
- 作者: ビートたけし
- 出版社/メーカー: フィルムアート社
- 発売日: 2018/06/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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内容紹介
ビートたけしがいま初めて明かす、
「志ん生」「落語」という自らの「原点」。たけしが志ん生に勝負を挑む!
書店でこの本を見かけたときには、ちょっと驚いたんですよね。
ビートたけしさんのこんな新刊が出ていたのか、って。
最近のたけしさんの著書って、毒舌系のコラムか映画関係の話が大部分を占めていて、「笑い」とか「芸」について語っているものはありませんでした。
ここで落語、古今亭志ん生さんなのか。
正直、僕は落語に関しては初心者で、何度か生で聴いたことがある、というくらいの「にわか」でしかありません。
だから、この本に書かれている志ん生さんの魅力に「そうそう」と頷けるわけではないのだけれど、これを読んでいると、「志ん生、僕も聴いてみようかな、いや、聴かずに死ぬわけにはいかないな」という気分になってくるんですよ。
落語のよさとして、本来なら映像化が難しいことでも、言語ベースなので簡単に組み立てることができるというのは大きいよね。
特にうまい人がやると、想像する余地を残しておいて、お客がいいふうに解釈してくれるように持っていくもんな。
これが逆に説明的すぎると、面白くなくなってしまう。
そこのところ、志ん生さんはホントうまいと思うんだよ。
たとえば、こんな小噺。
「でっかいナスの夢を見たよ」
「どんぐらい?」
「とにかくでかい。家とかそんなもんじゃない」
「町内くらいか」
「いや、もっと大きい」
「ええっ? そんなにかい」
「もう、暗闇にヘタとつけたような——」
ここまでくると想像力の勝負だよな。
オイラが小さい頃もそうだったけど、志ん生さんの時代って、夜はいまよりももっと真っ暗で、暗闇も深かったんだと思う。
それにしてもすごい想像力だよ。いまの時代でも、ぜんぜん負けていないもんな。
僕は志ん生さんの落語を意識して聴いたことはないので(ラジオとかで偶然一部を聴いた、なんてことはあったかもしれないけれど)、たけしさんがこんなに褒めているのなら、ぜひ触れてみたい、という感じではあるのです。
オイラは第一次漫才ブームの時点ですでに、これは限界がくるなと思った。オイラたちよりも若いヤツらはうまくなっているし、ネタのスピードも上がっているんだけど、味が一切ないっていうのに気づいてしまったんだ。やっぱりそれだと、志ん生さんには勝てないんだよな。
オイラはまだ、志ん生さんの味をかろうじて生で知っている世代だけど、若い人はそういうものがあることすら気づかない場合もあるだろ。でも、録音で残っている音源もあるわけだから、ぜひ古今亭志ん生に触れてみてほしいんだよな。そしたら、志ん生さんの味というものがいかにすごいかわかるはずだから。もしわからないとしたら、それは才能のないヤツか、とんでもない天才かのどちらかだと思うよ。中間はない。中間のヤツは、志ん生さんには勝てない。まあ、勝とうと思うヤツ自体、ハナからあまりいないだろうけどさ。オイラに関していえば、志ん生さんより笑いをとる方法なら、ある程度知っている。でも、この味というものを含めて勝つとなると、簡単にはいかないと思ってるよ。
この「味」とは何か、と僕はずっと考えていたのです。
でも、頭で想像しても、きっと答えはわからない。
志ん生さんの噺にたくさん触れてみるしかないのだろうと思うんですよ。
それでも、わかるかどうか、あまり自信はないのだけれど。
この本のなかで、立川談春さんが若かりし頃にタクシーの助手席で聞いたという、ビートたけしさんと立川談志さんの会話が紹介されています。
たけしさんは談志さんに「落語っていうのはネタがどうこうよりも、結局、『誰が話すか』のほうが重要ですよね」と言っていたそうです。
芸というのは、突き詰めると、その芸人の存在感みたいなものなのかもしれません。
ただ、その場にいるだけで「味」があるという人は、たしかにいるのです。
ビートたけしさんも、そういう稀有な存在のひとりです。
オイラは、脳梗塞で倒れたあとの七十代後半の志ん生さんの落語も、わりと好きなんだよね。滑舌は悪いし、間もちょっと長くなっているんだけど、やっぱり、うまい。
なんというか骨董品みたいに古ければ古いほどいいという感じもあって、これはこれで芸だなと思わせるものがあるんだ。
志ん生さんの落語を聴きたくて聴いているんだけど、いつのまにか、大好きなおじさんの噺が聴きたい、という感じにさせられているんだよな。
改めて芸人としてのスケールが違うんだ。他の人は、「あ、商売で笑わすために出てきたんだな」とか、「この人、これでいくらもらっているんだろうな」とか思ってしまうんだけど、志ん生さんにはそういうことを一切感じない。「なんかこの人、人前で話すのが好きなだけなんじゃねえか」とすら思えてくる瞬間があるんだよね。
だから志ん生さんを寄席で普通に見ることができた人たちは、こんな幸運なこともなかっただろうと思うよ。木戸銭だって安かっただろうしさ。
「大名人」の高座として、ありがたがって身構えながら聴くのと、ふらりと寄席に入って聴くのとでは、志ん生さんの噺の「味」も違うのではないかと思います。
残念ながら、今から録音を聴くとなると、生で聴いていた人たちと同じ、というわけにはいかないでしょう。
このたけしさんの言葉からは、「技術的なことはもちろんだけれども、とにかく、志ん生という落語家そのものが好きでたまらない」という気持ちが伝わってくるんですよね。
極論すれば、病気をしたあとで、噺ができなくても、ただ、黙って座っていてくれるだけでもいい。
これはもう、「とにかく好き」なのだとしか言いようがない。
ビートたけしさんの芸人論として読むこともできるし、たけしさんが自分の好きな人について、熱く語っていることに感動することもできる。
それよりなにより、古今亭志ん生という人の落語を僕も聴いてみたい、というより、聴かなければ損だ、と思ったのです。

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