琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】僕がメディアで伝えたいこと ☆☆☆☆


内容紹介
NHKのアナウンサーの多くはあらかじめ決められた段取りに従い、リハーサルを何回もしてから本番に臨むというように、決まりきったことしかやらないし、台本に書かれていないことはまず話さない。
そのため、番組では生放送が発するようなハプニング感は感じられないし、中継番組もどこか漂白された感を否めない。
僕にとっては、それがおもしろくなかった。


(中略)


あるお祭りの中継で、実行委員会のAさんに話を聞くシーンでのこと。
彼は、途中までは台本を覚えていたのだろう。
ペラペラと話すことができたが、ある時点で言葉に詰まり、続くはずのコメントが出なくなってしまった。
通常、NHKのアナウンサーならこんな時、「つまり、○○ということですよね?」などと言って必死に取り繕おうとする。
結果、その場には微妙な空気が漂う。
その気まずい雰囲気は、テレビの前のみなさんにも伝わってしまうものだ。
だからその時、僕はこうフォローした。
「Aさん、台本を一緒に読みましょうか。リハーサルしていても、生放送はやっぱり緊張しますよね」
とにかく楽しい放送をしたかった。
嘘をつき、取り繕い、いいように見せかける放送ではなく、正直な放送をしたかった。
だからこそ、こんなふうにテレビの裏側を「ド正直」に流す手法を僕は心がけてきた。(「第1章」より)

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いじめを受けていた小学校時代のあだ名は、「なんでやねん君」。
バイオリンを習わされていた著者は半ズボンを履き、襟付きのシャツを着ていた大人しい「お坊ちゃん」でしかなかった。
就職活動では民放の入社試験に落ちまくり、なんとか入れたNHK時代、街中では「嘘つき」と怒鳴られ、社内では「給料泥棒」呼ばわりされたことがあった。
会議では「黙って原稿を読めばいい」「打ち合わせにないことはやるな」と叱責されたこともあった。
それでもくじけず、あきらめなかった理由とは何か。
NHKアナウンサー、堀潤の発想と行動の「原点」――。


僕は掘潤さんについて、「言っていることや、NHKの大企業体質への憤りはわかるんだけど、あんな大きなメディアで社会に発信できる立場を捨てて、投稿型ニュースサイトをはじめるなんてねえ……と、ちょっと斜に構えてみていたんですよ。
一時の正義感に流されて、人生誤ってしまったんじゃないか?とか。
投稿型ニュースサイトとはいっても、いまのネットでそれをやろうとすると、かなりバイアスがかかった意見が並ぶことになるし、それを捌いていく苦労は、並大抵のことではないだろうに。


でも、この本を読んで、そんなふうに「無謀だと言われても、自分のやりたいことをやろうとしている人」をバカにしている自分が、ちょっと恥ずかしくなってきました。
堀さんがやっていることが間違っているのなら、それを批判すればいい。
なのに僕は、堀さんが、己の理想に近いメディアをつくるために、あえて険しい道を歩こうとしている事に対して、「バカバカしい」「そんなの損するだけ」と、その世渡りのマズさを批判し、切り捨てようとしていたのです。


この新書では、子ども時代から、いじめられていたという小中学生時代、メディアに関わる仕事に興味を持ち、実際に事件現場に取材にまでいっていたという高校時代、そして、NHKに入社し、これまでの「NHKの常識」から飛び出して、新しいメディアの枠組みを模索していくようになるまでが語られています。
堀さんは、NHKと喧嘩別れしたというイメージがあるのですが、これを読むと、堀さんのメディアに関わる人間としての基盤をつくったのはNHKだし、堀さん自身もNHKへの感謝と愛着を失っておられるわけではないようです。
むしろ、「NHKにいるからこそわかる、あまりにも大きくなってしまったNHKにはできないこと」にこそ堀さんの興味があって、それを伝えるために、NHKを離れた、ということなんですね。


新人時代、NHK岡山放送局に配属されたときのことを振り返って。

 東京、大阪、横浜と大都市にしか住んだことがなかった僕にとって、岡山は初めての地方暮らしでもあった。ここで僕はある取材を通して、大都市に住んだ経験しかない人には理解できないような問題に直面した。
 ニュースリポートを作るために、中国山地の山奥にある取材先の病院を目指して車を走らせていた時のこと。僕はオレンジ色のセンターラインが美しく引かれた一本の真新しい道路を目にした。なぜ、誰も住んでいないこんなところに道路が!
「これが今、世の中で問題になっている『必要もないのに作られてしまった道路』なのか。税金の無駄遣いだ!」
 ふと、怒りにも似た思いが込み上げてきた。ところが取材先の病院で、あるおばあちゃんが口にした一言を聞いて、僕は単純には怒れなくなる事情を知ることになる。
 以前は腰の痛みを我慢しながら通院していたんですよ。道路は狭くてガタガタだったでしょ、バスが揺れるたびに痛んでいたの。それがこの道路が通ってからは、痛みを感じず楽に通院できるようになったわ」
 診療を待っていたおじいちゃんも笑顔で言った。
国会議員の先生のおかげで、やっとこの村にも道路が通ったんよ。この道路はわしらの誇りじゃけ」
 目から鱗が落ちるようだった。僕の知らなかった日本を見た気がしたのだ。中国地方の過疎の村。そこには、都会にしか住んでこなかった僕には想像すらできない暮らしがあった。都会人なら無駄と感じるかもしれない道路を誇りに思う人々がいた。

 NHKでは、アナウンサーとはいえ、原稿を読むだけではなく、企画を出したり、自らカメラを抱えて取材に行ったりもするそうです。地方局ではとくに。
 堀さんは、徹底した「現場主義」で、とにかく現地の人の声や、現場の雰囲気に触れることを大事にして、それをメディアで伝えていこうとしていました。
 しかし、そういう姿勢は「現場でのひとりひとりの声」と「公共放送としてのNHKの建前や利益」の狭間での葛藤を生むことにもつながっていきます。

 民主党鳩山由紀夫政権下、普天間基地の県外移設問題が取り沙汰された2009年秋。沖縄を訪ねた僕は地元の人たちにインタビューを重ねた。
普天間基地、危ないよね。移転してほしいよね」
 そう聞くと、高校生たちからは意外にもこんな答えが返って来た。
「なんで? 基地はあったほうがいい。父は基地で働いているし、私も将来就職しようと思っているし。米軍のお祭りも楽しいよ」
 基地がなくなってほしいとは思わない――そんな声が20人中5人ぐらいから聞かれた。一方で、それ以外の意見――子連れのお母さんやおじいちゃん、おばあちゃんからは、心配や不安の声があがったのも事実だ。
 結局、たくさん集めた声の中から東京が採用したのは「心配する声」ばかり。基地の存在を肯定する声は一つも採用されなかった。僕はそうした番組作りに違和感を覚えた。
「そんなふうに報道するから、『マスコミはいつも好きなように素材を扱っている』と言われるんですよ」
 すると、上司は言う。
「言いたいことはわかるけど、それじゃあニュースが成り立たないんだよ。基地を肯定する声を入れるとストーリーがよれてしまうんだ」
「ニュースを成立させるために取材しているんですか? 現場では違う意見もあるのに」
 僕は激しいジレンマに襲われた。


 おそらく、マスコミ関係者の多くは、この堀さんと同じようなジレンマを体験してきているのだと思います。
 でも、多くの人は、そこで自分の生活や、組織人としての今後のことなどを考えて、妥協を繰り返していくうちに「それが常識」「しょうがないこと」だと考えるようになってしまうのでしょう。
 既存のテレビのニュース番組や、新聞の紙面には限りがあるのは事実です。
 さまざまな少数意見を全部採り上げるなんてことができないのもわかります。
 それでも「20人のうちの5人」というのは、けっして無視できる割合ではないはずなのに。
 

 堀さんは『ニュースウォッチ9』のあと『Bizスポ』の総合司会を、10年先輩の女性キャスター・飯田香織さんと務めることになります。
 ところが、この二人は、「意見が合わなかった」そうです。

 飯田さんは経済部の記者として自動車部門や家電部門を担当し、ワシントン支局に二年勤務した経験を持つやり手だ。東芝の薄型テレビ「レグザ」を取り上げた『NHKスペシャル』を作ったこともある。彼女の取材対象は基本的に大企業や政府。一方、僕は『ニュースウォッチ9』時代、派遣労働者や雇用の問題を取材してきたので、取材対象は労働問題に悩んでいる一般市民が中心だった。切り口が全然噛み合なかった。
「労働現場を取材して、大企業がもたらす弊害を取り上げましょうよ」
 僕がそう提案すると、
「大企業が成長して日本経済を牽引して行かないと、労働者の雇用の場も確保できない。派遣がいくら苦しいと言っても、派遣の場さえなくなってしまうことになるの」
 と飯田さんに切り返された。確かに、飯田さんの言い分には一理あるかもしれない。

 飯田さんは大企業の犬だ!とはいうわけではなくて、この飯田さんと堀さんの考え方は、それぞれの立場からの「正義」であり、「興味の対象」なんですよね。
 もちろん、堀さんは、飯田さんを排除しようとしてもいません。
 ただ、この後、原発事故への対応などで堀さんとNHKの偉い人たちとの軋轢が積もっていったのは、「NHKは、必ずしも弱者の味方ではない、いや、味方じゃないどころか、その声を切り捨てようとしている」ことへの違和感だったのだと思います。

 堀さんと「テレビがいちばん偉いと思いこんでいる、NHKの上層部」との闘いは、原発事故のときに始まっていたわけではありませんでした。
 前兆は、あったのです。

 先述したとおり、NHKはそれまで、番組に専門家を呼んでは「プルトニウムは重たいので遠くまで飛ばず、紙で遮断できる」と明言させていた。ところが、プルトニウムの飛散が確認された途端、局は「まさか飛んでいるとは思わなかった」という識者のコメントを入れてお茶を濁そうとしたのである。
 真っ赤な嘘だった。
 もう一度言うが、3月11日夜、社会部はプルトニウム漏れの一報を受け、早い段階からニュース原稿まで準備していた。しかし、パニックを起こさせないためだったのだろう、その情報は削り取られてしまった。NHKはそんな自分たちの報道姿勢を反省することなく、識者に言い訳を「代弁」させることで逃げを打った。あまりにも汚いやり方だった。”国民の生命を守るべき”公共放送の一員として、恥ずかしいと感じた僕は、10月1日、ツイッターでこうつぶやいた。

 どうしてこんなに大切な情報が原発事故から半年になって発表されるのか。僕らメディアの責任も本当に重たい。飛ばないって思ってたけど、実は飛ぶんですって、それはないよ。実は飛んでましたって。本当に本当に申し訳ない思いで一杯です。何にも役にたってない。

 この発言もヤフーニュースに掲載され、NHK内に波紋を呼んだ。


 考えようによっては、この堀さんの「慚愧の声」も、ネットがなければ、抹殺されるか、何年、何十年も経ったあとに「暴露本」のような形で世間に公開されるだけだったのかもしれません。
 堀さんがこう思ったのは、僕たちからすれば「当然のこと」です。
 にもかかわらず、NHKの偉い人たちは、「組織の和を乱す行為」として、堀さんを危険視していくのです。


 結局、堀さんはNHKを退職することになったのですが、この新書を読んでいると、もちろん、上層部との不和がその一因ではあるのでしょうが「NHKにいては、できないこと、やりにくいこと」をやりたくなってしまったゆえの選択だったようです。
 二百何十万かの退職金も出たそうですが、既存のメディアに敵視されながらの今後の活動は、なかなか大変なはず。
 堀さんは「既存のメディアをぶち壊そうとしている」わけじゃなくて、「既存のメディアが、あまりにも大きくなりすぎたために拾えなくなっている『現場の声』を多くの人に届けたい」と考えているだけなのに。
 そして、その棲み分けは、十分に可能なはずなのに。
 

 堀さんの投稿型ニュースサイト『8bit News』に対して、投稿内容の偏りや事実誤認などに厳しい指摘もあるようです。
 しかし、これを読んでいると、堀さんは、そういう「ノイズ」が出てくることも承知のうえで、というか、ノイズも含めて飲み込むつもりで、新しいニュースサイトを立ち上げようとされているのだな、と思います。
 それは、ちょっとしたことでも揚げ足を取られやすいネットの世界では、とても危険で、不安定なことです。
 堀さんは、取材対象に入れ込みすぎてしまいがちで、物事の「大きな枠組み」みたいなものが見えにくくなっていることもあると思います。
 ただ、こんな人がいても良いはずだし、少なくとも「声なき声に耳を傾けようとしてくれるジャーナリスト」のひとりではあるはずです。

 発信は誰にも止められない――三たびオープンさせた僕のアカウントには、「パーソナルコンピュータの父」と呼ばれるアラン・ケイの「未来を予測する最善の方法は、自ら創り出すことだ」という僕の大好きな言葉を書き込んだ。


 ずっとNHKにいれば、ずっと人気アナウンサーでいられて、こんなに苦労もしなくてよかったし、退職金もたんまりもらえたのにね。
 堀潤さんは、本当にバカだ。
 でも、未来を創るのは、たぶん、こういうバカなんじゃないかな。

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