
- 作者: 内田樹,釈徹宗
- 出版社/メーカー: 東京書籍
- 発売日: 2015/03/04
- メディア: 単行本
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- 作者: 内田樹,釈徹宗
- 出版社/メーカー: 東京書籍
- 発売日: 2015/03/06
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内容紹介
日本の宗教性の古層を熊野で探る!
思想家であり武道家の内田樹と、比較宗教学者で僧侶でもある釈徹宗が、日本人が失っている霊性を再発見すべく日本各地の「聖地」を旅する新シリーズ。
第2回目は両著者とも初めてとなる紀伊半島・熊野をめぐります。
平安時代から鎌倉時代にかけて、「蟻の熊野詣」と呼ばれ、信仰を集める熊野。
いまなお日本の宗教性がむき出しとなっている聖地で内田樹・釈徹宗は何を思い、感じとったのか――。
よく知られた熊野那智大社や熊野本宮大社といった場所だけではなく、船玉神社や産田神社など、あまり知られていないスポットも紹介しています。
巻末にはこれまでの聖地巡礼を振り返って“復習”できるので、シリーズ1巻を読んでいなくても楽しめます。
内田樹さんと釈徹宗さんによる「聖地巡礼」シリーズ第2弾。
今回は、紀伊半島・熊野巡りです。
近年、「聖地」ブームが続いているようで、僕の妻も「熊野古道」に行ってみたい、とずっと言っていたんですよね。
実際に予約までしていたのですが、次男の妊娠が判明したために行くことができず、かなり残念そうでした。
2004年に世界遺産に登録されてから、若者や宗教的な場所に興味がなかった人も、熊野に目を向けるようになってきたようです。
釈徹宗:熊野古道が整備されたのは院政時代なのでしょうか? 相当な財力が必要だったんでしょうね、これだけの規模の道をつくるのは。
森本(案内人:新宮市観光協会):整備したのはおそらく南北朝から室町にかけての熊野詣のときじゃないでしょうか。それから後はしばらく荒れていたと思います。
釈:いまの熊野ブームは戦後からですよね。戦後といっても、もうほんとに最近。高度成長期に熊野を参拝する人はあまりいなかったですから。
森本:ちょうどバブルの頃、1988年に熊野で日本文化デザイン会議が開かれました。そこへ中沢新一さんが来て南方熊楠の話をしたあたりから注目されるようになってきましたね。
内田:そうか、中沢さんか。あの人、なんだか現代の行基みたいな人だな。どっかに行って、トントンと杖でたたいて、ん、ここに何かある。アースダイブせよ」とかいうと、人々が「おおっ」ってどよめくという(笑)。でも、バブルと熊野参詣の相関性というのも面白い。
森本:バブル狂乱の中で、「これでほんとうにエエんか?」って考えた人たちがここに集いはじめたんだと思います。
熊野が「再発見」されたのが、バブルの反動だったというのは、なんだかわかるような気がします。
そして、バブルは文字通り消えてしまったけれど、その後も熊野ブームは続いているようです。
世界遺産への登録もありましたし。
僕も「あんな山道を歩くのは大変そうだなあ、蛇とか出そうだし……」と思いつつも、「熊野」という場所には興味があったので、この本、どんなことが書かれているのだろうかと期待して読みました。
内田さん、釈さん、そして、現地で解説をしてくれている人たちの話は面白いのだけれど、この本は、「熊野に行ったことがない人のためのガイドブック」ではなくて、「熊野に行ったことがある人が、おふたりの『解釈』を読んで楽しむためのもの」だと感じました。
聖地というのは、「空気感」みたいなものが大事で、それは、言葉にしようとすればするほど、こぼれ落ちてしまうもの、なのかもしれません。
内田先生が言葉にすればするほど、なんだか「内田バイアス」がかかってしまって、その場所の本質がわからなくなってしまうような気がするのです。
僕が実体験したことがない場所だけに、なおさら。
熊野って、たぶん、「考えるより、感じる場所」なんだろうなあ、と。
ここに書かれている、昔の人の「熊野好き」エピソードには、けっこう驚かされます。
内田:それにしても、昔の上皇や法皇もこの道を歩いたわけですね。あれだけ何回も来ているんですから、当然輿(みこし)でしょうけれど。
釈:とにかく後白河法皇などは30回以上も来てますからね。ただ、実際に籠ってはいたようですよ。
なにがそんなに面白くて……という感じです。
もちろん、面白がって来ていたのではないと思いますが、いくら輿とはいえ、当時の移動手段を考えれば、京都からはかなりの長旅になるでしょうし。
後白河法皇は、熊野に「何か」を感じていた、ということなのでしょうね。
釈:やっぱり当時としては相当厳しい参詣だったはずです。後白河院法皇について行かされた藤原定家なんかもう泣いて泣いて、「どうしてこんな酷い目に遭わされなきゃいけないんだ」と書き残しています。それでも後白河法皇は34回も行っている。
ああ、藤原定家さんとなら、友達になれそうだ……(向こうからお断りだろうけど)
法皇がひとりで歩いて参詣するはずもないので、随行する人たちにとっては、かなり迷惑だったのではないかと思われます。
上司の趣味に頻繁に付き合わされて辟易する部下、というのは、日本の伝統文化なんだな、と苦笑してしまいました。定家さんには悪いけど。
一行は、那智の滝をずっと見つめていてトランス状態に陥るのですが、そのなかで、こんな話が出てきます。
釈:こちらが那智の滝ですね。あ、滝壺が完全に埋まっているじゃないですか。土砂がすごい。
内田:ほんとだ。ひどいですね。
釈:ずいぶん大きな被害だったのですねぇ。
森本:でも、一方でこれは自然のなせる業なんだから、「そのままにしておこう」という意見もあります。
内田:僕もそう思います。このままでいいんじゃないですか。これが自然の景観なわけだから。原状回復って変ですよ。
釈:周りを護岸工事みたいにしてしまうと駄目ですよね。森本さん、この滝の上って見られたことはあります?
2011年の台風で、那智の滝の上流がかなりの影響を受けてしまったそうなのですが、それをどうするべきなのか?
もともと人間がつくった建物であれば「再建」「修復」するのもやぶさかではないとして、それが「自然」である場合には、どうするべきなのか?
台風が来て、滝壺が土砂で埋まってしまうのも「自然なこと」ではないのか?
こういうのって、本当に難しいですよね。
「自然」だけでなく、人間がつくった歴史的に評価されている建物でも、自然の劣化に任せて、古いままがいいのか、「修復」すべきなのか、問題になることもありませんし。
一度は熊野に行ってみたくなる本ではありますが、書かれていることを実感できないのは、なんだかもどかしくもありました。
「読んだだけでは、行った気分になれない」という意味では、熊野に人を向かわせる良質の案内書、ではあるのかもしれませんね。
「定家派」としては、「歩くのきつそうだな……」とか、つい考えてしまうのですけど。