琥珀色の戯言

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【読書感想】なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか ☆☆☆☆



Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
戦争を起こし、拡大する(1)「権力者の法則」(2)「メディアの構造」(3)「大衆の心理」の「三位一体モデル」の分析を基に、平和を維持するための新たな方法論を模索する。


【本文抜粋】
もしも、目の前に「戦争」と「平和」と書かれた2つのカードが並べられたとして、「どちらを選びますか?」と問われたら、きっと多くの人が「平和」のカードを選ぶのではないだろうか。にもかかわらず、世の中から「戦争」がなくなったことはない。平和学や国際政治の観点からはいろいろな分析ができるのだと思うが、本書の役割はそこにはない。もっと「情緒的」な戦争と平和の違いについて、「論理的」に考えていこうと思う。なぜなら、戦争を始めるのはたいてい権力者ではあるが、それを拡大させていくのは私たち大衆心理の影響も大きいと思うからだ。そこに難しい政治的な知識や判断はきっとはたらいていない。


 あなたは「戦争」と「平和」のどちらを選びますか?
 この質問をいまの日本人にすれば、「平和」を選ぶと思います。僕だってそうです。
 でも、「平和」って何?と問われて、即答できますか?
 僕は「戦争がない状態」と答えてしまったのです。

 ある日、インターネットで「War」と「Peace」のキーワードで画像検索してみたことがある。その結果を見てみると、次のようだった。
「War」の検索結果の方は説明するまでもなく、「兵士」や「子ども」、「戦車」や「ライフル銃」などの兵器、そして「世界の戦場の様子」がある種の統一感を持って並んでいた。いわゆる一般的な戦争のイメージで、読者のみなさんが想像していたものともそれほどかけ離れてもいないのではないだろうか。一方、「Peace」の検索結果はというと、「ピースマーク」と呼ばれるものから、「ピースサイン」やそのほかの意味不明な記号まで、統一感なく散見している。さらに「Peaceful」で検索してみると、今後は「海」や「空」「花」などの風景写真が次から次に出てくる結果となった。


 戦争のイメージには、兵器とか兵士、傷ついた人々、崩壊した建物などの統一感があるけれど、平和というのは「人それぞれ」なんですね。
 「戦争がない」という「除外診断的」にしか定義しがたいところがある。

 改めて「戦争と平和」の話に戻そう。この2つは「対」として使われてはいるものの、戦争は「目に見え」、平和は「目に見えにくい」ことで、「伝わりやすさ」においてまったく異なっていた。この「差」が戦争プロパガンダを考えていく上ではとても重要なポイントになる。なぜなら、「平和」を訴えようと思ったら、メッセージを投げかけられた人たちの頭に浮かぶイメージが異なるので、まずは各自の「平和のメッセージを互いにすり合わせる作業」が必要となってくる。つまり、コミュニケーションに「ひと手間かかる」ということだ。一方、戦争は「恐怖のイメージ」を一瞬にして多くの人と共有できるので、コミュニケーションをしやすい。残念ながら、戦争は伝わりやすく、平和は伝わらないのである。


「戦争は伝わりやすく、平和は伝わらない」
 著者は、まず、この前提から出発しなくてはならない、と書いています。
「戦後70年」で、さまざまなテレビ番組や新聞・雑誌の記事が出ていますが、たしかに、「平和のすばらしさを訴える」ためには、「平和そのもの」ではなくて、「戦争の悲惨さ」が語られることが多いのですよね。
 戦後70年間の平和についてではなく、70年前の戦争のことばかりを、みんなが採りあげている。
 しかし、戦争を直接体験した人たちは、どんどん減ってきています。


 著者は、「メディアによる人々への働きかけ」の一例として、湾岸戦争の際に起こった、ある事件を紹介しています。
 1990年10月、アメリカがイラクを攻撃する3ヵ月前に、ワシントンの連邦議会で、ひとりの少女が「証言」をしました。

 このわずか15歳の少女の名はナイラと言い、後に『ナイラの証言』としてアメリカ世論に多大な影響を与えることになったのであるが、その内容は、彼女がクウェート市内の病院で恐ろしい光景を目撃したというものだった。
「私は病院でボランティアとして働いていましたが、銃を持ったイラクの兵隊たちが病院に入ってきました。そこには保育器の中に入った赤ん坊たちがいましたが、兵士たちは赤ん坊を保育器の中から取り出し、保育器を奪って行きました。保育器の中にいた赤ん坊たちは、冷たいフロアに置き去りにされ、死んでいきました」
 このナイラの証言は、当時のブッシュ大統領により、その後40日間で10回以上も引用された。また、軍事介入を決める討議においても7名の議員がこの話題を重視し、最終的に議会で5票という僅差で、ついに軍事介入が決定されることになったのである。
 その後、この証言は全米のメディアによって報じられ、国内世論へも大きな影響を与えることになった。さらに、国際人権NGOアムネスティ・インターナショナルがこの証言を受けて独自調査を行った結果、312人の赤ん坊がイラク兵士によって殺害されたとの報告書も作成された。
 ところが、である。結論から言うと、このエピソードはすべて「つくられた物語」だった。壮大な演出の脚本は、ヒル&ノールトンという大手のPR会社によって描かれ、主演を努めたナイラもまた。彼らによってキャスティングされた人物だったのである。当初、ナイラの出自は「被占領下のクウェートで家族が報復されるのを防ぐために」という理由で隠されていたが、実際は在米クウェート大使の娘、つまりアメリカ育ちのクウェートの症状であり一度もクウェートに行ったことはなかった事実が露見した。
 もちろん、これはPR会社が独自に進めたものではない。依頼主は『自由クウェート市民』と名乗る団体で、600万ドル以上の報酬を条件にPR会社と契約を結んでいた。この団体は市民団体の体裁をとっていたものの、実際はクウェート政府から95%以上の資金援助を受けていて、アメリカ議会が軍事介入に賛成するためのロビー活動をしていたと言われている。


 なんてひどい話なんだ、と僕も思います。
 こんなのに騙されるのは、「リテラシー」が足りない、のかもしれません。
 いまのネット社会であれば、どこからか、「あの子はクウェート大使の娘だ」という「タレコミ」が入りそうでもあります。
 
 この「ナイラの証言」は、全くのでっち上げでした。
 「残虐行為」というのは、多かれ少なかれ、戦場で起こっていることではあるはず。
 しかしながら、実際に起こったことを、PR会社が片方の陣営に偏って採りあげたり、注目を浴びるようなキャッチコピーをつけることによって、人々の「これは正しい戦争なのだ」という気持ちを呼び覚ますことも可能なのです。
 この本には、「ボスニア紛争」で、「民族浄化」をキーワードに、セルビアミロシェビッチ大統領の残虐さを国際メディアを通じてアピールすることに成功したPR会社の話も出てきます。
 わかりやすいフレーズを使い、わかりやすい構図を示すことによって、「悪者」をつくることができる。
 ミロシェビッチ大統領は「無罪」ではないのでしょうが、戦後の調査では、ボスニア側にも虐殺があったことが指摘されています。
 「嘘」をつかなくても、イメージを操作し、憎悪を煽ることはできるのです。
 それを「商売」にしている人たちもいる。
 そういう世の中であることを、知っておいて損はないと思います。
 そもそも、「PR」のつもりではなくても、戦争とか大事件というネタを、メディアは「売れる」という理由で喜ぶのです。
 もちろん、「読者が喜ぶ」から、売れるのですけど。


 今の時代、「マスメディアのありかた」も、難しいものになっているのです。

 ところで、冒頭で紹介したカナダのメディア・リテラシーの教材には、アメリカ同時多発テロとは別の事例も扱われている。たとえば、9・11発生後、初めて「ビン・ラディンによる犯行声明の映像」が世界中のテレビ局で一斉に放映されたというケースもそうだ。
 あの声明文の放送は、メディア自身による取材ではなく、アルカイダが衛星回線を通じて「録画テープ」を各テレビ局に送ってきたものが使用されていた。事前にその情報を入手していたアメリカ政府は、「世界中のテロリストに向けたメッセージの可能性がある」として、メディアに対して放送の「自粛要請」を出した。しかし、メディア側は「報道の自由」を侵害する行為だと主張し、強引に放送へと踏み切ったのである。
 さて、このようなケースの場合、放送するか否か、どのような判断をするのが正しいのだろうか。テープを放送したことについて、あるキャスターは「私たちはある種の公共サービスを提供したと考えている」と述べた。つまり、私たち視聴者がビン・ラディンの声明を聞くことを求めていたということである。しかし、アメリカ政府が主張するように、放送すること自体が「テロリストへの加担になる」という側面も否めない。国際メディアが「報道の自由」を掲げることを見越して、アルカイダ側が意図的に情報を送ったことが明らかである以上、ある種の「電波ジャック」とも言えるだろう。
 このように、ある時は情報を伝えることが「テロに加担する」ことを意味し、伝えないという決断は「権力に屈した」ことになるという、いわば「こちらを立てればあちらが立たず」といったジレンマをメディアは常に抱えているのである。


 いまは、SNSソーシャル・ネットワーク・サービス)で、一気に拡散してしまいますから、メディアが「自粛」しても、せきとめることはできないのかもしれませんが……
 人々の「知る権利」に奉仕することは、テロリストの主張を世の中に広めることにもつながるのです。
 これは、どちらが正しい、と考えるべきなのか。
 「問題がある、と政府やメディアが判断した情報は、報じない」というのが慣例になれば、「彼らにとって不都合な情報は伝えない」という「情報統制」につながってしまう、というリスクもあります。
 「どうせSNSで拡散されるし」っていうのも、「言い訳」になる時代ではありますからね。


 著者は、映画『ブラッド・ダイヤモンド』の題材にもなった、シエラレオネ紛争の「解決策」を紹介しています。
 この紛争は、ダイヤモンド鉱山をめぐって、1991年から2002年まで、政府軍と反政府軍のあいだで続いた大規模な内戦でした。

 当時のクリントン政権下のアメリカが、内戦を早期に集結させるため先導したのが和平協定『ロメ合意』と言われるものだったが、その「合意内容」が国際社会に大きな論争を呼び起こすことになった。その内容とは、反政府勢力が武装解除に応じる見返りとして、「過去に行ったいかなる人権侵害をも赦す」というものだった。つまり、戦争犯罪に対して「正義は一切追及しない」ということである。しかも、上官命令に従うしかなかった一般兵士だけでなく、幹部に対しても同様の措置をとり、さらには虐殺の首謀者である反政府勢力のリーダーをシエラレオネの副大統領に任命するという、前代未聞の「恩赦」を与えたのである。伊勢崎は語る。
「そもそも和平合意をするときに、争っている双方が『平和の価値』を見出して自ら銃を置くなんていうことは絶対にありません。平和構築はそんなに生易しいものではない。国を破壊し、大勢の人を殺し、生きたまま手足を切断するような、単に殺害する以上に残酷なことまでした戦争を終結させるものは何なのか。それは、武器を手放すことでどんな利益を享受できるのかという『利害調整』である。僕が担当した武装解除も、人を殺した兵士たちに『恩赦』を与えていく行為です。アメリカを批判するのはもちろん簡単ですが、一方で、少しでも早く戦争を終結させる方法がほかにあったのかと言われれば、たしかになかったのだと思います。しかし、あくまでも『正義』を犠牲にしてつくった『平和』なのです」
「和平」や「和解」という言葉は、一見すると聞こえはいいが、言い換えれば、それは何か大事なことを犠牲にした上での「妥協」ということでもある。遠いアフリカの紛争をテレビで見ていた私たちは、もしかしたら平和を望んでいたかもしれないが、虐殺の被害者とその遺族にとっては、この結果が「平和」だったのかどうか定かではない。


 「終戦70年」で、「日本が降伏した日」の話をいくつか読みました。
 あのときの日本は「自分たちが間違っていたから」「平和を求めていたから」降伏したわけではないのです。
 原爆の威力をみせつけられ、ソ連も参戦してきて、「これはもう、勝てそうもない」「このままでは全滅してしまう(そこまで戦うことを望んだ人たちもいたようですが)」ということを悟って、迷った末に「降伏」を選んだのです。
 将来の日本のためには、それが最良の選択であることを信じて。というか、信じるしかなくて。

 
 「平和」と「正義」がつねに両立するのであれば、あえて戦争をやる人なんて、いないのかもしれません。
 でも、どこかで恨みの連鎖を断ちきらないと、平和にはならない。
 たとえそれが、一時的な平和であっても。


 言うのは簡単だけど、これは本当に難しいことですね。
 ネット上の論争ですら、「相手からの攻撃に反撃せずに終わりにする」というのはキツいのだから。
 傍からみれば「なんであんな堂々巡りを繰り返しているのだろう?」としか、見えないようなことでも。
 大切な人の命を奪った相手であれば、ネットバトルなんて比べ物にならないほどの葛藤もあるだろうし、「割り切る」のは難しい。
 「自分のほうが犠牲が大きい状態」での試合終了を、受け入れられるだろうか?
 戦争には、9回まで、あるいは前後半各45分で終わるというルールがありません。
 どちらかが絶滅するまで、延長戦は可能です。


 一度戦争をはじめて、憎悪の連鎖がはじまれば、それを断ちきることは、なかなかできない。
 「平和構築は、そんな生易しいことではない」
 平和は「当たり前」でも「自然なこと」でもないのです。

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