琥珀色の戯言

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絶望の隣は希望です! ☆☆☆☆


絶望の隣は希望です!

絶望の隣は希望です!

内容説明
アンパンマンの父が贈るラストメッセージ


3・11の大津波に耐え、岩手県陸前高田でたった一本だけ生き残った樹齢260年以上とされる「奇跡の一本松」に、92歳のやなせさんは「ヒョロ松」と名付け、自分自身を重ねています。
喪失と絶望の繰り返しだった92年の人生は、まさしくこの老木のように孤絶であったとやなせさんは振り返ります。
やなせさんが50年前に作詞し、その後大ヒットとなった『手のひらを太陽に』をはじめ、『それいけ!アンパンマン』、そして『陸前高田の松の木』と、やなせさんが一貫して歌に託してきたメッセージは、挫けずに生き抜くことの尊さにほかなりません。それは悲しみに暮れる弱者への、祈りにも似た魂の応援歌でもあります。
アンパンマン』『やさしいライオン』……数々の名作を生み、大人も子どもも魅了してやまないやなせさんが、波乱万丈の人生から紡いだ生きるヒントをあますところなく伝えます。

この本を読みながら、僕は「ああ、やなせ先生も、長い間『何者にもなれない人間』だったのだなあ」と考えていました。
もちろん、『アンパンマン』以前にも、マンガ家や放送作家として一定の評価を得て(ご本人によると「速書きの才能が重宝されていただけ」とのことですが)、『手のひらを太陽に』という大ヒット曲の作詞もしており、テレビ出演などもこなされていたのですから、他者からみれば「十分」に見えていたのかもしれませんけど。


アンパンマン』まで、やなせ先生は、「自分にはマンガ家としての代表作がない」ことがコンプレックスだったそうです。
 生活が苦しいわけではないけれど、このまま年を重ねていくのは寂しい。そんななか、描かれたのが『あんぱんまん』でした。
(第一作は、ひらがなで『あんぱんまん』)
 この作品には、戦争を体験したやなせ先生の「思い」がこめられています。

 やなせ先生は、お兄さんを戦争で亡くしておられます。
 先生自身は、「運良く戦闘が行われなかった地域を転々としていた」そうなのですが、そうやって「悲惨な戦場を体験することもなく、生き延びてしまったこと」は、客観的にみれば「幸運」ではあっても、本人にとっては辛くもあったのです。

 僕らは軍の命令で中国に派兵され、遥か上海にまで行ったけれど、そのとき教えられたのは、「いま、中国の民衆が困って苦しんでいるから、助けなければならない。彼らを解放しなくてはならない。だから、これは正義のための戦いなのだ」ということでした。ところが戦争が終わると、「日本軍が中国民衆を苛めた」となった。「日本軍は悪魔だ」「凶暴剥き出しの軍隊だ」ということになり、つまり、向こうが正義でこっちが悪というふうにすり替わってしまったのです。
 そのとき、正義というのはある日を境に、いとも簡単に逆転してしまうことを痛切に知ったわけです。いかに正義というものが信じ難いものか、骨身に染みるほど感じたのです。そして、僕たちが青春を犠牲にしてまで信じてきた正義とは、いったい何だったのか。あれは、まやかしの幻影にすぎなかったのか、って考えるようになりました。
 長年にわたり紛争を続けているイラククウェート、あるいはアラブ諸国イスラエルの問題にしてもいえることです。それぞれの側にそれぞれの正義があり、いったい、どちらが本当の正義なのかわかりません。

 戦争のあと、急に日本中の「価値観」が変わってしまったこと。
 これまで多くの人を死に向かわせてきた「大義」が、あっさりと覆され、「間違ったことをしていた」と言われるようになったことに、やなせ先生は大きな衝撃を受けたのです。
 そんななかで、やなせ先生は「正義とは何か?」と自分自身に問いかけ続けました。
 その結果、生まれてきたのが、『アンパンマン』だったのです。

 そこで、僕は考えたのです。覆らない正義、本当に信じられる正義とは何だろう、って。そして僕は、その答えを見つけました。
 ”覆らない正義”というのは、「ひもじい人を助ける」ということだ。ひもじい人をこの世からなくすことじゃないか、って。これは日本にいようが、アメリカにいようが、ロシアに行こうが、どこへ行っても正しいこと。どこの国でも唯一、変わらぬ正義です。 たとえ戦争のまっただ中でも、困っている人には手を差しのべ、飢え死にしそうな人には食べものを分けてあげたいという気持ちは、共通のはずです。僕はそう信じたくて、そんな思いから、困っているという人には自分の顔をちぎって食べさせる、心優しいアンパンマンを誕生させることに繋がりました。

 『アンパンマン』が、はじめて世に出たのは、いまから約40年前の、1973年。
 僕が生まれた数年後のことです。
 やなせ先生は、50代半ば。


 『アンパンマン』の船出は、大変厳しいものでした。

 最初の絵本に登場したアンパンマンは、ボロボロのつぎはぎだらけのマントを着ています。なぜかといえば、正義のために戦う人は、多分貧しくて新しいマントは買えないと思ったからです。
 この絵本で僕が描きたかったのは、お腹を空かせている子どもに顔を食べさせて、顔がなくなってしまったアンパンマンが、空を飛ぶところです。けれど顔がなくなったアンパンマンは、エネルギーを失って失速する。この部分をいちばん描きたかったのです。
 でも、こんなカッコ悪いヒーローに、子どもたちが拍手をするはずがない。この絵本はきっと売れないだろうと思いました。編集部でも顔をしかめる人ばかり。
「やなせさん、こんな絵本はですね、これっきりにしてください。やなせさんの本質はやっぱり『やさしいライオン』のような絵本ですよ。ああいう本をまた描いてください」
 そういわれて散々でした。作者の僕自身も自信がなく、初版本のあとがきに、

 さて、こんなあんぱんまんを、子どもたちは好きになってくれるでしょうか。それとも、やはりテレビの人気者のほうがいいでしょうか

 と、心細いことを書いています。『あんぱんまん』は誰にも期待されないで、ひそやかに出発したのでした。


 こうして誕生した『あんぱんまん』、当初は、売れないどころか、大バッシングを受けたそうです。

「顔をちぎって食べさせるなんて、あまりにもひどすぎる。絵本というのは、子どもたちに夢を与えるものでしょ。この作者は、いったい何を考えているのかしら」
 幼稚園の先生から、すぐ文句が来ました。出版社からも、
「顔を食べさせるなんて、荒唐無稽だ。もう、二度とあんな本を描かないでください」
 と、ダメ押しをされ、児童書の専門家からは、
「ああいう絵本は、図書館に置くべきではない」
 とまでいわれました。
 でも正義を行い、人を助けようと思ったなら、本人も傷つくことを覚悟しないといけないのです。自己犠牲の覚悟がないと、正義というのは行えないのです。

 こうして、『あんぱんまん』は、生まれてすぐに、大ピンチにおちいりました。
 ところが、出版されて5年経ったくらいから、『あんぱんまん』を取り巻く状況が、変わってきました。
 やなせ先生は、もう60歳目前。

 3歳児から5歳児の間で、じわじわと人気が出てきたのです。図書館ではいつも貸し出し中で、保育園や幼稚園でも、みんな『あんぱんまん』ばっかり読むから、何度買い替えてもボロボロになるというのです。
 絵本の出版元であるフレーベル館は、一行の宣伝もしない地味な出版社でしたが、ひとりでの子どもたちの間で、その輪を広げるようになったのです。
 講演の仕事で地方へ行くと、幼稚園の先生がニコニコ笑いながら「やなせ先生、お待ちしておりました。うちの園では、あんぱんまんが大好評なんですよ」、なんて。まるで手のひらを返すように態度が変わり、扱い方が違ってきました。それでコーヒーなんか出されたりして、いったい、どうなっちゃったのだろう、って面食らってしまいました。
 そうなると出版社側もたちまち方針が変わって「やなせ先生、どんどん描いてくださいよ」てな具合。1年で25冊もアンパンマンシリーズを描かなければならなくなりました。
 平仮名の『あんぱんまん』は、こうして片仮名のアンパンマンになり、読者の中心が2〜3歳児だったので、アンパンマンの体形も変化し、三頭身の幼児体形になりました。

大人たちから、さんざんバッシングされ、消えていこうとしてた『アンパンマン』のピンチを救ったのは、子どもたちだったのです。

この本を読んでいると、やなせ先生は、「子どもを子ども扱いしない人」であることがよくわかります。
子どもが対象だからといって、レベルを下げる必要はない、と言い切っておられるのです。

 ある新聞社が「生まれた子どもが最初に話す言葉は何か」を調査しました。「ママ」が1番ですが、「アンパンマン」も上位に入っている。赤ちゃんは、何か本能で感じるものがあるのでしょう。

 実は、僕の息子も、ある日突然お風呂で、「アンパンマン!」って言葉を発しました。
 「ママ」が一番最初の言葉だったのですが、そのすぐあとに。
アンパンマン」って6文字ありますから、そんな長い言葉が、喋りはじめの時期にいきなり出てきたことに、かなりびっくりしました。


アンパンマン』の話ばかりになってしまいましたが、やなせ先生の少年時代から、東京での「売れてないわけじゃないけど、満たされなかった時代」そして、アンパンマンの大ヒットと、最愛の奥様との別れ、いま、震災後の日本について思うこと……
 本当に、いろいろなことが語り尽くされている本です。


 読んでいて、こんな90歳が世の中に存在するのなら、年をとるのも悪いことじゃないな、と元気づけられますし、「正義とは何か?」についても、すごく考えさせられました。

 僕は、人生というのは、満員電車じゃないかと思うのです。我慢して乗っていると、次々と人が降りていって、いつの間にか席が空いて座れる。これは、誰もが一度は経験することでしょう。
 僕が売れない、モテない、しがない漫画家として、それでも生き延びてこられたのは、満員電車から降りなかったからです。

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