琥珀色の戯言

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【読書感想】ショパン・コンクール - 最高峰の舞台を読み解く ☆☆☆☆

内容紹介
ポーランドワルシャワで五年に一度開催されるショパン国際ピアノ・コンクール。ピアニストをめざす若者たちのあこがれの舞台であり、その結果は彼らの生涯を大きく左右する。
本書では一九二七年の創設以来、紆余曲折のあったコンクールの歴史を紹介した上で、現地で取材した二〇一五年大会の模様をレポート。
客観的な審査基準がない芸術をどう評価するのか、将来日本人優勝者は現れるのか。
コンクールを通して日本の音楽界の未来を占う。


 音楽に興味がある人であれば、「ショパン・コンクール」の名前くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。
 音楽エリートたちが競い合うコンクールのなかで、日本でもかなり名前を知られていて、中村紘子さんなどの有名ピアニストを輩出しています。
 ちなみに、日本人ピアニストの最高位は第8回の内田光子さんの2位で、優勝者はまだ出ていません。
 最近では、中国や韓国など、アジアからの参加者がかなり多くなっているそうです。

 私の元生徒の夢は「ショパン・コンクール優勝」でも「入賞」でもなく、「出場すること」だったが、実は出場するだけでも大変なことである。というのは、ここまで語っているように書類、DVD審査があり、それを通過しても予備予選があり、セレクトされた80名のなかにはいらないと秋の本大会に「出場」したことにすらならないからだ。


 この本は、ピアニストであり、エッセイストでもある著者が、2015年のショパン・コンクールを現地で取材し、この有名なコンクールが実際にどのように行なわれているかを記録したものです。
 各演奏者への著者、あるいは審査員の印象などがかなり詳細に記されているので、ネット配信もされているショパン・コンクールを追いかけているファンにとっては、かなり興味深い内容ではないかと思います。
 正直なところ、「ショパン・コンクールって、名前は聞いたことがあるけど、実際はどんな感じなの?」というレベルの僕は、出場者の顔と名前と演奏がまったくわからないので、コンクールの概略はわかるけど、ディテールにはついていけないなあ、という感じではあったのですよね。


 コンクールの応募するための演奏の録音やDVD作成には、それなりのテクニックみたいなものがあって、また、演奏については審査員の好みもあるので、予備予選を通過することもなかなか難しいのです。
 技術的に稚拙な演奏は論外だとしても、「譜面に忠実な演奏」と「演奏家が独自の解釈を加えた演奏」のどちらを評価するのか、というのは、ショパン・コンクールにかぎらず、審査の大きな課題であることを著者は指摘しています。
 「ショパンの解釈」といっても、残念ながら、ショパンが生きていた時代には録音ができる技術はなく、いま生きている人は誰もショパンの生演奏を聞いたことがないのです。
 そのなかで「ショパンらしさ」をどう評価するか、というのは、どうやっても「公平」にはなりにくい。
 声が大きい審査員の意見が通る、地元(ポーランド)の候補者だから点数が甘くなる、ということになりがちなんですね。


 文字による記録では、ショパンはそんなに譜面どおりの演奏にこだわらなかったようです。

 ところで、ショパンのピアノを聴いたモシャレスが「自由な演奏」に驚いたことを思い出していただきたい。それも、自由な演奏が当たり前だったロマン派時代のことである。
ポゴレリチの演奏についてバドゥラ=スコダは、いくつかの瞬間はすばらしく、他の容認できない部分を補ってあまりあったと称賛している。いっぽうマガロフは、一般論として最近のピアニストは「ショパンの書いた指示を全く尊重していない」と言い、「作曲者の精神をいかに表現するかが最も基本的な事なのですから」と「楽譜に忠実」的姿勢を示している。
 審査委員長で指揮者のカジミエシュ・コルトは記者会見で、「ポゴレリチは二次予選を下位で通過したにもかかわらず、三次予選ですさまじい追い上げを見せたが、届かなかった。コンクールの根本的な条件として、楽譜に書かれている事を正確に演奏に映すことが必要です」と釈明する(ショパン自身が楽譜をさまざまに変えて弾いていたのだが……)。


 ショパン・コンクールでも、「楽譜に忠実派」と「演奏家のオリジナリティを評価する派」の審査員が、毎回せめぎあっているのです。


 1995年に「1位なしの2位」になったロシアのアレクセイ・スルタノフさんは、インタビューのなかで、こう仰っていたそうです。

「審査員のみなさんは素晴らしいピアニストばかりですが、時代遅れです。特にポーランド人の方はショパンの音楽を自分流の聴き方しかできません。私は偉大なるロマン派の音楽を自分なりに表現します。ただ、ショパン自身が感受性豊かなだけの人間ではなく、革命的な人であったことを忘れてはなりません.気品のある優等生的な弾き方は、審査員にとって都合がいいからということでしかないように思われます」


 まあ、これも「審査される側からの主観」でしかない、といえばそうなのですが、「音楽を評価し、順番をつける」ということの難しさを考えさせられます。


 この新書を読んでいると、プロのピアニストの「技術を評価する目の確かさ」も伝わってくるんですけどね。
 だからこそ、「みんな技術的には問題ないなかで、どんな基準で順番をつけるのか」は、一筋縄ではいきません。


 また、本大会では、オーケストラと共演することになるのですが、オーケストラとの相性やコミュニケーション能力が問われるのです。
 オーケストラ側にも「問題」があったことを著者は指摘しています。

 第二位に入賞したアムランは、若いコンテスタントが多いなか、成熟した音楽づくりで光彩を放った。協奏曲は一人だけ『第二番』。繊細でしなやかなピアニズムを駆使する彼には最適の選曲だが、オーケストラが準備不足だった。
 リハーサルに立ち会った関係者の情報によれば、第一楽章を通したところでソリストを待たせたままオーケストラの部分練習が始まってしまったという。コンテスタントにとって貴重なリハーサルの時間をオーケストラの練習に使うとは、権威あるコンクールの場で起きることだろうか。
 結果的にアムランの『第二番』は、オーケストラに気を使うあまりソロのときの伸びやかさをやや欠く演奏になった。


 権威あるコンクールでも、すべての出場者が同じ条件、というわけにはいかないのです。
 それでも、コンテスタントたちは、音楽人生をかけて、コンクールに挑むしかない。
 多くの人は、ニュースで「日本人が○位入賞」というのを聴いて、「優勝じゃないのか」などと一瞬気に留めるくらいの音楽コンクール。
 音楽の世界で認められる、食べていけるようになるというのは、本当に大変なことなのだなあ、と圧倒されるばかりです。


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