琥珀色の戯言

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【読書感想】指名される技術 六本木ホステスから盗んだ、稼ぐための仕事術 ☆☆☆



Kindle版もあります。

内容紹介
――今回、ホステスを題材にこの本を書こうと思うに至った理由も、それと似ています。具体的に言うと理由は二つ。一つは、ホステスさんたちがいるクラブ業界は、心が折れそうになる、そんな激しい競争の中で、クライアントをリピートさせる高度な技術を数多く持っている人たちがたくさんいる業界だということ。そこに僕らが学ぶことはとても多い。そしてもう一つは、にもかかわらず誰もその価値に全く気づいておらず、ママたちが書く本などは何かと「情熱」とか「真心」といった精神論や美学で片付けられている。この「見向かれぬ価値」に目をつけ、各々の体験から彼女らの手法を分析しつつできたのが本書です。


 以前から、「銀座ママが教える系」の本に関しては、なんとなく避けてきたのです。
 僕自身、いわゆる「女の子が接客してくれる店」には、ほとんど行きません。
 田舎住まいでそういう店が少なく、子どもが生まれてからは、遅い時間まで外で飲むこともなくなりました。
 若い人たちが「2次会はカラオケでーす」と、ザワザワしているところをさりげなくタクシーに乗って帰る。
 

 僕からすると、「銀座ママの男の値踏み」っていうのは、「飲みに行くのが好きな男という狭い守備範囲のなかでの、個人的な経験談に基づくもの」だという先入観があったんですよね。
 それこそ、この「内容紹介」に書かれている「情熱」とか「真心」といった精神論や美学で片づけられている、そう思っていました。
 自分たちにとって都合の良い客=いい男、なんだろ、と。
 「夜の世界での男のふるまい」みたいなものを、ほとんど知らないのですから、思い込みで決めつけちゃいけないのかもしれないけれど。


 そんななか、この本を手にとってみたのは、堀江貴文さんと、『シーマン』の斎藤由多加さんの共著だというのが大きかったのです。
 とくに斎藤さんの著書『ハンバーガーを待つ3分間の値段』『社長業のオキテ』は、ともにすごく面白かったので、この材料を、どう料理するのかな、と。
 

 僕は堀江さんの本も全部とは言いませんが、かなり読んでいるので、「あっ、ここは堀江さんが書いた(話した)ところだな」「このHEINZのケチャップの話とか、アップル関係は、斎藤さんのパートだな」とか、そういう「役割分担」が見えてきました。
 「合作」の各人のパートを判別する、という楽しみはあったものの、その一方で、この本には、お二人がこれまで話してきたことを、「六本木ホステス」を媒介として焼き直している、というところもあるのです。
 「六本木の夜の世界」に通じている人には、実感しやすい内容なのかもしれませんが、そうではない僕にとっては、「かえってまわりくどい説明」のようにも感じたのです。
 そういう意味では、「読む人を選ぶ」のだよなあ。


 とはいえ、水商売の世界に疎い僕でも、この本に出てくるさまざまなホステスさんたちの「技術」と、それについての堀江さん、斎藤さんの解説には、考えさせられるところがたくさんありました。
 

 映画館や芸能界ではあたりまえのことですが、主役というのは一見華やかに見えますが、本当に息が長いのは脇役です。
 目立たないがあちこちのドラマにいつも顔を出している。脇役は、誰が主役であれ、その主役を盛り上げる柔軟さを持っている。指名され続け、成績を上げていくためのレシピは、主役ではなく、実はこの「脇役」にあると思っています。
 話はそろそろ核心になりますが、彼らが失敗しないために気をつけていることは何か?
 それは主役を食ってしまうこと。主役より目立とうとしたら、出演依頼は二度とこない。だから脇役の人たちは「空気を読む技術」がすごい。
 ちなみにタレントや役者が売れるために最初に必要とされるのは格段に突出した演技力などではありません。むしろ現場の空気を乱さないこと、スタッフに逆らわないこと、待ち時間を嫌がらないこと、の三つです。


 成功するためには「自分をアピールしよう、売り込もう」と考えてしまいがちなものです。
 指名を他のホステスと争うのであれば、なおさら……のはず。
 しかしながら、この本のなかには「自分を相手にアピールしようとして、かえって疎まれる人」の話が多く挙げられています。
 「売り込みたい」のは、こちらの都合。
 相手は「売り込まれたい」のではなくて、「自分を良い気分にしてほしい」のですよね。
 自分の都合ではなく、相手の立場になって、「まずは相手を不快にしないように、気配りをする」ところから。
 
 

 読者の皆さんは、ライバルを出し抜いて、もっともっと自分が仕事で指名されたいと思っているのではないでしょうか?
 そういうときに必ず、そのクライアントとの関係性とか人間的な相性を思い浮かべるのではないですか? 「自分はどう見られているだろうか?」、「Xさんに嫌われているんじゃないか?」、あるいは「あの時に何か失礼なことを言っただろうか?」
 だとしたらあなたは、いつまでたっても仕事の悪循環から抜け出せないかもしれないですよ。
 なぜそこまで言えるか? それは、あなたが常に自分を前提に考えているからです。


(中略)


 人から好かれる性格になる方法とか、愛される方法とか、いろいろな本が国内外で出ていますが、もし本当に人から愛される方法があるのなら、そしてその本を読んだら愛される、というのなら、ぜひとも読んでみたいものです。
 本書でテーマとするのは、そういう性格改造みたいなことではなく、仕事との、あるいは仕事相手との「距離の取り方」を論じています。
 これを達成するためのノウハウをホステスから学ぶのがこの章です。
 この「躱(かわ)す」上で、まず取り組まないといけないことはこの「好き嫌い」という煩雑な問題からいかに自分を解放できるか、です。それこそが再び指名されるために必要なことなのです。


 たしかにそうだよな、と。
 ああいう「人から愛される方法」的なものって、「実行するのが難しい」っていうのもあるのだとは思うのですけど。
 この本で語られているのは、「心を変えるのは難しくても、より合理的な『自分にとってプラスになる行動』をとることは可能だ」ということなんですよね。

 ホテルの従業員は、制服を着用することで意識が個人からホテルマンにかわると言います。彼らの仕事の大半は、宿泊客のクレーム処理です。滅多なことではお礼を言われることなどない。周囲からすれば精神的にも肉体的にもしんどい仕事です。では、彼らは精神的に参っているかというと、そうでもない。
 マクドナルドの店員からドコモショップの受付、CAにいたるまで、プロの仕事人たちは皆、制服を持っています。その制服を着用することで、自己を捨て、職務に乗っ取ったプロの顔になる。つまり制服は、彼らの心を守る鎧の役目を果たしています。
 この考え方には学ぶべき点がいくつかあります。
 それはどういうときか? 客のクレームを受けたとき? いや、どちらかというと、「自分のわがまま」を出してしまいそうなとき、です。


(中略)


 消費行動においては、生存するために、あるいは自己の利益のために、対価を払うことで、「その範囲において」は、自分の好きにする権利があるべき、なのです。
 そこに仕事として接する側もいます。その者は、消費行動に対しての仕事だから「生産行動」となります。
 ときどきビジネスの真っ最中に、クライアントに対して感情的になって話している人と出くわすことがあります。確かに腹のたつこともあるでしょう。が、よくよく考えてみると、こんなにバカげたことはありません。
 プロは職務として接客をしているわけです。客は、そこに金を払う。それで商売は成立している。これを否定することは、あなたの職業を否定することになってしまう。お金を払ったのに自分の好きなようにできないなら、人間は、いつわがままになればいいんだ? となってしまいます。
 これらは取引なので、合理的に取り決めた「その範囲において」は、という条件付きですが、とにかく個人の感情を出す必要などないし、あってはならない。言い換えるならば、仕事中のプロが反発感情や自己欲望を感じたら、何かが間違っている、と思った方がいい。それはちょうど、「わがままなホテルマン」とか「わがままなマクドナルドの店員」というくらい、ありえない、最低なことです。


 こちら側からすれば、「いや、対価を払っているからといって、『その範囲』を明らかに逸脱してくる人もいるんだよ……」と反論したくなるのですが、仕事に慣れてくると、あるいは疲れてくると、たしかにそういう「隙」が表に出やすくなります。
 2000年に食中毒事件の対応に追われ、「私は寝てないんだ!」と発言して大バッシングを受けた社長とか、昼間からの症状+軽症で受診し、待たされたことにクレームをつけてきた患者に怒った当直中の医者とか、「気持ちはわかる」のです、本当に。僕だって、「寝てないのに……」と言いたいことも、「なんでこんな時間に……」と呆れることもある。

 「身も蓋もない話」なのですが、そこでキレてみても、自分自身には、何のプラスにもならないし、誰も救われない。
 理屈ではわかっているし、大部分のそういう立場の人は、なんとか自分を抑えるのですが、感情が溢れてきてしまう状況がある、というのも、わかるんだよなあ……


 この本に書いてあることは、すごくよくわかる。
 ただし、「わかるけど、これをやり続けるのは、並大抵のことじゃない」のです。
 そういう意味では、「愛される方法」と似たようなものなのかも。


 ちなみに、こんな「『シーマン』開発秘話」が紹介されていました。

 シーマンという人面魚にマイクで話しかけるというゲームを作ったときのことです。
 このゲームは音声認識という技術を使っているものでしたが、普通の人間が日常会話で話すように思いつくまま話すと、言葉が長すぎてプログラムは何を言っているのか認識ができません。
 つまり技術的な限界値として、ごくカンタンな言葉をひと言ふた言、話してもらわないと会話のゲームにならないということが、発売前のモニターテストでわかってきました。
 発売前のそのテストイベントでは、きちんと理解しないこの人面魚に対して人々がだんだんいら立ち、怒ってくることがわかってきました。
 我々制作側は、発売までの残り少ない期間で、それを解決するアイデアを絞り出す必要がありました。このままでは商品にならないし、音声認識ソフトのレベルを高めるなど気長なことは言ってられません。
 そこで人面魚にこう言わせることにしました。
「おまえ、話が長いよ。何言ってるかわかんねぇよ」
 そう言い放って人面魚は不機嫌に去ってしまいます。
 そうなると、人は自分がいけないか、と悟り、「ごめんね」「こっちきて」と、まるで赤ちゃんに語る親のように、はっきりと、そして短く喋るようになったのです。まさにこれは相手を共犯として、こちらに合わさせてしまう、心理的トリックでした。
 このすげ替えによって、音声の認識率が飛躍的に上がったのです。
 この結果として、「シーマン音声認識をぜんぜんしない」という評判を回避することができました。


 人って、「切り口」とか「見かた」を変えると、同じものを、全然違うものとして認識してしまうもののようです。
 僕も『シーマン』の機嫌を懸命にとっていたことを思い出しました。
 「毒舌」で「わがまま」だからこそ、振り向かせたい、そんなこともある。

 
 この本、実は、僕のような「水商売のことをよく知らない人間」こそ、一読してみるべき、なのかもしれませんね。
 これを書いていたら、なんだかそんな気がしてきました。



参考リンク:【読書感想】社長業のオキテ(琥珀色の戯言)

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