琥珀色の戯言

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【読書感想】秘伝オールナイトニッポン: 奇跡のオンエアはなぜ生まれたか ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

55年も続くには、理由がある。

大人気ラジオ番組「オールナイトニッポン」はスタートから55年経ってもなぜ若者の心を掴んで離さないのか。人気パーソナリティとして一時代を築いた著者が歴代ディレクター4人に取材。脈々と受け継がれるニッポン放送のDNAとオールナイトニッポンの仕事術を解き明かす。
タモリ笑福亭鶴光中島みゆき桑田佳祐松田聖子鴻上尚史サンプラザ中野くん小泉今日子......。番組の歴史を彩ったパーソナリティたちの秘話が続々発掘される。
○岡崎正通「タモリから学んだジャズ的思考」○宮本幸一「なぜ中島みゆきはリスナーを魅了するのか」
○森谷和郎「プロも注目した桑田佳祐の選曲」○松島宏 「いじめ問題に一石を投じたサンプラザ中野くんの『スクール・トゥモロー』ほか」


 2023年の2月17日から19日まで、『オールナイトニッポン』の55周年を記念した、「55時間スペシャル」が一挙放送されていました。

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 懐かしいパーソナリティの名前が並んでいて、僕もradikoで懐かしいパーソナリティの声を聴きつつ、中島みゆきさん、ビートたけしさん、デーモン小暮閣下の名前がないのは残念だなあ、などと、これだけのメンバーが集まっただけに、かえって「今回いなかった人」たちのことを思い出したのです。

 この新書、オールナイトニッポンの初期からニッポン放送の社員として番組にかかわり、自らパーソナリティを務め、のちにはチーフディレクターとして番組をまとめてきた著者が、後輩の名物ディレクターたちにインタビューしながら、『オールナイトニッポン』の歴史を振り返る、という内容です。
 著者の亀渕昭信さんをはじめとして、55年間の前半期、僕にとっても「『オールナイトニッポン』の黄金時代」だった、1970年代から90年代の番組の話が中心で、当時のリスナーにとっては、「今だから聴ける話」がたくさん収められています。
 現在のパーソナリティ、ナインティナインやオードリー、星野源さん(とはいっても、ナインティナインはかなり長く番組を続けているので、少し出てくるのですが)の話はほとんど出てこないので、「オールドリスナー向け」ではあると思います。

 ラジオの喋り手をパーソナリティと呼ぶのは、アメリカのラジオ業界が使っていた「エア・パーソナリティ」を縮めたもの。あちらでは、アナウンサーはニュースを喋る人、そうじゃないフリートークをする人は「エア・パーソナリティ」と呼ばれていたんです。

 なぜ、「DJ(ディスクジョッキー)ではなく、『パーソナリティ』なのだろう?」と昔は疑問だったのですが、アメリカのラジオ業界が元だったんですね。
 1970年代から80年代前半って、とにかくアメリカはカッコイイ!って時代だったものなあ。続編の大ヒットで、映画『トップガン』を久しぶりに観たとき、そんな時代を思い出しました。

 ちなみに、第1回目の「オールナイトニッポン」のオンエアは、1967年10月2日だったそうです。

 オールナイトニッポンのパーソナリティ選びについて、『オールナイト』ディレクターの松島宏さんは、こう仰っています。

 オールナイトのラインナップの全員が、テレビとかラジオ、雑誌で見て「こういう人がいるんですけど」みたいな起用のしかたでは全然おもしろくならないんじゃないでしょうか? 妙な人を街場で見つけて、それがアクセントになって爆発するから、オールナイトが本来のオールナイトになれる気がします。
 そして起用されたパーソナリティの喋りも大事です。この「一週間に起きたこと」どまりで普通終わる話を、ウソかホントかわからないけど面白く話せるかが「ラジオらしさ」に繋がると思うんです。

 岡崎(正通)さんの教えもあります。オールナイトには二つの考えがあるというものでした。一つは、「最初に塁に出るような一番バッターを揃えること、そしてそのバッターが十倍、百倍のギャラでテレビに持っていかれることを喜ぼう。」タモリさんは、その代表格だと思いますね。
 で、二つ目が、「有名人、あるいはオールナイトで有名になり放送を続けてくれるパーソナリティが、あらゆるメディアに出てもオールナイトの活躍が一番面白いと言われるようにすること」という。つまり、オールナイトでしか彼・彼女らの魅力が聞けないようにする努力ですね。オールナイトのブランド力を高め、維持するテーゼとして重要です。


 ディレクターは、『オールナイトニッポン』の新しいパーソナリティを探すために、舞台や劇場に足を運んだり、サブカルチャーを深掘りしたりもしているそうです。
 そして、誰を選ぶか、だけではなく、どうやってパーソナリティをうまく「引かせる(辞めさせる)か」というのも、ディレクターの腕の見せ所なのだと仰っています。
 ディレクターはパーソナリティと仲良くしすぎてもいけない、常に意見を言える存在ではないと番組が面白くならない、とも。

 作り手側からみた『オールナイトニッポン』のさまざまな出来事や「仕掛け」についても言及されているのです。
 懐かしい名物コーナーの話題もあって、「ああ、こういうのあったなあ!」と。

 宮本幸一さんは、土曜の夜のパーソナリティとして10年間も続いた笑福亭鶴光さんのオールナイトニッポンを担当されていました。

 二匹目のドジョウを探すじゃないですけど、関西圏では「口裂け女」が話題になり始めていました。で、こんな話を耳にしたんですよ。真夜中に駅前商店街の店の前で佇んでいる謎の男がいた。雨も降り始めているのに男は微動だにしない。気になって傍に寄ると、男がおもむろに振り返り「この店、開くの十時か(悪の十字架)?」と言ったという(笑)。
 僕は「よし、それいける!」と、鶴光さんに話して募集をかけました。コーナーも名付けて「驚き桃ノ木びっくり話」。すると来るわ、来るわ。寝坊した子が茶の間に行くとちゃぶ台にポツンとお椀だけが置いてあった。その子は恐る恐る座ってみた。「今日、麩(ふ)の味噌汁(恐怖の味噌汁)か!」。こんな単純なネタをおどろおどろしい曲をかけながら、立て続けに紹介しました。
 リスナーの子どもたちがノリノリなんですよね。面白いダジャレ・ホラーを送ってきてくれるんです。「乾電池を抜く(噛んで血を抜く)話」とか。鶴光さんもマジで「怖ッ!」とリアクションしてくれるから大笑いです。この一連の投稿もまとめて本にしました。


 これ、土曜の夜に夜更かしして聴くと、なんだかすごく面白かったんですよ。
 当時学生だった僕にとっては、ダジャレ混じりのエロチックな話も出てくる『鶴光のオールナイトニッポン』を聴くこと自体が、ちょっとした冒険だったのです。夜中の1時まで起きているのもけっこう大変だったし。

 僕が歴代オールナイトニッポンのパーソナリティのなかで、いちばん好きなのは中島みゆきさんなのですが、この本のなかでは、担当したディレクターたちが「中島みゆきラジオパーソナリティとしての凄さ」を語っています。


 松島宏さんの話から。

 イメージを喚起させる力は中島みゆきさんが最高だと思います。ハガキや封書を読む時に擦ったり、パラッとめくる音がするんですよね。それが「今、自分の書いたものが読まれている」という感動を与えている。だから、僕は番組のパーソナリティにメールを読んでもらう際にも、必ず音をさせてます。
 番組のラスト、最後の曲に僕は、みゆきさんの「念」を感じてました。多くの歌手パーソナリティはエンディング曲が始まるとスタジオを出ていくのに、「きっと、みゆきさんは終わりまで出てってないんだろうなあ」と思わせる余韻があった。実際、そうだったと聞いても驚きませんでしたから。


 あらためて思い返してみると、たしかに、みゆきさんのオールナイトでは、「ハガキをめくる音」がはっきりと聴こえていたのです。他のディレクターの証言では、みゆきさんは封書も精読していて、番組で封書を紹介するときには、紙の音をたてて読んでいたそうです。
 あれは、みゆきさんの「演出」だったのか……そう言われてみれば、音を立てずに読むことはそんなに難しくはないですよね。むしろ、音を立てるほうが難しいかもしれません。
 リスナーにとっては、あの微かな紙の音で、パーソナリティとの「つながり」を感じることができるのです。

 中島みゆきさんの『オールナイトニッポン』には、番組の内容の面白さだけではなく、あんな真面目というか、暗い感じの歌をつくって自分で歌っている人が、ラジオ番組では別人のように明るく弾けたトークをするという意外性もありました。
 それも含めて、どこまでが中島みゆきという人の「演出」だったのだろうか、と、あらためて考えてしまいました。

 ビートたけしさんがツービートではなく、ひとりで『オールナイトニッポン』を担当することになった経緯や、いまだったら大炎上しそうなさまざまなハプニングの裏話なども満載で、1970~80年代の『オールナイトニッポン』を聴いて育った僕には、懐かしくもあり、昔みた手品の種明かしをみているような気分でもありました。

 最近、ラジオってやっぱり面白いな、と思うのです。
 人の声と音楽だけだからこそ伝わる「つながり」があるし、パーソナリティのフリートークを1時間聴いていると、ひとつくらい「これはブログのネタになりそう」な話があるんですよね。


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