琥珀色の戯言

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【読書感想】落語の人、春風亭一之輔 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

めったに人を褒めないことで知られた人間国宝柳家小三治をして「久々の本物」と言わしめた落語家、春風亭一之輔
21人抜きの抜擢真打であり、『笑点』の人気者でもある彼は落語界の若きエースだ。
機嫌がよくても眉毛が「ハ」の字になりがちで、どこか無愛想に見えてしまうのも持ち味。
極度な照れ屋であり、著者は〈取材をすればするほど、どんどん取材が下手になっていくような感覚に襲われた〉と懊悩する。
「ぜんぜん壁にぶつかってきていない」とあっけらかんと語る彼は挫折を知らない男でもある。
そんな天才に挑んだ計20時間以上にも及んだインタビューの果てに浮かび上がったものとは――存在そのものが「落語」な芸人に迫ったノンフィクション。


 僕が落語を聞き始めたのはこの5年くらいで、そんなに多くの人の噺を聞いたわけでもないし、寄席にしょっちゅう足を運んでもいないのです。
 春風亭一之輔さんのことも『笑点』の大喜利メンバー入りしたことで知り、雑誌に連載しているエッセイをまとめた本を何冊か聞いたのと、YouTubeで落語を聞いたくらいで、生で体験したことはありません。
 
 とはいえ、いまや落語界の押しも押されぬ「エース」の一人である一之輔さんがどんな人なのかというのには、興味がありました。
 結構コワモテで、ちょっと怖そうな感じの写真が多いんですよね、一之助さん。どことなく「人を食った」ような雰囲気もありますし。
 雑誌の連載は移動中などにガラケーで書いている、というのをご本人のエッセイで読んで、「フミコフミオさんかよ!」と、『はてな民」向けのツッコミを心の中で入れてもいたのです。
 案外いるものなんですね、ガラケーで長文を打つ人って。僕はスマホでも文字入力が遅く、パソコンのキーボードじゃないと長文なんて打てないのに。
 それでも、同世代の中では速い、と自負していたのですが、先日、長男のキー入力のスピードを見てデジタルネイティブ世代との埋められない差に絶望しました。

 二ツ目から真打になるのに、だいたい10年ぐらいかかるものなのだが、一之輔は7年と4ヵ月で真打になった。
 一之輔の抜擢真打を強烈に後押ししたのが、のちの人間国宝で、当時、落語協会の会長を務めていた柳家小三治だった。傲慢なまでの自負心の持ち主で、人を褒めないことで知られる大御所でもあった。一之輔の師匠である一朝が言う。
「あの人が人を褒めるの、聞いたことがないです。みんなボロクソに言う。寄席で一緒になってもね、特に同じ一門だと『ダメだ、あんんなやり方じゃ』って」
 その小三治が、一之輔のことをこのようにべた褒めしたのだ。
「久々の本物だと思った。芸に卑屈なところがない。人を呑んでかかっている。稀有な素質だ。この人を発見して、嬉しかったですよ。この人しか考えられないという気持ちにさせてくれたのが嬉しい。選ばせてくれてありがとう」
 以降、一之輔を評するときは、必ずと言っていいほど、このときのセリフが引っ張り出され流ようになった。あの小三治をして「久々の本物」と言わしめた落語家だ、と。
 ただ、一之輔本人は、ある日の落語会で、十字架のように背負わざるをえなくなったこのときの言葉について、やんわりとだがこう異議を申し立てていた。
小三治師匠がどういう人か、注釈を入れて欲しいですよ。そう思ってたら、言わない人ですから。私はなんかの罠だと思ってますよ」
 私(著者の中村計さん)は逆だと思っている。小三治は思ったことを全部、言ってしまう人だった。だから嫌われたのだ。
 私も一之輔を初めて見たとき、若いのになんてふてぶてしいのだろうと思ったものだ。


 著者は、新型コロナ禍のなか、多忙な一之輔さんのスケジュールにできた隙間を縫うように、インタビューを重ねています。
 一之輔さんは普段はけっして多弁ではなく、話もつかみどころがない、取材に対してリップサービス的なこともしない、という人だったそうです。
 
 自分の芸に対して真摯であり、古典を尊重しながら、あえてその枠を外れてみせ、それでいて、羽目を外しすぎることもない。
 テレビタレントとしての仕事や大きなホールでの独演会にもっと力を入れれば、収入も増えるはずなのに(もちろん、今でも超売れっ子なので、それなりに稼いではいるのでしょうけど)、ギャラが良いとはいえない寄席にできるだけ出演している。

 著者によると、コアな落語ファンは、『笑点』を取るに足らない番組だと冷ややかに見ているのだそうです。
 いや、落語を誤解させる元凶とさえ思っている、と。
 すでに実力を認められていた一之輔さんの『笑点』加入にショックを受けた落語ファンも多かったのです。
 45歳という年齢での加入も、それまでのメンバーが高齢だったので「若返り」というイメージがあったのですが、それまでの大喜利の歴史からいえば、「新メンバーとして起用するにはキャリアを積み過ぎているし、年齢も高かった」ということでした。

 その発表があった三日後の真一文字の会の冒頭で、一之輔は「断ろうかとも思ったんですよ」と事の経緯を振り返った。そして、最終的にオファーを受けた理由をいたずらっぽい笑みを浮かべながらこう表現した。
「(『笑点』を)利用してやろう、と」
 一之輔らしい言葉の選択であり、一之輔らしい言い方だった。
 語弊のある言い方になるが、一之輔とは、ひとまずそういう人物である。


 一之助さんは「ふてぶてしい」という言葉が何度も出てくるのですが、そんな雰囲気をまといつつ、落語の雰囲気に慣れていないお客さんが多い地方公演では、最初に私服で登場して客との距離を縮めて、出番になったら着物で、という気配りをしたり、亡くなった先輩(柳家喜多八師匠)のために、教わった噺を公演の最後のネタにしたりというような「情」が溢れ出してしまうこともあるのです。
 
 落語に関して、一之助さんは「挫折がない」と著者は述べています。本人も「ぜんぜん壁にぶつかってきてない」と仰っているのです。
 新しいネタをなかなか覚えない弟子には厳しい言葉をかけていますし、本人は好きでやっていることが上手にできてしまう、まさに「天才」ではあるのです。
 その一方で、「さらりとやっているようにみせるのも芸のうち」だと考えている節もあるんですよね。

 一之輔も新型コロナ流行下、何度となくライブ配信を行った。だが、一之輔の場合はもちろん管理AIが作動することはなかった。
 
(コロナ禍のなかでの落語家のライブ放送で、CDなどに録音されたものとほとんど同じ内容だとAIが判断し、著作権違反としてアーカイブが一時公開停止となった事例があったそうです。古典を型通りにやることに注力する落語家には、そんな「再現力」がある人もいるのです)


一之輔「僕なんか、よい意味でも、悪い意味でも、毎回、ぐじゃぐじゃにしちゃう方なんでね。日によって、体調によって、同じ人(登場人物)でもしゃべり方をちょっと変えてみたりとかする。いつも一緒だったら、おもしろくないでしょ? 寸分違わぬ芸って、すごいなと思う一方で、退屈じゃないのかなって思っちゃうこともあるんですよ。まあ、退屈だと思っちゃったらプロじゃないんでしょうけど。同じマクラで、同じ噺で、毎回、お客さんを楽しませる。それを毎日であってもできるのがプロなんだろうな。そういう意味では、僕はどこか素人っぽいのかも。自分が楽しみたいという言い方はお客さんに申し訳ないけど、根がいい加減なんで、自分が飽きないように変えてるところはあるかもしれない。ただ、僕もわかっているんですよ。そうやって変えてしまうのを嫌だな、って思う先輩だったり、お客さんだったりがいるだろうことは。僕もそれを承知でやっているんです。これ以上、踏み外すと話が壊れちゃうなという線引きはある。現代語はなるべく使わないようにとか、ここに時事ネタを放り込んだらワッと盛り上がるだろうけど我慢しなきゃとか。そういうジャッジをする人が、自分の中にいちおういるんです。こいつがいなくなったら、えらいことになると思います。ほんと、薄皮一枚みたいなところなんですけどね。自分で言うのもなんですけど、そこを見極められるかどうかが、その人の持っているセンスということになるんじゃないですか」


 伝統を全く無視してしまえば、落語というのは成り立たない。
 かといって、同じことを繰り返すのでは、自分が面白くないし、観客だって飽きる。
 その両者の均衡点を見つけることが、一之輔さんの「センスの良さ」「優れたバランス感覚」なのです。
 そのちょうどいい塩梅は、常に変わり続けているから、油断はできません。


 この本を読んでいると、とにかく「春風亭一之輔という人の噺を直接聞いてみたい」と、あらためて思うのです。
 落語は、技術はもちろんだけれど、その落語家の「人間らしさ」を見せる、聴かせるものではないか、と僕はいつも感じています。


 ちなみに、立川談志さんのファンだった、という一之輔さんは、親に大学進学を強く勧められて、結局、談志さんには弟子入りしなかったのですが、その「もしも談志さんの弟子になっていたら」という問いに対して、こう答えておられます。

一之輔「どうかな。でも、行かなくてよかった。それは本当に思いますよ。はははははは。談志師匠に限った話ではないですけど、師匠の芸に惚れたんだからあとは何でも許せるみたいな言い方をするじゃないですか。でも実際のところ、下の者からしたら師弟関係って、そんなきれいごとじゃ済まないこともあると思いますよ。その点、僕はラッキーでした。うちの師匠で本当によかったと思いますね」


 これは「余談」ではあるのですが、すごく身につまされる、大事な話だと思ったのでご紹介させていただきました。
 立川談志さんには志の輔さん、談春さん、志らくさんをはじめ、素晴らしいお弟子さんがたくさんいます。
 でも、その人の芸や仕事がどんなに好きで、憧れていても、自分にとって「師匠」や「上司」として行動を共にするのに向いた人かどうかは、別なんですよね。
 


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