
「英雄になろうとしたんだろう」と一色さんの行動を「功名心」で訳知り顔で語る人もいるけれど、実際に、あの行為で一色さんが得たものは、あくまでも一時的な知名度と賞賛の声です。
それに対して、失ったものは、安定した職場と生活の基盤、そして、「どこにでもいる人間」として、生きていくこと。
この本が10万部売れたとしても、一色さんが失った生涯賃金には及ばないはずです。
もちろん、お金だけの話ではありません。


一色さんが書かれていた、こんな小さなエピソード。

 ただ、幼稚園を辞めることや友だちと別れることに対しては、表面上は素直であった長男が、大阪の地方局で放映されているマンガが見られなくなることに対して大泣きした。自分の非力を改めて思いしらされつらかった。

自分が子どもだったときのことを考えてみると、こういう「淋しさ」って、けっして小さなものではありません。
もともと引っ越しが多い職場ではあっても、突然の環境の変化は、家族にとっても大きなストレスのはず。
「雉も鳴かずば、撃たれまいに」
それでも、雉は鳴くことを選ばずにはいられなかったのです。


僕は、中国を「敵国」として過剰に煽るのは危険だと思っています。
できれば、戦死する人がいない日本であってほしい。
ただ、「譲るべきではない一線」はあるはずですし、日本国民の利益よりも、某大国(というか、この場合は中国ですね)の立場を尊重しすぎて、明確な根拠も戦略もないまま「譲歩」してしまう日本政府の「事なかれ主義」には憤りを感じます。

「国」と「個人」。
そして、「組織」と「個人」。
あの事件は、まだ、終わっていない。いや、終わらせてはならない。
いろんなことを考えずにはいられない「告白」でした。

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