琥珀色の戯言

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【読書感想】世にも危険な医療の世界史 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

◆先生、本当にこれで治るんですか?◆

生まれる時代が違ったら、あなたも受けていたかもしれない――。
科学を知らない人類が試みた、ぞっとする医療の数々!

リンカーン……水銀入りの頭痛薬を服用、重金属中毒になって症状はさらに悪化
ダーウィン……強壮剤としてヒ素を飲み続け、肌が浅黒くなるもやめられない
ヒトラー……猛毒ストリキニーネでできた整腸剤を9年間服用し、危うく致死量に
エジソン……コカイン入りワインを愛し、ハイになりながら徹夜で実験を重ねる
モーツァルト……体調不良の最中2リットルもの血を抜かれ意識喪失、翌日死亡
ルイ14世……生涯に2000回も浣腸を行ない、フランスに浣腸ブームをもたらす

現代医療を生み出した試行錯誤、その“危険な”全歴史!


 2020年にこの本を読むと、いま、この時代に医療を受けられることに感謝せずにはいられません。
 人類が、ある程度「まとも」な医療を受けられるようになってから、まだ1世紀=100年くらいしか経っておらず、それまでは、明らかに金儲けのためのインチキと思われる治療法もあれば、それが患者のためになる、と思い込んで、病人の寿命を縮めるような「治療」を行っていたのです。
 「無知」というのは、本当に恐ろしい。


 「アヘン」の項より。

 幼児が泣くのは「お腹が空いた」とか「おむつがうんちまみれだ」と伝えたいからだ。もしくはお腹が痛いのか、歯の生え始めでムズムズするのかもしれない。だが大声で泣き叫ぶときのやかましさときたら……。あなたが一人でできることなど、たかが知れている。
 そんなわけで、100年前のあなたは<ミセス・ウィンズローの鎮静シロップ>か<ゴドフリーの甘味飲料>か<ジェインの駆風薬>か<ダフィーの万能薬>を手に入れるだろう。どの薬にもモルヒネかアヘンが含まれているが、いずれも赤ん坊を寝かしつけるのに役立った。──永遠に起きなくなることもあったが。


 現代の感覚で言えば、赤ん坊をモルヒネやアヘンで寝かしつけるなんて、とんでもない話ですよね。
 うまく眠ってくれない赤ん坊の泣き声に悩まされていたのは現代人だけではない、ということもわかります。
 しかしながら、飛行機などで、赤ん坊や子どもに睡眠薬を使って眠らせることを受け入れられるかどうかは、日本と西欧では異なるともいわれていますし、「効果とリスク」についての考え方は、まだ、人類共通のものではない、と言えるのかもしれません。


 この本を読むと、医療の歴史において、かなり長い間「とにかく悪いものを体外に出す」ことが治療になると思われていたことがわかります。嘔吐を誘発する薬や、浣腸、そして、血をひたすら抜く「瀉血(しゃけつ)」という治療が行われてきたのです。

 イギリスの詩人バイロン卿は、風邪をこじらせて高熱と全身の痛みに苦しんだが、瀉血を巡って主治医と口論になった。前に病気のときに瀉血をしたが効かなかったことを理由に、断固拒否したのだ。最終的にバイロン卿は医師の懇願に折れて、こう言い放った。
「いつも通りにやってみろよ。おまえたちは虐殺者にしか見えないぞ。好きなだけ瀉血したら、もう終わりにしてくれ」。
 バイロン卿は三度の瀉血で1リットル以上の血を抜かれたが、医師の予想に反して、症状が悪化。医師たちは必死になるあまりに、熱で水ぶくれを作っては膿を出し、耳のまわりにヒルを置いては血を吸わせた。間もなくバイロン卿が息を引き取ると、主治医たちは「もっと早く瀉血すれば、何とかなったのに」とバイロン卿を非難したという。
 瀉血で悲惨な目に遭った著名人には、、アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンもいる。大統領を辞任してから二年後、雪の降るなか馬を走らせた結果、ワシントンは風邪をひいてしまう。重い喉頭蓋炎を起こしたせいか、思うように呼吸ができなかった。主治医は大量に瀉血し、糖蜜、酢、バターを飲ませ(ワシントンは喉を詰まらせて窒息しそうになった)、熱で水ぶくれを作って膿を出し、もう一度瀉血し、下痢と催吐剤を飲ませ、追加で瀉血を行った。瀉血は翌日にも行われた。合計で2.5~4リットルほどの血を抜かれたワシントンは、まもなく息を引き取った。たちの悪い風邪をひいただけなのに、これほど大きな犠牲を払うことになろうとは。


 現代医学からすれば、これ、瀉血で死んだんじゃない?って言いたくなるのですが、当時の人たちは、これが「治療」だと信じていたのです。
 バイロン卿のエピソードを読むと、「もうちょっと早く瀉血していれば助かったのに」っていう医者たちは、新興宗教の信者が「予言」が外れても教義に都合よく解釈してしまうのと同じような印象を受けました。
 いつの時代でも、人は、信じたいものを信じる。自分や他人の命がかかっていても。

 18世紀と19世紀になると、内科医や人体生化学者のなかから瀉血反対の声が上がり、潮目が変わり始めた。ルイ・パスツールロベルト・コッホは、炎症の原因は感染であり、瀉血では治らないことを証明してみせた。1855年には、エディンバラ出身のジョン・ヒューズ・ベネット医師が、瀉血の治療件数が減ると、肺炎による死者数も減少することを統計から指摘。人体生理学や病理学への理解が深まるにつれて、ヨーロッパでは四体液説という時代遅れな考え方から徐々に脱却していった。


 こういう伝統のなかで、新しい治療を切り開いてきた人たちは、本当に勇気があるなあ、と思いますし、われわれがいま「科学的で、正しい」と思ってやっていることも、未来人からすれば、2020年の人類は、こんな野蛮なことを「治療」と称してやっていたのか……と驚かれるのではないか、と僕は思っています。
 とはいえ、それぞれの時代のベストを尽くすしかないわけで、こういうさまざまな試行錯誤の末に、医療は進化してきたのです。
 現代では、瀉血も一部の疾患に対しては、効果があるとされています。
 昔から行われてきた治療のなかには、別の形で最新の治療に利用されているものもあれば、同じようなインチキ医療に多くの人が騙され続けているものもあるのです。

 19世紀半ばに、「青い光の力で、人間の身体を健康で丈夫にし、家畜も元気にすることができる」と主張した、オーガスタス・J・プレザントン准将は、「青い光ブーム」を巻き起こします。

 こうして、1876年に『日光に含まれる青色光線と空の青さについて』が出版されると、青色光ブームが起こり、その栄光の日々は二年間続いた。翌年に出版された改訂版で、プレザントンは青色ガラスは普遍的な万能薬であり、痛風から麻痺まで何でも治せると訴えると、国中のガラスメーカーが彼にお礼を言おうと列をなして押し寄せた。
 ニューヨークからサンフランシスコまで、国中の人々が自宅に青い窓ガラスを取り付けたサンルームを設置し、そこまでしない人でも、数枚の窓枠に青いガラスをはめた。水治療施設も、大衆の要望に応える形で、青色光のサンルームを建て始めた。この流行は間もなくヨーロッパに普及し、イングランドでは「光線浴」と呼ばれて大ブームとなり、フランスのめがね店では青レンズ入りのめがねを販売し始めた。1877年に『サイエンティフィック・アメリカン』誌で、あるジャーナリストが次のような記事を掲載している。

 今や、通りを歩くたびに、町の至る所で住宅の窓枠には青いクリスタルガラスがはめられている。晴れた日には、弱々しい老人なり病人なりが、霊妙な光線を浴びているのをよく見かける。青い光線を通して見える彼らの表情は希望に満ちている。


 だがこの記事は、青色光ブームの終焉を告げるものでもあった。この記事を第一弾として、『サイエンティフィック・アメリカン』誌は、これは単なるブームにすぎないと暴く記事を次々に掲載したからだ。まず、青いガラスを通した日光は、科学的には通常の日光よりも青色光線量が少ないと公表して、パンチを繰り出した。青色光線を浴びたい人は、屋外に出るか、最低でも透明なガラス越しに日光を浴びた方がいいとも書いてあった。実のところ、プレザントンが実践したこと、つまりみんなが実践していたことは、少しだけ日光を遮断することだったのだ。


 今から150年前くらいの話ではあるのですが、2020年にも、同じようなことは少なからず起こっていますよね。
 医療の発展ほどは、個々の人間の判断力は進歩していない、とも言えそうです。

 よくこんなことを調べたなあ、と驚くほどの圧倒的な情報量で、「危ない医療史」の決定版だと思います。
 ロイヤルタッチ(王が病人に触れることによって、病気が治るという奇跡)の統計なんて、はじめて見ましたよ。


医学の歴史 (講談社学術文庫)

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