琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】城を攻める 城を守る ☆☆☆☆



Kindle版もあります。僕はこちらで読みました。ただし地図などは、スマートフォンの小さな画面では、ちょっと見づらいかも。

内容紹介
本書を手に取った方々は、一過性の趣味として城めぐりをしているわけではないはずだ。おそらく城好きが高じて、その歴史的背景までも知りたいと思っているのではないだろうか。本書は、そうした方々を対象としている。「日本百名城」ブームを一過性のものとして終わらせないためにも、その城で過去にあった攻防戦に目を向けてもらい、その城の経てきた歴史に興味を持っていただく必要がある。本書は、そうしたことを念頭に置いて書いた「戦う城本」である。


直木賞候補にも何度かなっている小説家・伊東潤さんによる「日本の名城」についてのエッセイ集。
有名作家が、片手間に書いたような本なのかと思いきや、伊東さん自身も大変な「城好き」で、ここに書かれている城を自ら訪ね、そこで感じたことと、多くの資料を読み込んで集めた歴史的な事象、そして、作家としての推察も加えて、かなり詳しく分析されているのです(もともとは『歴史人』(KKベストセラーズ)という雑誌に連載していたものだそうです)。

 なぜ、人は城に行くのか。 
 その答えは様々である。
 私の場合、数百年の歳月を隔てているにもかかわらず、そこに人の意思が感じられる点に魅かれる。
 なぜ、ここに堀切(ほりきり:尾根筋を断ち切る堀)や竪堀(たてぼり:垂直に掘られている堀)を入れているのか、また、土塁や馬出(城の出入口を守る小曲輪)を築く必要があったのか。そうした築城者の意図が、遺構を見るだけで伝わってくる。つまり遺構を通して、数百年前の人間と対話できるところが魅力なのだ。


単に「この城は○○家がずっとおさえていて、こんな大名がいたり、合戦がありました」というような「豆知識の羅列」ではなくて、その城の地理的な意味や攻城線の際の攻略のポイントとなったところ、そして、城そのものの構造へのこだわりも書かれています。
率直に言うと、お城は嫌いではないけれど、「天守閣にのぼって、『ああ、ここから殿様は下界を眺めていたんだなあ、ああ満足」という感じの僕にとっては、マニアックすぎて読み飛ばしてしまったところも少なからずあったんですけどね。
それでも、この新書にこめられた伊東さんの「城郭という構造物への尽きぬ愛情」は、ものすごく伝わってきました。

 城というのは面白い。
 峻険な山城は、要害と呼ばれる事が多いが、水の手を断たれたり、兵糧攻めにされると、意外に脆かったりする。
 一方、何の変哲もない平城や、比高十メートルほどの高さに築かれた台地城でも、寄手はなかなか攻略できず、籠城戦が長引くことがある。
 関東でも、北条勢を寄せ付けなかった結城城、上杉謙信を撃退した臼井城、豊臣方の攻撃に耐え抜い忍城など、頑強な抵抗を示した平城や台地城は、枚挙に暇がない。これらの城に共通しているのは、周囲を河川、沼沢地、湿地帯に囲まれていることである。
 つまり城に至る道が限られているため、寄手は平寄せ(城の四方から一斉に攻め寄せること)できず、城方は、矢箭や弾丸がふんだんにあれば、理論的には、正面に立つ敵兵を順次、撃退すればよいことになる。
 つまり、寄手の兵力の優位性が思うように発揮できないのだ。
 しかしこうした城は、反転逆襲も難しいため、自力で事態を打開することは容易でなく、籠城戦を勝ち抜くには、外部からの後詰が必要となる。

「籠城戦」といっても、さまざまな形があるのです。
 もう行き場がなくなって、城に籠る場合もあれば、援軍が来るまでの時間稼ぎ、という場合もあるわけです。
 後詰のあてもなく城に籠るというのは、相手が長距離からの遠征軍であれば、兵糧切れを待つか、背後に不安が起きて徹底するのを期待するしかないわけですが、なかなかそううまくいくものではありません。
 まあでも、攻める側にとっても、時間がかかるというだけでも、厄介なところはあるのです。
 

 箕輪城について、著者はこんなことを述べています。

 いずれにせよ、在原業平系の石上氏を祖とし、古代に上野国府の在庁官人として上州に土着して以来、戦国期まで連綿と続いた長野氏は滅亡した。
 しかし、その築いた人脈と城郭網に悩まされた(武田)信玄は、弘治三年(1557)以来、西上州の攻略に十年の歳月をかけてしまい、それが上洛という野望達成の妨げとなったことは、何とも皮肉である。
 信玄の寿命が五年も長ければ、織田信長を岐阜辺りで撃破し、少なくとも上洛は果たせた。つまり一時的に天下は獲れたと思われ、それからすると、上州の一国人にすぎない長野業政が、日本の歴史を変えたことになる。

 滅亡という運命そのものは変わらなくても大きな歴史の流れでいえば、「そこで時間を稼いだこと」が、歴史を変えてしまうこともある。
 伊東さんは、勝頼の代になってからの武田家の急速な衰退と滅亡の理由を、こう書いておられます。

 長篠の惨敗から滅亡までの間にも、勝頼は同じような失敗を繰り返す。味方や利害関係者の気持ちを考えず、思いつきで行動し、それが、取り返しのつかない結果を招くのである。
 すなわち、御館の乱上杉謙信の後継者をめぐっての争い)において北条氏政を裏切り、北条家との同盟を破綻させ、滅亡一年前には高天神城に後詰せず、駿遠国衆の信用を失い、最後の戦いでも、諏訪まで来ていなから高遠城に後詰せず、家臣団からも愛想を尽かされた。
 味方の気持ちに対しても洞察力を欠いた勝頼は、失敗から学べず滅亡した。


 長篠の戦いでの大敗が武田家を没落に向かわせたのは確かなのですが、その流れを止められなかったのは、勝頼がその後、味方の信頼を失う行動を繰り返してしまったのが大きかったのだ、と。
 籠城している人たちにとっては、後詰(援軍)がなければ、遅かれ早かれ「死」がやってくることが必定です。
 伊東さんは、この新書のなかで「勝頼は、たとえ間に合わなかったとしても、後詰をする姿勢を見せなければならなかったのだ」と仰っています。
 おそらく「援軍を出してもムダな状況」ではあったのでしょう。
 でも、それが合理的な判断であったとしても、「すぐに味方を見捨てる大将」に、人はついてこないのです。
 織田信長のように、圧倒的な力があるのならともかく(とはいえ、信長もあれだけ強大な存在になったにもかかわらず、味方には裏切られまくっているわけですが)。


 歴史好き、城好きには、かなりコストパフォーマンスが高い新書だと思います。
 これを読むと、「なんだ、城壁しか残ってないのか……」とがっかりするような「城」にも、ドラマを見いだせそうな気がします。

アクセスカウンター