琥珀色の戯言

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【読書感想】高野山 ☆☆☆☆

高野山 (岩波新書)

高野山 (岩波新書)

内容(「BOOK」データベースより)
日本各地のみならず、世界から多くの人が訪れる高野山世界遺産に登録されて、二〇一五年には開創一二〇〇年を迎える。この地の四季を通じての儀礼、歴史、弘法大師空海の生涯、そして仏像や建築など文化財について、高野山に生まれ育ち、密教研究の第一人者であり、高野山真言宗管長を務める著者が体験を込めて綴る。


 2004年7月に、高野山町石道と山内の6つの建造物が熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコ世界遺産に登録されています。
 僕も一度は行ってみたい場所なんですよね、高野山
 若い頃は、お寺とかパワースポット的なところなんて、全く興味がなく、「もっと派手な観光地、遊べるところのほうがいい!」と思っていたのですが、最近は、静かな場所に興味が移ってきて。
 気になりつつも、実際にどんなところで、どんなことが行われているのか、という基礎知識は、ほとんどありません。
 そこで、この新書を手にとってみたのです。

 現在の高野山は人口およそ二千数百人。そのうち僧侶はほぼ一割、大多数は在家の人々によって構成されている。山内には、こども園から小学校、中学校、高等学校、大学、専修学院などの教育機関、役場、消防署、郵便局、銀行、診療所、各種の商店、コンビニにいたるまで、日常生活にほぼ支障のない生活基盤が整えられ、町制が敷かれている。寺院の数が多いだけで、一般の街とそれほど変わるところがない。寺院と堂塔伽藍が主体ではあるが、民家も少なからず混在し、山上の宗教都市を形成しているところに、高野山の地域特性があるといってよい。


 ああ、「聖地」であるのと同時に、けっこう普通の「山の中の普通の街」という面も、持っているのだなあ。


「公園墓地」という項には、「ブランド化した高野山」というような一面もうかがわれます。

 終戦後、中の橋バス亭から奥之院にかけて広大な森林が伐採されて、新しい墓地が開かれた。
 その中心地帯に、第二次大戦の戦没者と戦災横死者を祀る慰霊殿がどっしり構える。この新しい墓地一帯には、戦後の日本経済の発展に寄与した有名企業の社員の慰霊碑が建ち並び、あたかもいろいろな会社の広告塔の感がしないでもない。企業の経営者一族、あるいは有縁の方々の供養碑が国籍を問わず数多く造立され、国際的な墓地の様相を呈している。
 関東大震災阪神淡路大震災東日本大震災などの慰霊供養舎や慰霊碑には、災害の起きた命日に、全山の僧侶によって丁重な法会が営まれ、横死者(不慮の災による死者)の供養も続けられている。

 「企業の広告塔の感がしないでもない」と、著者がチクリとやってしまいたくなるような「俗」な一面も、この長い歴史をもつ聖地にはあるのです。
 その一方で、「ずっと供養を続けている場所」でもある。


 正直、「観光地としての高野山」を知りたいのであれば、もっと見やすくて参考になる雑誌・ムックはたくさんあると思うのですが、せっかく行くのであれば、その歴史的な背景も少しくらいは頭に入れておきたい、という人には、うってつけの新書だと思います。
 多くの寺院が「観光地化」されてきているなから、高野山は、弘法大師空海が開いてから、「仏法を研究するための施設」としての位置づけを、連綿と維持し続けているのです。


「堅精の儀」という行事についての解説。

 旧暦の五月三日の夜に、伽藍の山王院において徹夜で行われる古式豊かな論議の儀式をいう。
 南都興福寺で行われていた『法華経』と『維摩経』による二会の形式に倣って、応永十四(1407)年五月三日に山王院において初めて実施された。
 現在は勧学会の三年目の学習を終えた二人の僧が、旧暦の九月三日から山内の席順に従って一年間、それぞれ明神を自坊に迎え、精進潔斎して御本地供という特別の修法を毎日怠らず供養する。その間は論議の議題についての研鑽を積み、堅精の儀に臨む。
 両人のうち上位の僧が精義、下位のものが堅儀の役を務める。堅義とは義を堅(た)つ、つまり理論構成を作り上げる役で、精義とはその堅てられた論議の内容を精査して判定を下す役である。
 当日は山王院に若手の僧が数人参加し、ともに法会を行った後、若い僧が論議を展開し、堅義者と討論を重ねる。若手の僧は次々変わって堅義者に切り込み、さらに討論を重ね、内容を深め、五人との討議を終えると、夏の短い夜はほのかに明るみ始める。最後に精義者が御領解という判定を下して、徹夜の論議は最終決着を迎える。

 「かなり古い言葉や専門用語が使用されており、深い知識を持った人以外には理解不能」な仏法についての解釈議論が、いまでも定期的に行われているそうです。
 現在でも、その知識を深めるために一生をかけて勉強と修行をし続けている人が、高野山には存在している。
 極めても、モテるわけでもなく、お金持ちにも、たぶんなれないのに。
 そういう人の存在を思うだけで、僕はなんだか圧倒されてしまうのです。


 この新書のなかでは、高野山の宝物館収蔵のさまざまな絵や仏像、仏具、書などについても触れられています。
 国宝や重要文化財がずらっと並んでおり、日本国内で、1ヵ所にこれだけ多くの国宝級の文化財が集っている場所は、他には無さそうです。


 専門的な内容などは、かなり読み飛ばしてしまったところもあるのですが、「観光地としてだけではない、活きた修行の場としての高野山」に興味がある人にとっては、格好の入門書だと思われます。


高野山の秘密 (扶桑社BOOKS)

高野山の秘密 (扶桑社BOOKS)

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