琥珀色の戯言

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【読書感想】テレビ屋独白 ☆☆☆


テレビ屋独白

テレビ屋独白

内容説明
父は佐野周二、妻は西田佐知子。俳優かつ司会者、タレント、キャスターとしてテレビ界に働き続けた期間は半世紀にわたる。『クイズ100人に聞きました』『東京フレンドパーク』で大当たりし、高視聴率を維持する『サンデーモーニング』は今年25周年を迎える。テレビ界を見回しても関口氏ほど、業界の裏表を知悉している人物は見当たらない。その関口氏が真剣に「テレビの危機」を憂えている。「テレビは本来ナマであるべき」という。しかしVTRの出現ですべての内容は編集前提となり、段取り主義が横行。黄金期の「テレビ屋気質」は変質し、テレビ局は秀才が集まるふつうの会社になってしまった。もちろん視聴率というくびきもある。こうしたことが重なってテレビの現場は活力を失ってしまった。このままでいいのか。テレビとは何か、テレビ番組はどうあるべきか。制作の裏話を披露しつつ、現役のテレビ屋としてはぎりぎりのホンネで語ったテレビ業界「失敗の本質」。(本人が描いたイラストも掲載)

これを読みながら、関口宏さんはテレビ画面で受ける印象と同じように、真面目でちゃんとした人なんだろうな、と考えていました。
こういう「現役のテレビ屋」しかも大物司会者の初の著書となれば、正直、「暴露本」的な内容を、ちょっと期待していた面もあるのですよね。
そこまで下品じゃなくても、大物芸能人の「いまだから明かせる裏話」とか。


ところが、この『テレビ屋独白』、関口さんの「現在のテレビへの危機感」は伝わってくるのだけれども、「現役としてのギリギリのホンネ」って、こんなに分厚いオブラートにくるまれているものなんだなあ、と、残念に感じるところが多かったんですよね。
率直に言うと、「あんまり面白くない」。
放送開始当時の「本当に生放送だったドラマ」をリアルタイムで観ていた人たちにとっては懐かしい記述もたくさんあるのかもしれませんが……


関口さんは、いまのテレビには編集や演出にばかり力が入ってしまって、「生の緊張感」が乏しくなっているのではないか、と危惧しています。

 最近、「テレビがうるさい」という苦情も多く聞かれるようになった。
 それは笑いや驚きの効果音、BGMと呼ばれる音楽などのヴォリュームを、上げ過ぎていることと、「ジャーン」だの「シャキーン」などという脅かし音を多用し過ぎているからだと思われる。
 では何故そうするのか。それもすでに御推察通り、矢張り、視聴者を引き付けたい、一度引き付けたら簡単に手放したくない。そして数字、つまり視聴率を稼ぎたいの一念からなのだ。
 これもテレビ屋の、涙ぐましい努力の結果なのだが、その腹の内は、すでに見透かされつつあるのだ。
 しかしテレビ屋は、それをやめることは出来ないだろう。やめてしまえば、視聴者が去って行ってしまうと思う恐怖心と、それが仕事だと思い込んでしまった習性から、そう簡単には抜け出せないのだ。


 そこで、若きテレビ屋諸氏に、何かの役に立つかもしれないヒントをひとつ。
 誰もが名人と認めたある噺家さんが、あるインタビューにこう答えていたのが印象的だった。
「大事な場面になったら、こちらの声をひそめるんですよ。するとね、お客さんは耳をそばだてて、聞こう、聞こうとなさるんですよ。大きな声をたてりゃいいってもんじゃないんですね」

 こういうのは、「テレビ屋」に関わらず、大事なテクニックなんですよね。
 以前、古館伊知郎さんも、ステージでこれと同じことを話していました。
 周りが「大声競争」をしていればなおさら。
 でも、実際には「声をひそめてみる勇気」っていうのは、なかなかわいてこないものなんでしょうね。


 関口さんは、文明批評家・マクルーハンさんのテレビ論についても言及されています。

 さてまたマクルーハンに戻るが、彼がさかんに指摘していたテレビの特質は、「ハプニング」だ。
「ハプニング」。
 もうこれは今や、市民権を得た言葉になっているから、あえて説明するまでもないかもしれないが、突然、予期せぬ出来事が起こって、その結末を誰も知らないといった類の展開が、視聴者に歓迎されるメディア、それがテレビだというのだ。
 この説を見事に実証した出来事が、業界では有名な、ドリフターズ「全員集合」停電事件である。
 毎週、どこかの公会堂から生放送していたドリフターズのコント番組が、ある日突然、生放送中に、停電に見舞われた。テレビの公開放送では、相当の電力を使うから、その公会堂のブレーカーが落ちたのかもしれないが、さあ、会場は大騒ぎ。その雰囲気はテレビから全国に流れ続け、画面にはほとんど何も映っていないのに、視聴者は釘付けになってしまった。会場のわーわーきゃーきゃーは聞こえども、画面では何も確認できない。それでも画面から目が離せなくなってしまったのだ、
 そんな状態がどれだけ続いたか、やがてどこかで、誰かが叫び合う声がして、画面にはチラチラする明かりが見え始めた。そしてその数も、三つ四つと増え、それが懐中電灯であることが分かった。その懐中電灯の明かりが、あっちへこっちへ右往左往する中、出演者が何やら会場に向けて喋り始めた。その番組は子供に人気があったから、会場は子供で一杯。その子供達が、出演者の説明に、やがて笑い出し、やがて拍手をしたのだった。
 その後電源も回復し、キレイに会場も映し出されたが、用意されていたコントはすべてパー。それなのに、滅多に見られないものを見たというお得感も手伝ったか、苦情もなく、視聴率は驚くほど高い数字を弾き出したのだった。
 これぞマクルーハン御指摘の、テレビの特質。「ハプニング」はテレビのカンフル剤なのかもしれない。

 僕も偶然この回の『全員集合』を観ていたんですよね。
 あれは本当にワクワクしたなあ。
 もっとも、こういう「ハプニング」は、「狙ってできるものではないし、狙った時点で、もうハプニングではない」ということになってしまいます。
 「リアリティーショー」という「ドキュメンタリーっぽいバラエティ番組」というジャンルも出てきたのですが、これもまた「やらせ」との境目が難しい。


 ただ、「テレビはもうダメだ」という人がたくさんいる一方で、サッカー日本代表の試合などのスポーツ中継や、『家政婦のミタ』のような(ごく一部ではありますが)人気ドラマは、信じられないような高視聴率を叩きだしているのもまた事実ではあります。
 ネットの発展はテレビにとって逆風のようだけれど、「テレビをみんなと同時に観ながら、ネットでその話題をリアルタイムに展開していく」という楽しみ方をしている人も増えています。

 
 なんのかんの言っても、テレビはそう簡単には死なないのだろうな、とは思います。
 それに関わる人たちに、栄枯盛衰は必定なのだとしても。

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