琥珀色の戯言

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【読書感想】愛と狂瀾のメリークリスマス なぜ異教徒の祭典が日本化したのか ☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
なぜキリスト教信者ではない日本人にとっても、クリスマスは特別行事になっているのか? それは実は、力で押してくるキリスト教文化の厄介な侵入を――彼らを怒らせることなく――防ぎ、やり過ごしていくための、「日本人ならではの知恵」だった! 「恋人たちが愛し合うクリスマス」という逸脱も、その「知恵」の延長線上にあったのだ――キリスト教伝来500年史から、極上の「日本史ミステリー」を読み解こう!


 1970年代初めに生まれた僕にとっての子どもの頃のクリスマスは、ケーキが食べられて、25日の朝には枕元にプレゼントが置かれている、楽しみな日でした。
 それが、大学生、1990年代になってくると、クリスマスは「恋人と過ごす日」になり、僕も「なんでキリスト教徒でもないのに、こんな日をチャラチャラと祝わなければならないんだ!」と憤っていた記憶があります。
 当時はバブルが学生にまで浸透し、クリスマスは彼女と豪華ディナー+シティホテルで過ごすのが「誠意」だと思われていた時代だったんですよね。
 思えば、何万円もするディナーとか、1年前からシティホテルを予約し、1泊5万円とか、まさに狂乱の時代だったよなあ。
 でも、たしかにあの頃には「そうしなければならない」という圧力もありました。
 今では、イブの夜にはこっそりと包みを抱えて子ども部屋に入り、明石家サンタを観るだけになってしまった僕にとっては、なんとなく、一周して子どもの頃のクリスマスに戻ったような感慨もあるのです。


 この本、著者がさまざまな時代の文献や新聞・雑誌の記事を追いながら、日本でクリスマスがどのように祝われ、受け入れられてきたのかが書かれています。
 1549年にキリスト教が日本に伝来してきたのですが、1587年、豊臣秀吉による「伴天連追放令」を期に、公にはクリスマスが祝われることはない時代が続きました。
 明治維新後も、キリスト教信仰は諸外国との関係もあって、黙認されてはいたものの、政府としては、天皇家よりも神を上位に置くという信仰への怖れもあったようです。

 この本を読んでいて、あらためて感じるのは、少なくとも明治維新以降の日本人は、クリスマスとキリスト教信仰は「別物」と考えており、だからこそ、「乱痴気騒ぎができるイベント」として重宝していた時期が長い、ということなんですよね。
 そういう姿勢に対して、「キリスト教の信者でもないのに……」と苦言を呈する人々が、どの時代にもいたのです。
 太平洋戦争中の「特別な、クリスマスどころではない時代」を除いて。

(1905年暮れのクリスマスについての記事)

「横浜のクリスマス」(現代訳)
「一昨日はクリスマスだったので、横浜在留の各商館、外人はみな休業して午前九時頃教会堂に集まって、賛美歌を唱ってお祝いをし、帰宅したあとは一家団欒して楽しく祝日を送った」(12月26日)

 定型記事に戻っている。クリスマスは「楽しく過ごした」と報道されることに決まっていた。毎年そう報告されている。


 1874年から1905年にかけて、明治でいえば7年から38年、この三十年間はだいたいクリスマスはこのような報道がなされてきた。
 クリスマスはあくまでキリスト教徒のお祭りであり、異人さんたちが楽しそうに過ごす日である。だいたいすべて居留地内(元居留地内)のクリスマスである。信者でない一般的日本人が、クリスマスに参加したり、自分たちで祝ったという記事はない。
 この時点までの日本人にとって、クリスマスは”他者の祭り”である。
 ただ、楽しそうだな、という気分が込められている。この気分が、日本人のクリスマス騒ぎを招聘しているように見える。


 そして、日本の社会は、この1900年代(00年から09年)半ばに大きく変動していく。1906年から日本のクリスマスへの距離が変わっていく。


 日本人がクリスマスに「馬鹿騒ぎ」するようになるのは、1906年からだった、と著者は指摘しています。

 日本のクリスマスのひとつの区切りは1906年にある。
 ここが、キリスト教と関係のない日本のクリスマスが本格的に始まった年である。
 1906年以降、クリスマスは”羽目をはずしていい日”として日本に定着していく。
 原因は明らかである。
 ロシアに戦争で勝ったから。
 それまでは西洋列強にいいように振り回される三等国であったニッポンが、キリスト教列強国トップグループの大国ロシアに勝った、その解放感と嬉しさに社会が満ちあふれている。その気分が紙面を通して、強く伝わってくる。


 1905年、日露戦争で、日本がロシアに(いちおう)勝ったのが転機になったのです。
 それによって、西洋文化コンプレックスから解放された日本人は、クリスマスを日本風に組み替えて、イベントとして取り入れていったのだと、著者は述べています。

 昭和に入り、クリスマスの様相が変わる(この章だけ元号表記を前にします)。
 大正帝が崩御されたのが12月25日であったため、昭和2年からこの日は「大正天皇祭」となった。先帝が崩御された日として官公庁が休む日となった。つまり祭日だ。
 昭和2年以降、日本において、12月25日が休みとなった。
 これは昭和22年まで続く。つまり1927年から1947年まで、昭和2年から22年までの21年間、日本では12月25日が休日だったのである。クリスマスが毎年休みであり、クリスマスイブは毎年休前日となった。これがいろんな影響を与えてくる。
 12月25日が日本の休日だったことは、けっこう忘れられているとおもう。
 ただし、先帝崩御の日としての休みである。


 僕はこの「12月25日が祝日だった時期がある」というのは、知りませんでした。
 こういうのって、イベントとして楽しむ側にとっては、かなり大きいですよね。
 昭和の前半は、日本に大きな戦争が近づいてくる時期なのですが、満州事変が起こってもクリスマスの盛り上がり(当時は、カフェやダンスホールに大人が集まって踊りまくる、というようなイベントと、子ども向けの『クリスマス会』、家庭での豪華なディナーなどが定着していたそうです)は、しばらく続いていました。
 著者は、満州事変が勃発した昭和6年から3年ほどが”日本クリスマス史上もっとも狂瀾的騒擾に走っていた時期”ではないか、とも指摘しています。
 そして、戦後になって、また狂騒をみせるようになったクリスマスに対して、こんなふうに述べているのです。

 16世紀から、ずっとクリスマス記載を見続けている私にとっては、「1928年から1936年までのクリスマスの大騒動」と「1948年から1957年までの狂瀾クリスマス」はどう見てもつながっている。中断期間は11年、そのうち9年は交戦中である。
 戦争中は自粛していたが、戦争が終わったので、同じクリスマス騒ぎの続きを始めた、というふうにしか見えない。実際にそうだろう。どちらもメインはジャズとダンスである。歓楽エリアで大騒ぎをしている。のちの1980年代のクリスマスや、前の1900年代とはちがう。1930年代と1950年代は同じである。あきらかにつながっている。
 でも、どこにもそんな言説がない。もののみごとに、ひとっつもない。
「戦後になってずいぶんクリスマスが盛んになった」とは言われるが、誰一人として、共通点を指摘しない。おそらく意識もしていなかったのだろう。
 それだけクリスマスに関心を持たないものなのか、と驚いてしまう。
 戦後に書かれたものだけを見ていれば、クリスマス騒ぎは、戦後のものであって、それはアメリカさんに占領されたからだ、と考えるだろう。
 だれも、昭和3年から11年にかけてお馴染みだったあの”クリスマスの大騒ぎ”が、またぶり返してきた、と言っていないからだ。
 まことに不思議である。
 みんなの記憶がすべて飛んだのか、昭和初年に騒いだ人たちが戦争で全員死んだのか、それともおれが調べた新聞記事がうそだったのか、一瞬、奇妙な感覚にとらわれてしまう。
 自分が間違っていないなら(そうおもわないと書き進められない)、つまり1928年から1936年に顰蹙を買うクリスマス騒ぎが東京で繰り広げられており、1948年から1957年にも同じ騒ぎがあったのが事実だとすると、奇妙なのは私ではなく、戦後の日本人、ということになる。
 もちろん覚えている人と、覚えていない人がいたのだろう。
 そして、覚えている人が、この騒ぎは戦前と同じではないか、と発言できない空気が強かったのだ。そう考えないと辻褄が合わない。


 あれだけの大きな犠牲を出した戦争を経験しても、人間は、本質的には変わらない。
 戦後、大人たちの「狂瀾のクリスマス」が復活し、社会が落ち着いてくると、「家族で過ごすクリスマス」に回帰していきます。
 そして、1980年代から、「恋人たちのクリスマス」が、「バブル経済」とともにやってきました。
 現在、2010年代は、若い世代の「クリスマスにひとりぼっち(恋人がいない)だと寂しい、という感覚は残っているものの、僕が若かった1990年代ほどの強迫観念めいた空気ではなくなっているような気がします。
 それは、僕が年を取って、触れる空気が変わってしまったからなのかもしれないけれど。

 この本を読んでみると、結局のところ、さんざん苦言を呈されながらも、明治維新以降、「キリスト教的なクリスマス」が日本に定着したことは(在留外国人や信者を除いては)一度もなく、戦争の時期以外は、大人が盛り場で大騒ぎするクリスマスと家族で過ごすクリスマスを繰り返しているということがわかります。
 日本人にとっては、「キリスト教の信者ではない」からこそ、制約が少ない、好きなように解釈して、楽しめるというのは、「長所」でもあり、それは、ハロウィンにも言えることなのでしょう。
 僕の子ども時代の記憶を辿ってみても、クリスマスは、けっして、悪いものではありませんでした。
 「恋人たちのクリスマス」ブームの時代については、微妙な感情を抱いているのだけれど。

 日本人の営みとモノの考え方の歴史について、興味深い検討と考察がなされている本だと思います。
 ただ、「そういう難しいことを考えないのが、日本のクリスマスの良さなんだよ!」とも言えますよね。


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