琥珀色の戯言

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【読書感想】イスラエル 人類史上最もやっかいな問題 ☆☆☆☆☆


Kindle版もあります。

「知らない」ではすまされない、世界が注視する“この国”を正しく知るための入門書

イスラエル。こんなテーマがほかにあるだろうか?
人口1000万に満たない小さな国が世界のトップニュースになるのはなぜか?
アメリカのキリスト教福音派はなぜ、イスラエルとトランプを支持するのか?
なぜ紛争は繰り返されるのか?
そもそも、いったい何が問題なのか?
世界で最も複雑で、やっかいで、古くからの紛争と思われるものを正しく理解する方法などあるのだろうか?


 2023年11月の時点で、イスラエルパレスチナでは戦争が続いています。
 国連の安保理事会では戦闘停止を求める決議もなされているのですが、それが受け入れられる情勢ではなさそうです。

 著者は、イスラエルの民主主義を名実共に達成させるためのNGO、「新イスラエル基金(New Israel Fund)」のCEOである社会活動家で、現在はアメリカ在住です。自らのことを「アメリカのリベラルなユダヤ人コミュニティの出身」だと仰っています。
 この本は、なるべく公正な視点でイスラエルパレスチナの歴史を俯瞰しつつ、さまざまな出来事、人物のエピソードも多くまじえて読みやすく書かれていると思います(とはいえ、僕の場合は、馴染みのない人名などは、何度か読み返すことはあったのですが)。
 
 「イスラエル建国前からパレスチナに住んでいた人たちの視点」というのも読んでみたくなりましたし、日本にもたらされる情報は、どうしても、西欧側からのものになりがちなのは事実です。
 ただ、著者が、自分の属性を明確にしている、ということに僕は好感を持ちました。
 そして、アメリカという国全体がユダヤ人の、イスラエル寄り、というイメージは、必ずしも正しくはない、というのも理解できました。

 世界は僕が思い込んでいるよりも、ずっと複雑で、人々は現実をそれそれの目で見ているのです。
 イスラエルに住むユダヤ人の全てが対パレスチナ強硬派ではないし、現在のパレスチナの側も、(いろいろと言いたいことはあるだろうけど)かなり長い間そこにあって、人々が暮らしていて、周辺国との比較では強力な軍事力を持っているイスラエルを「追い出す」のは非現実的だと考えている人が多いのです。

 本書において私は、プロパガンダに陥りもせず、読者のあくびを誘うこともなく、世界でも類を見ないほど複雑な紛争の歴史と概略を説明したいと思う。しかし、プロパガンダにかまけるつもりはないとしても、私には一つの企図があるし、ある特定の観点から記述を進めていく。イスラエルパレスチナ紛争は本質的に、歴史家のペニー・モリスが「正義の犠牲者」と名付けた者同士の闘争だと思う。つまり、両者とも土地に対する正統なつながりと権利を有し、外部の世界の、お互いの、また自分自身の犠牲となってきた二つの民族である。それは土地をめぐる紛争であり、記憶と正当性をめぐる紛争でもある。生存権をめぐる紛争であり、自己決定権をめぐる紛争でもある。生き延びることに関する紛争であり、正義に関する紛争でもある。それは、その信奉者が完全に「正しい」と見なす相容れない語りをめぐる紛争である。これらの語りは、実体験のみならず、物語や宗教的伝統、家族やメディア消費や政治的信念によって──また故意かどうかは別にして、さまざまな程度の無知によって──支えられている。イスラエル人とパレスチナ人の紛争を解決することの最大の障害は、政治的想像力の欠如ではなく、政治的意志の欠如だと思う。
 もっと簡単に言えば、イスラエル人もパレスチナ人も、誰もが平等な権利と安全を保障されるべきだ。この紛争の当事者には、こうした権利に値するのは一部の者だけだと考える向きもあるが、それは間違っている。


 著者が述べていることは「正しい」のだと僕も思います。
 その一方で、長年の紛争で積み重なってきた、お互いへの憎しみをリセットするのは、そう簡単なことではないだろう、とも感じます。

 ユダヤ人は、歴史上、各地で迫害されてきたのですが、なかでも、ナチスによるホロコーストは、未曾有の大殺戮でした。
 ユダヤ人というだけで捕らえられ、多くの人が収容所のガス室に送られたのです。

 第二次世界大戦ホロコーストがすべてを、とりわけシオニズムイスラエルの地でのユダヤ人の民族自決を求める運動)の道筋を変えた。ヨーロッパのユダヤ人がほぼ全滅したことが明らかになるにつれ、世界の同情は絶望に打ちひしがれた生存者へ向けられた。何十万人もの人びとが、難民キャンプで苦しい生活を余儀なくされていたからだ。こうした同情がいや増したのは、アメリカを含む連合国でさえ行動を起こさなかったことに、多くの西側諸国の人びとが罪の意識を感じていたからであるのは疑いない。ユダヤ人の移住に制約を課したことが、数百万人に及ぶヨーロッパのユダヤ人の運命を左右したのだ。ホロコーストが起こったことで、シオニストの計画を世界規模で支持する機運が高まった。こうした動きにもかかわらず、イギリスは、パレスチナのアラブ人の恐怖、怒り、反対に直面して、ホロコーストの生存者がパレスチナへ大量移住することを依然として認めなかった。ホロコーストの被害者を乗せた船がパレスチナの港に入るのを防ごうと、海上封鎖という手段まで講じたのだ。


 ユダヤ人差別、というと、ナチスの所業ばかりが語られがちなのですが、イギリスもホロコーストが始まる直前に、ユダヤ人のパレスチナへの移住を厳しく制限していたのです。ドイツとの対決を踏まえて、アラブ人たちの反感を買うのは避けたかったし、ナチスがあれほど酷いことをやると思っていなかったのだとしても。
 イギリスをはじめとしたヨーロッパ諸国のユダヤ人への扱いは、結果的にナチスホロコーストの犠牲者を大きく増やし、そのことは、「同情」あるいは「引け目」となり続けているのです。


 著者は、こんなエピソードを紹介しています。

 数年前、私は子供たちと一緒に、アムステルダムにあるアンネ・フランクの家を訪れた。訪問後、すべてを理解しようと頑張っている娘(当時11歳)にこうたずねられた。アンネと家族はなぜ、アメリカでもカナダでもオーストラリアでも、「どこでもいいからほかのいい国」に行かなかったのか、と。私は娘に、ヨーロッパで恐ろしいことが起こっているとはっきりわかってもなお、ヨーロッパのユダヤ人を進んで受け入れてくれる国は世界のどこにもなかったのだと説明した。当然、娘は信じられない様子で、どうしてユダヤ人が安全に行ける国が世界に一つもないのかときいた。まさにそのときその場で、私はシオニスト意識の誕生を目の当たりにしたのだ。
 というのも、ヒトラーが「最終的解決」を実行する前の数年間に、ヨーロッパのユダヤ人の多くに避難場所を提供する国が世界に一つでもあれば、言うまでもなくあなたが本書を読むこともなかっただろう。シオニストの企てが始まった理由はホロコーストではなかったとしても、その企てが成功した理由はホロコーストだったはずだ。娘の願いをかなえてくれる「いい国」が一つでもあったとすれば、移民もおらず存在理由もないイシューヴ(「ユダヤ人共同体」)は孤立した小集団のままで、いずれ縮小して消滅した可能性がきわめて高い。
 だが、そうはならなかった。シオニストは正しかった。つまり、ユダヤ人以外、誰もユダヤ人の面倒を見てくれることはなかったのだ。


 酷い話だ……と読みながら当時のヨーロッパ諸国を非難する気持ちがわいてきたのですが、あらためて考えてみると、現在、2023年でも大勢の移民は、ヨーロッパの多くの国にとって深刻な問題となっているのです。
 もともとそこに住んでいた人たちにとっては、言葉が通じなかったり、文化が違ったりする人たちが大勢入ってきて、安価な労働力として仕事を奪っていく、あるいは、公的なサポートで多額の自分たちの税金が使われてしまう、というのは不安でも、不満でもある。

 「約束の土地」が、遠く離れたパレスチナだったからこそ、ホロコーストを間接的により凄惨なものにしてしまったからこそ、西欧の人たちはシオニズムに「同情」し、積極的に「支援」したのですが、もともとそこに住んでいたパレスチナの人々にとっては「自分たちは何もしていないのに、いきなり住んできた土地を奪われ、プレッシャーをかけられ続けている」のです。
 
 イスラエルユダヤ人たちは「ここで生きていくしかない」という覚悟を持っている。いや、持たざるをえなかった。
 とはいえ、その歴史を辿っていくと、常にパレスチナのアラブ人勢力と争っていたわけではなく、共存を目指した政治家も少なからずいたし、イスラエルの国民たちも、争いを好む者ばかりではなかったのです。イスラエルに来るまでの経緯によって、「イスラエルユダヤ人」の中にも差別されていた(いる)人たちもいます。

 イスラエルの指導者たちは、過酷な現実や世界情勢の中で、難しい舵取りをしてきました。
 パレスチナ・アラブとの和平を推進し、のちに暗殺されたラビン首相のこんなエピソードが出てきます。

 そして、1993年1月、ラビンはパレスチナPLOパレスチナ解放機構)幹部との非公式ルートによる直接交渉を正式に承認した。それまで、イスラエルの指導者たちはPLOとの対話を拒むばかりか、そもそもPLOの合法性を認めようとしてこなかった。ラビンもアラファトを信じておらず、軽蔑し、嘘つきのテロリストと見なしていたが、それでもアラファトPLOだけがパレスチナ人のために交渉して和平を実現できるということは理解していた。ラビンはアメリカのある外交官にこう語っている。「そうするしかないだろう? 和平は友人とではなく、まったく共感できない敵と結ぶものだ」。細心の注意を要する交渉だったため、詮索好きな目や、報道機関と政治家と民衆の憶測を避けて、会談は秘密裏に行われねばならなかった。隠し通すために、中東ではなく世界の反対側の、これ以降永遠に彼らについて回ることになる都市、ノルウェーオスロで話し合いが行われた。


 「和平は友人とではなく、まったく共感できない敵と結ぶものだ」
 言われてみれば当たり前のことなのですが、本当にそうだよなあ、と。
 国と国との関係のみならずあてはまる話で、もっと早くこの言葉を知っておけばよかった、と思いました。
 好き嫌いや恨みを無くすのは難しいけれど、そういう相手とも「交渉」はできる。
 インターネット社会になって「不特定多数の感情の渦」みたいなものが政治を動かすようになってきたけれど、それが本当に「最大多数の最大幸福」に繋がっているのかどうか。


 また、イスラエルの最大の支援国家と見なされてきたアメリカのユダヤ人コミュニティも、時代の変化とともに分裂がみられているのです。

 アメリカのユダヤ人(圧倒的にリベラルで民主党を支持する)とイスラエル(右傾化し、キリスト教福音派共和党に支援を請う傾向を強めつつある)との隔たりがいよいよ拡大するにつれて、この歴史的関係は変わりつつあり、その主たる守護者を長年務めてきたアメリカのユダヤ系団体・機関の幹部もこの流れを止められないようだ。こうした溝がアメリカ人コミュニティを引き裂いている。


 イスラエルが建国された時代のアメリカのユダヤ人たちは、同胞のやることなら、と、なんでも正当化していました。そうせざるをえなかったのです。
 しかしながら、現在の若く、概して高学歴・富裕層で民主党支持のリベラルな「アメリカのユダヤ人」たちは、「右傾化したイスラエルへの共感」よりも、「リベラルなアメリカ人としての価値観」を重視するようになっている、と著者は述べています。著者もまた、そんな「アメリカナイズされたリベラルなユダヤ人」の一人なのでしょう。
 リベラルの敵、とも言うべきトランプ前大統領が、イスラエルの強力な支援者だったのも記憶に新しいのです。

 建国から100年も経っていないのに、こんなに「ややこしい」のか……と読んでいてため息も出てくるのですが、パレスチナで起こっていることを「どっちもどっち」なんて思考停止する前に、この本を読んでみていただきたいと思います。
 最後の「パレスチナで命の危険にさらされながら、現地の人びとの日常のために力を尽くしている無名の人々の物語」も心に刺さりました。


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