琥珀色の戯言

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【読書感想】続・暴力団 ☆☆☆☆


続・暴力団 (新潮新書)

続・暴力団 (新潮新書)

内容紹介
次の標的は、おまえだ! 組長、現役幹部が激白──。暴排条例は新たな恐怖の始まりだった。市民が襲われるワケは? 半グレ集団の正体は? 黒い芸能人は誰なのか? あのベストセラーに続く「わるいやつら」の最新事情。

 この新書を読んでいると、「暴力団排除条例」で、暴力団への包囲網はさらに狭くなってきた一方で、「一般市民が、対暴力団の矢面に立たされるケースが増えてきている」ということがよくわかります。
 そして、社会の対応が厳しくなったことによって、「窮鼠猫を噛む」ような行動に出る暴力団が続出してくる可能性も危惧されるのです。

 私は2012年、関東の暴力団幹部から次のような話を聞きました。
 最初、住民や企業を敵に回している福岡県の事件では、「福岡の仲間のためにこっちまでイメージが悪くなった」と不満の声、迷惑しているという感想が、幹部の口から出るものと思っていたのです。
 しかし、予想に反し、幹部はこう言うのです。
「最近思うのですが、福岡の組織はわれわれの社会全体のことを考えて、ああいう激しい事件をやってくれているのではないか。
 暴排条例で『ヤクザにみかじめ料を出すな。出したら、出した業者の名前を公表し、罰する』といったところで、出さなければヤクザに殺されるとなったら、業者は勧告や企業名の公表などのダメージも覚悟の上、警察に証拠を掴まれないよう、苦心に苦心を重ねて、ヤクザにカネを払います。何ごとも『命あってのものだね』で、殺されたら何にもなりませんから。
 福岡の組織はこうしたことを業者に知らせるため、ああいう激しい事件を起こしているんじゃないか。事件による利益はヤクザ社会全体が受け取ることになります。我々は福岡の組織に足を向けちゃ寝られないわけですよ」
 みかじめ料を払わない業者を殺したり、半殺しの目に遭わせます。もちろんそういう業者からはみかじめを取れません。しかし周りの同業者は殺しなど暴力の頻発に怖じ気をふるいます。おカネを出し惜しみすれば、自分も同じ目に遭う、殺されてしまうと恐怖に駆られ、なんとしてでも暴力団に払おうとする、というのです。
 慄然とします。建設や飲食業などの業者は暴力団に食われるか、それとも殺されるか、絶体絶命の決断を迫られます。暴力団も生き残るため、堅気に暴力を振るうことをためらわなくなりました。
 しかも暴力団から捜査情報を取れない警察はほとんどの事件を解明できず、迷宮入りのまま放置しているケースが多いのです。

 「暴力団排除条例」では、暴力団に「みかじめ」を払った飲食店や、暴力団との付き合いが発覚した建設業者が社会に公開されるようになりました。
 そうなると、社会的信用は大きく損なわれることになるので、みんな、暴力団とのつきあいをやめるはずです。
 この条例により、暴力団の経済的な基盤は弱体化しており、芸能界も、だいぶ「浄化」されていると著者も指摘しています。
 

 しかしながら、ここで「矢面に立たされている」のは、一般の飲食店や業者なんですよね。
 彼らの大部分は、もともと、暴力団に「みかじめ」など払いたくはないはず。
 でも、それを拒否すると、「見せしめとして殺される、あるいは圧倒的な暴力の餌食になるかもしれない」
 福岡県で起こった事件のように、実際に周囲の人が殺されているのを目の当たりにすると、「断るのも命がけ」なんですよね。
 警察がいつも自分たちを守ってくれればいいのかもしれないけれど、みかじめを断った人を全員完璧にガードできるほどの力は、警察にもありはしません。
 子どもや家族のことまで考えると、怖くてしょうがないはず。
 それでも警察は、「あなたの責任で」暴力団と付き合わないように、と言うのです。
 

 こう言ってもいいかもしれません。つまり暴排条例は、これまでの対決構図だった「警察対暴力団」を「住民対暴力団」に切り替えることで、暴力団を社会的に孤立させ、利益(資金)やサービスの供与、供給を断つ狙いを持っています、と。

 ただ、これは確かに、暴力団の経済基盤を弱体化させるという意味で「有効」なのも、間違いないんですよね。
 実際に、暴力団員の数は漸減してきているようですし。
「食えなくなった」から。

 
 「社会から暴力団を排除するためだとしても、なぜ、自分や家族が矢面に立って、恐怖と戦わなければならないのだろうか?」と考えてしまう人はいるはずです。
 ところが、この「一般人が矢面に立つこと」が当然のこととして扱われてしまっているのです。

 前述の通り、国際的に見て、組織犯罪集団を合法としている国は日本以外にありません。実に奇怪な現象です。この奇怪さを少しでも減らしたいと思うなら、暴排条例の廃止はないはずです。
 というより暴対法を抜本改正するか、新法を立てて、暴力団を違法の存在とせよ、と訴えるのが本筋なのです。暴力団を違法化できるなら、暴排条例などハナから必要がなくなるのですから。暴力団が違法の存在なら、住民や地元企業が先頭に立って暴力団と向き合い、命がけで対決するのではなく、すっきり警察が暴力団と対決する構図ができあがります。

 暴力団そのものを違法化して、存在できなくしてしまうわけには、いかないのか?
(今の法律では、「暴力団」の存在そのものは、「違法」ではないのです。もちろん、犯罪をやれば逮捕されますが)

 
 この新書のなかで、イタリアのマフィアと戦った検事たちの話が紹介されています。
 イタリアでは、大物政治家がマフィアと癒着して圧力をかけてきたり、マフィアとの戦いで、多くの人が「殉職」したりしながらも、「マフィア撲滅」のための戦いを続けています。
 それに比べると、日本の警察(というか、警察組織の上層部の考え方)は、あまりにも不甲斐ない、と思うのです。


暴力団がいなければ警察の人員は削減されるだろうし、警察OBが重宝される再就職先も少なくなってしまう。だから、警察も体裁としては『国民に大バッシングされるほどのさばらせるわけにはいかないが、根絶するわけにもいかない」
 これが警察の「本心」であってほしくはないのです。
 僕も内心「そういうものなのかな」と思うところはあるのだけれど。


 医療の世界だって、「患者がいなくならないように、歯医者は虫歯の根を残しておく」とか「本当は癌の特効薬があるのに、他の薬が売れなくなって困るから、医者や製薬会社はそれを隠している」というような「デマ」もありますので。


 ただ、警察や国家権力が本気で「暴力団根絶」をやろうとすれば、できないことは無いんだろうな、とは思います。
 それをやらないのは、「必要悪」だと考えているのか、それとも、著者が指摘しているような「利害関係」のためなのか……
 

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