アルゲリッチとポリーニ ショパン・コンクールが生んだ2人の「怪物」 (光文社新書)
- 作者:本間ひろむ
- 発売日: 2020/01/15
- メディア: 新書
Kindle版もあります。
内容(「BOOK」データベースより)
ともにショパン・コンクールで優勝し、現在、世界最高のピアニストと称されるマルタ・アルゲリッチとマウリツィオ・ポリーニ。だが、2人の演奏スタイルは正反対。「情感豊かに感性で弾く」アルゲリッチに対し、「完全無欠な演奏を披露する」ポリーニ。得意とするレパートリー、そして私生活でも対照的な面を見せる。クラシック音楽界の「怪物」2人はどんな人生を歩み、演奏スタイルを追求してきたのか。日本との接点は?―2人の物語を音楽的事象に沿って綴りながら、20世紀後半から現在までのクラシック音楽史を照らし出す。名盤紹介付き。
クラシック音楽には全然詳しくないのですが(数年に1回くらい、オーケストラのコンサートに行くくらいです)、マルタ・アルゲリッチとマウリツィオ・ポリーニというピアニストの名前は知っています。生で演奏を聴いたことはないけれど。
この本は、「ショパン・コンクール」で優勝した(ポリーニは1960年、アルゲリッチは1965年に優勝)、性格的にも演奏するピアノも対称的な二人の「天才」の半生を、日本との縁をまじえながら語ったもの(+二人の名盤紹介)です。
半神のごとく崇拝されているかどうかは別にして、サムライの地で批評家をしている私の目から見ても日本人の大好きなピアニストはアルゲリッチとポリーニであることに間違いはない。ピアノを習っている人口はとても多いくせに演奏会は満員にならないこの国で、彼らの来日コンサートのチケットを手に入れるのはまさに至難の業。クラシック界においてこの2人は別格なのである。
オリヴィエ・ベラミーが指摘するとおり、ともにショパン・コンクール優勝を機に世界的ピアニストの仲間入りを果たした2人なのだけれど、「情感豊かに感性で弾く」アルゲリッチに対し「完全無欠な演奏を披露する」ポリーニ。そう、2人の演奏スタイルは正反対。レパートリーもショパンはもとよりチャイコフスキーやラフマニノフといったロマン派を得意とするアルゲリッチに対し、ポリーニはベートーヴェンやシューベルト、ブラームス、シェーンベルクなどの20世紀音楽など中央ヨーロッパ型・巨匠ピアニストの王道を行くもの。「目の前にいる愛する女を運命の人だと思うのがロマンチスト、たくさんいるいい女の一人に過ぎないと思うのがリアリスト」というセリフが「ハッピーエンドが書けるまで』(ジョシュ・ブーン監督)という映画に登場するが、まさにこの2人に当てはまる。
アルゲリッチは恋人が去ったと言ってベッドの上で3ヶ月も泣いている、そうロマンチストなのだ。奔放な交友関係、すべて父親の違う3人の娘をもうけるなどひとりの女性としてもドラマティックな人生を歩んできた。だからこそ、ホロヴィッツに負けないくらいエモーショナルな(あるいはデモーニッシュな)ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番が弾けるのだ。
一方のポリーニは、ショパン・コンクールで優勝したのにも拘らず直後からさっと姿を消し、自分に足りないものをきちっと勉強するために8年間を費やした。ミケランジェリやルービンシュタインの下でピアノの研鑽を積んだだけではなく、ミラノ大学に通って物理学と美学を学んだ。なんというクールガイ。そして、彼はほとんど自らの私生活を語らない。ピアニストとしての活動だけが人生ではない、と割り切るリアリストなのである。そんな明晰な頭脳を持つからこそ難解な現代音楽に光を当てることができるのだ。
5年に一度行われるショパン・コンクールで、この2人が続けて優勝したというのは、事実は小説より奇なり、というか、「マンガみたい」ですよね。
クラシック・ファンにとっては、アルゲリッチとポリーニの人生におけるさまざまなエピソードは、よく知られたものだそうなのです(と、Amazonのレビューに書いてありました)が、クラシックに疎い僕は、こんな奇人たちが、どんなピアノを弾くのだろう?と、演奏を聴いてみたくなりました。
「恋多きピアニスト」であり、父親の違う3人の娘を生んだアルゲリッチも凄いけれど、ショパン・コンクールに優勝し、ピアニストとして十分に「稼げる」立場であったにもかかわらず、大学に通って物理学や美学の勉強をはじめてしまうポリーニに、僕は「なんだかすごい人だなあ」と圧倒されてしまいました。
将棋の藤井聡太七段が、対局を休んでいきなり大学で物理学を勉強しはじめたらびっくりするじゃないですか(藤井七段は、そういうことをやりそうな感じもしなくはないですが)。
キャンセル魔──。
予定されていた演奏会がキャンセルされる。チケットを買って待っていた聴衆は肩透かしを食らう。次にチケットを買った聴衆はハラハラしながら演奏会の日を待つ。この繰り返しがピアニストに付加価値をつける。稀代のスターであることとキャンセル魔ということは無関係ではないのだ。
キャンセル魔と聞いて名前が浮かぶピアニストは?
アルトゥーロ・ベネデッディ・ミケランジェリ、ウラディミール・ホロヴィッツ。そしてグレン・グールド(1932年、トロント生まれ)。
ある時、スタインウェイ社を訪れたグレン・グールドの肩をピアノ技術者のひとりが親しげに叩いて挨拶した。グールドはその行為に対して、30万ドルの損害賠償を要求した。医学的な診断を下すことのできない謎めいた肩の故障により、3ヶ月間にわたりコンサートをキャンセルしなければならなくなった、というのが主な理由である。スタインウェイ社はこの金額を支払った。
グールドがキャンセルした演奏会は5回に1回程度だったというが、32歳の若さで早々とコンサート・ドロップアウトを宣言してのちはテレビやら映像やらで演奏を披露していた。
そんな最中のグールドに代役をさせたピアニストこそアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリである。
謎の肩の故障!
某プロ野球選手のことを一瞬思い出してしまいましたが、あれも原因ははっきりしないので、これ以上突っ込むのはやめておきます。
しかし、5回に1回キャンセルとか、この肩ポン事件で損害賠償とかいうエピソードを聞くと、唯一無二クラスの天才になると、けっこうやりたい放題なのだな、とも思えてきます。
ちなみに、アルゲリッチも演奏の前には極度の緊張から、精神的に不安定となることが多かったそうです。
1965年のショパン・コンクールにエントリーしたマルタ・アルゲリッチの楽屋にはしばしば医者が訪れた。理由は極度の緊張、不眠症、「ひどい気分なの。弾きたくないわ」という例のやつ。
しかし、連日カラスのような黒い衣装を着てステージに上がると、アルゲリッチは情熱に満ち、かつ繊細な演奏を披露して観客を熱狂させた。当時のコンクールのライブ録音を聴いてみると、まずそのダイナミックな楽音に驚く。まるで男性が弾いているのかと思うほどに。荒削りなところも男勝り。彼女の演奏はどこまでも情熱的でありどんどん聴くものに迫ってくる。そう思った途端、ひどく繊細で美しい音色を響かせる。天才が目の前にいる、とワルシャワの聴衆は思ったに違いない。
そしてアルゲリッチは優勝した。マズルカ賞も得た。数年前までろくにマズルカなんてさらったこともないくせに──。
「もっと上手く弾けたのに」
という名言を残して。
この本を読んでいると、「天才だって努力している」という僕の持論に、どんどん自信がなくなっていくのです。
著者は、アルゲリッチと長年くっついたり離れたりを繰り返してきた(アルゲリッチの娘・ステファニーの父親でもある)スティーヴン・コヴァセヴィチとの関係について、こう書いています。
コヴァセヴィチ(当初はフリートウッド・マックのメンバーにいそうなスティーヴン・ビショップと名乗るアメリカ人)はまるでイギリス人のように一日8時間はピアノを弾く。アルゲリッチは昼まで寝ていて夜もほとんどピアノに向かわない。こんな2人がうまく行く訳がない。昼まで寝ている人の方が魅力的なピアノを弾くとしたら、尚更だ。
アルゲリッチは、交友関係も広く、日本でも「別府アルゲリッチ音楽祭」を長年開催しています。
偉大なピアニストとして尊敬も集めているのですが、身近な人にとっては、こんな天才と自分を比較してしまうのは、ものすごくつらいことなのでしょうね。
どちらかというと、彼らの音楽よりも、歩んできた人生や人柄を中心に書かれている本なのですが、読んでいると、「こういう人たちが弾いているピアノ」に、すごく興味がわいてくるんですよね。
クラシック音楽に詳しい人にとっては「既出」なのかもしれないけれど、クラシックに興味はあるけれど、どこから手
をつけたら良いのかわからない、という人は、まずこれを「読んでみる」のも一興かと思います。
「ショパン・コンクール」について詳しく知りたい方は、こちらの新書をどうぞ。
fujipon.hatenadiary.com