琥珀色の戯言

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【読書感想】自民党の変質 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

日本政治はどこに向かうのか
衆議院補欠選挙で敗北が続く自民党。また、岸田文雄政権は裏金問題等により低支持率に喘いでいる。佐藤優元外務省主任分析官は、岸田政権を「深海魚のような政権」と評し、山口二郎法政大学教授は「家産制国家へ逆行している」と語る。自民党保守政党と呼べないほど変質し、所属議員は劣化した。自民党は解党に向かうのか。だとすれば、自民党を政権から引きずり下ろす政党はどこか。あるいは、過去何度も窮地に陥りながらも復活したように、危機を乗り切るのか。国際政治の潮流も踏まえ、自民党およびこの国の未来を読み解く。


 自民党と日本の将来についての、佐藤裕さんと山口二郎さんの対談本です。
 佐藤さんは最近は公明党のことをよく語っておられます。山口さんは小選挙区制導入の推進者として知られ、社会党の村山政権下、20世紀末からは民主党(当時)政権のブレーンとして活動されていました。
 基本的には「あまり自民党寄りではない(佐藤さんは外交官として、自民党の議員たちとも繋がりがあるとは思いますが)2人による自民党論、という感じです。

 決選投票での大逆転で誕生した石破政権ですが、この本の内容は石破さんが総裁選で選ばれる前のものであり、アメリカについてもバイデン大統領が立候補を取りやめ、バイデンVSトランプ、からハリスVSトランプに変わり、テレビ討論などで情勢が大きく変化してからの時期は反映されていません。

 逆に、こんなにいろんなことが起こってくるとは、識者にも読めないのが政治の世界、ではあるのでしょう。

 佐藤さんは、「はじめに」で、自身と山口さんの立ち位置について、こう述べています。

 山口氏と私の現実政治に対する姿勢はかなり異なる。山口氏が民主党政権の成立のために尽力したことからも明らかなように、旧態依然とした自民党政権が続くことは日本国民にとって好ましくないと考え、政権交代を目標としている。また一時期は日本共産党を含む野党共闘による政権交代が適切と考え、市民連合を結成し、その調整役を担ったこともある。
 対して私(佐藤)は、政権交代に関して、あまり関心がない。自民党政権であれ、民主党政権であれ、時の政権については与件と見なし、そのなかで、日本国家と日本国民にとって最適の方策を考えるというアプローチを採る。国会議員の友人や知りあいも多いが、私の関心は立法府よりも行政府、特にその中心である首相官邸に向けられている。私が元外交官で情報(インテリジェンス)業務に従事していたことにも関係するが、この国が生き残るためには、権力中枢にある国家安全保障局内閣情報調査室の役割が決定的に重要と考えているからだ。


自民党政治」に危機感と抱き続けている山口さんと、「どの党が政権を握るかよりも、行政府・官僚が仕事をきちんとするほうが大事」という佐藤さん。

 僕自身は、トランプ大統領になってもアメリカが激変することはなかったのだから、誰がトップになっても、政権を握っても、あまり大きな変化はないし、あっても困るのだろうな、と思っているのです。

 故人である安倍晋三元首相は「悪夢のような民主党政権」と何度も仰っていましたが、正直、別に良くはなかったけれど、悪夢というほど悪くもなかったし、安倍さんの功績ってアベノミクスで株価が上がったのと、オリンピックでマリオのコスプレをやったことくらいだよな、という気もします。
 
 やたらと敵を作りそうな高市さんよりは、石破さんが首相になって良かったなあ、とも。
 立憲民主党の代表に野田佳彦さんが選ばれたことも含めて、国民や議員の本音は「現状に不満はあるけれど、リスクが高い急激な『改革』や『変化』は望んでいない」のではないかと。

 自民党のなかで「党内野党」なんて言われていた石破さんも、首相になってみれば、「党利党略」を意識しているように見えますし、そうでないと、政権を維持していくのは難しい、ということなのでしょう。


 佐藤優さんは、この対談の冒頭で、2023年9月19日に岸田文雄首相(当時)が国連総会で行った一般討論演説を紹介しています。

佐藤優岸田さんは、演説全体において「民主主義」という言葉を一度も使っていません。代わりに発したのは「人間の命、尊厳」である。G7(日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、カナダ)の首脳で、国連演説の場で「民主主義」を使わなかったのは日本だけです。
 アメリカは、自由、民主主義、人権、市場経済を普遍的な価値観として世界規模に拡大する「価値観外交」を展開しています。ロシア・ウクライナ戦争におけるアメリカの外交も、その延長線上に位置づけられるものです。日本も民主主義陣営のウクライナを支援し、権威主義(政治権力が少数もしくは一人に集中する体制)的なロシアと対決する姿勢を取りました。いっぽう、岸田さんは「イデオロギーや価値観で国際社会が分断されていては、これらの課題に対応できません」と明言しました。これは価値観外交からの決別宣言に等しいものです。
 私は、以上のような趣旨の文章を地方紙に寄稿しました。すると、それを読んだ首相官邸の幹部から電話があり、「佐藤さん、外務省からブリーフィング(説明)を受けましたか」と聞かれました。つまり、価値観外交をやめるという日本の外交方針の転換について、外務省に事情説明をされたのかと尋ねてきたわけです。私が「ブリーフィングなど受けていませんよ」と答えたところ、その幹部はこう言いました。「よく気づきましたね」と。
 話を聞いてみると、官邸で幹部たちと岸田さんが膝を突き合わせて議論した時に、価値観外交からの転換という共通認識に至ったということです。なぜなら、民主主義や人権といったアメリカ型の価値観を前面に押し出すと、その価値観を共有していないグローバル・サウス(主に南半球に位置する新興国、途上国、インド、インドネシア、タイ、ブラジル、ペルー、南アフリカなど)を日本が失うからです。


 日本にとってアメリカが最重要な同盟国であることに変わりはないけれど、グローバル・サウスの経済的な力が増してきていることや中国やロシアとの関係もあり、日本は、さりげなく「独自の立場」を表明しているのです。自国の「民主主義」を捨てたわけではないけれど、他国にそれを積極的に要求することはしない。中国やロシアの隣国としては、現実的な路線だとも言えそうです。
 あらためて歴史を振り返ってみると、日本は「国民の総意として、『民主主義』を自ら勝ち取ったことはない国」でもあります。

 
 山口さんは、岸田政権の支持率を大幅に下げた自民党の「裏金問題」について、こう述べています。

山口二郎もちろん、政治資金収支報告への不起債や虚偽記載は犯罪ですから、是認することはできません。ただし誤解を恐れずに言えば、政治倫理上の大きな問題というほどではない。せせこましいと言うか、”ショボい”事案に思えます。かつてのロッキード事件(1976年)やリクルート事件(1988年)、ゼネコン汚職事件(1993年)のようなスケール感がまるでありません。
 政治家や政治活動にあたり、足のつかない(入出金、授受、使途などの記録が残らない)「ソフトマネー」を必要とします。それが現実です。たとえば政府なら、官房機密費(内閣官房報償費)は、支出の明細を求められません。いっぽうで、政治家個々人はなかなかソフトマネーを手にすることができない。そんな背景から、政治資金パーティ券の販売ノルマ超過分を政治家にキックバックすることで、裏金というソフトマネーをつくったのでしょう。


 山口さんは、この20〜30年で、日本の社会にも「透明性」や「コンプライアンス」という概念が浸透してきた一方で、政治の世界では競争の原理が働きにくいために政治資金規正法の建前と本音のズレが温存されてきた、と仰っています。

 セコい方法で「裏金」をつくらなくても、政治家が正当な活動をするのにお金に苦労しないような仕組みをつくれれば良いのかもしれませんが、世論は、政治家にコンプライアンス遵守を求めながら、彼らに充分な資金を提供しているわけではないのです。
 本当に「お金をかけずに政治家として活動できる社会」になれば、政治もだいぶ変わるのかもしれませんが、それはそれで、インフルエンサーとかポピュリストがどんどん議員になっていく世界になりそうな気もします。

 ガソリン代の不正請求とか、パーティ券のキックバックとか、国会議員になっても、そんな錬金術をやらなければならない現実は、ちょっと切ない感じもしますね。だからといって、ロッキード事件みたいなのがスケールが大きいから正しい、というわけでもないのですが。
 なんのかんの言っても、とくにインターネットの普及とともに、世間は「コンプライアンス」に厳しくなってはいるのです。

 「派閥の解消」「裏金問題への落とし前」は、岸田政権から石破政権に受け継がれた課題なのですが、佐藤さんは「派閥の功罪」も語っておられます。

佐藤:はたして、特定の政治家を送り出すために「死んでもいい」と腹を括れる政治家が今の自民党に何人いるのか。
 山口さんが言われた「軍団」──昔の派閥は、まさに死ぬ覚悟で集まり、鉄の結束を誇りました。しかし、直接的な人間関係が希薄になると同時に、ボスが養ってくれるシステムが崩れれば、軍団の結束には綻びが生じます。
 一昔前は、システムから外れた場合の保障がありました。政治家を引退しても、軍団のボスが骨を拾ってくれる。たとえば民間企業の顧問のポストを斡旋して、年収500万〜600万円を確保してくれたのです。しかし、今はそれをできる政治家がいません。するとシステムから弾き飛ばされた人は路頭に迷います。今の政治家たちはこのことをわかっていますから、蓄財に走ります。歳費を貯め込むのです。パーティ券収入のキックバックをガメるのも同列の話です。
 2006年まで、国会議員には年金(国会議員互助年金、1958年から)があり、最低でも年額412万円を受給できました。しかし国民年金、厚生年金と乖離しているなどと批判され、小泉政権時代に廃止に至ります。私は、この制度に特段の問題があったとは思いません。議員が納付する保険料は年間約126万円で、国民年金の8倍でしたから。
 政治家を安値で買い叩くと、仕事をしなくなります。それに政治家も人間ですから、自分の生活を守らなければなりません。ボスが養ってくれず、年金も受け取れないのなら、自分で貯金するしかなくなるのです。
 このように、政治家個人が変質すれば、派閥と自民党が変質するのも無理はありません。前章で山口さんが指摘された能登半島地震の対応が物語っています。震災から1か月以上過ぎたある日、ニュース番組を見ていたら、被災地では電気、ガス、水道の復旧がまるで進んでいませんでした。過去の災害対応に比べ、非常に政府の動きが鈍いのです。


 国民に選ばれたはずの政治家が、贅沢三昧、新幹線のグリーン車乗り放題、みたいな話を聞くと、「なんだそれは」と言いたくなります。その一方で、一昔前の中国のように、役人の待遇が悪く、基本給が低いと、賄賂が横行しやすくなるのも事実です。
 僕は、「好待遇の代わりに、それに見あった仕事の成果を求めるようにする」べきではないかと思うのですが、「自分たちの生活が苦しいのだから、政治家がたくさん貰うのは許せない」と言いたくなる気持ちも理解はできます。

 本当に清廉潔白、品行方正な人もいるのかもしれませんが、そういう人が政治の道を志してくれるかどうか。
 能登半島地震への対応も、日本政府が「本気」でやれば、こんなに時間はかからないはずです。
 でも、自分の生活資金や集票に精一杯で、被災地に親身になって対応する余裕が、今の政治家にはなくなっている。

 不正はよくない、コンプライアンスは大事、それは百も承知なのだけれど、政治家というのは、どんどん「割に合わない」仕事になってきていると感じました。
 待遇を良くしたら、絶対に悪事はやらない、というわけでもないけれど。


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