- 作者: 門田隆将
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2014/10/09
- メディア: 単行本
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- 作者: 門田隆将
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2014/10/16
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内容(「BOOK」データベースより)
“輸送船の墓場”と称され、10万を超える日本兵が犠牲になったとされる台湾とフィリピンの間の「バシー海峡」。アンパンマンの作者である、やなせたかしの弟もその一人だ。その“魔の海峡”から12日間の漂流を経て奇跡の生還を遂げた若者がいた。彼は死んだ戦友の鎮魂のために戦後の人生を捧げ、海峡が見える丘に長い歳月の末に、ある寺院を建てた。2013年10月、やなせたかしとその人物は、奇しくもほぼ同時期に息を引き取った。「生」と「死」の狭間で揺れ、自己犠牲を貫いた大正生まれの男たち。今、明かされる運命の物語とは―。
「バシー海峡」を知っていますか?
僕は、この本ではじめて、「輸送船の墓場」と呼ばれた、その海峡のことを知りました。
同世代のなかでは、戦場、あるいは戦時下での体験についての本を読んでいるほうだと思うのですが、「輸送船」というのは、戦場で敵と直接交戦するのに比べたら、比較的安全なイメージがあったのです。
でも、そうじゃなかった。
日本の敗色が濃厚となり、制海権、制空権を失ってくると、戦地への物資の輸送もまた、危険な任務となっていったのです。
誰も知らないなら、救助はどこからも来ない。ずっとのちになって、この「ヒ七一船団」では玉津丸のほかにも多くが撃沈され、一昼夜のうちに実に「一万人以上が戦死」するという、バシー海峡最大の悲劇だったことが明らかになる。しかし、それを知るのは戦後になってからのことだった。
著者は、太平洋戦争でもっとも犠牲者が多かった「大正生まれの若者たち」のひとりとして、漫画家のやなせたかしさんの弟・柳瀬千尋さんの人生を辿っていきます。
弟は子供のいなかった伯父夫妻のもとに引き取られて育ち、やなせ自身は母と祖母と一緒に高知市内で暮らすが、やがて母が再婚。やなせは母のもとを離れ、先に弟が養子に入っていた伯父夫婦のもとに身を寄せて、少年期から青年期を過ごすのである。
二人の兄弟は、太平洋戦争という日本人にとって最大の惨禍の中で、生と死の運命を分けていく。
晩年に「アンパンマン」という絶大な人気を誇るヒーローを生み出すやなせは、心の奥底に哀しみと寂しさを抱えた漫画家だった。だが、彼の作品は、子供たちに常に「勇気」と「希望」と与えつづけるのである。
この本は、そのやなせの思いを辿りながら、「バシー海峡」という台湾とフィリピンの間にある「慟哭の海峡」をめぐるノンフィクションである。
千尋さんは、頭脳明晰で穏やかな人柄もあり、みんなに愛される青年だったそうです。
生前の千尋さんを語る人々の話を聞いていくと、なぜ、こんなに優秀な「普通の若者」が、戦場に行き、命を落とすことになってしまったのだろう、と考えずにはいられませんでした。
そして、千尋さんは「やなせたかしの弟」として、この物語の主役のひとりになっていますが、同じような「普通の若者」たちが、それぞれの人生の物語を完成させることのないまま、「戦死」していったのです。
京都大学を卒業した後、海軍へ。
そこで、「音を聴き分ける才能」を評価され、「対潜学校」に選抜されます。
柳瀬家は当時としては珍しく、「音楽を聴く習慣」があった家で、そのことが、千尋さんがこの任務につくきっかけになったのではないか、と著者は推定しています。
「趣味人」であったことが、戦争に結びついてしまったのです。
最前線で戦うことになる彼らをいかに教育していくか。
その訓練は、ほかの術科学校とは、まるで異なる教科から始まった。
「初日から驚きました。一番最初の日は、とにかく、魚の鳴き声を聴かされたんです。魚の種類は言われませんでしたが、魚が出すいろいろな声とか、音を聴かされたんです。そこから、すべては始まりました」
そう語るのは、京都帝大出身の大村鎌吉である。
やなせたかしさんは、千尋さんが人間魚雷「回天」に搭乗して亡くなった、と仰っていたそうです。
著者は、資料にあたり、千尋さんは駆逐艦・呉竹の「水測室」で、「聴音」の任務についていたことを確認しています。
敵の艦船の音を聴いて、一分一秒でも先に敵の存在を確認することが対潜水艦では最重要で、音が聴きやすいように、水測室は、艦船の前底面に置かれることが多かったそうです。
そして、その場所は、「いちばん被弾しやすいところ」でもありました。
海軍兵科三期の予備学生の中で、最も戦死率が高かったのは、柳瀬が所属した術科学校「対潜学校」の卒業者たちである。しかも、その中でも柳瀬が研鑽を積んだ「艦艇班」が一番高かった。
兵科三期の予備学生3660人の中で、対潜学校に選抜されたのは、430人。その中の艦艇班は、270名。そして、戦死者はその内、92名に達した。戦死率は、「31.4パーセント」である。
これは、同期の海軍兵科三期の中で群を抜く数字だった。
このノンフィクションのもうひとりの主人公である中嶋秀次さんは、乗艦が撃沈され、バシー海峡を12日間も漂流した末に、奇跡の生還を遂げました。
著者は、その中嶋さんの体験を詳述しているのですが、次々と仲間たちが海に飲み込まれ、飲み水も食糧もないまま漂流を続けた話は、読んでいて胸がしめつけられました。
しかも、生き延びても、また、戦場に行かなければならないのです。
それでも、中嶋さんは、生きたのです。
もしかしたら、自分が、自分だけが生き延びたことには、何かの理由があったのではないか、使命みたいなものがあるのではないか、と中嶋さんは考え、この海峡での慰霊を続けてきたのです。
柳瀬千尋さんも、中嶋秀次さんも、あの戦争がなかったら、別の人生、おそらく、もっと穏やかな道を歩いていたのだと思います。
そして、あの戦争は、あまりにも多くの、柳瀬千尋や中嶋秀次を生んでしまった。
やなせたかし先生は、やさしくて、優秀だった、そして、自分にとってはただひとりの兄弟だった弟・千尋さんのことを、亡くなったあともずっと大切に思っていたのです。
著者は「アンパンマンのモデルは、幼い頃の、丸顔だった千尋さんだったのではないか」と述べています。
やなせ先生の著書『アンパンマンの遺書』のなかで、やなせ先生は、こう書かれています。
『あんぱんまん』は、誰にも期待されないで出発した。本のあとがきにはこう書いてある。
子どもたちとおんなじに、ぼくもスーパーマンや仮面ものが大好きなのですが、いつもふしぎにおもうのは、大格闘しても着ているものが破れないし汚れない、だれのためにたたかっているのか、よくわからないということです。
ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。そしてそういう捨身、献身の心なくしては正義は行えませんし、また、私たちが現在、ほんとうに困っていることといえば物価高や、公害、餓えということで、正義の超人はそのためにこそ、たたかわねばならないのです。
あんぱんまんは、やけこげだらけのボロボロの、こげ茶色のマントを着て、ひっそりと、はずかしそうに登場します。自分を食べさせることによって、餓える人を救います。それでも顔は、気楽そうに笑っているのです。
さて、こんな、あんぱんまんを子どもたちは、好きになってくれるでしょうか。それとも、やはり、テレビの人気者のほうがいいですか。
『アンパンマン』は、「顔を食べさせるなんて残酷だ」と、最初、大人たちからは批判されてばかりだったそうです。
ところが、そんなアンパンマンの絵本は、子どもたちに愛され、ボロボロになるまで読まれていきました。
「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです」
最近、「日本も戦争ができる『普通の国』になるべきだ」と意気軒昂に叫んでいる人を見かけます。
でも、僕はいろんな本を読んできて、思うんですよ。
実際にその「戦争」というのを体験した人たちが、これほどまでに「戦争はやるべきじゃない」「自分の子どもたちは戦場に行かせたくない」と言い続けているという事実について、戦争未体験の世代は、よく考えてみるべきなんじゃないか、って。