琥珀色の戯言

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【読書感想】エリザベス女王-史上最長・最強のイギリス君主 ☆☆☆☆

内容(「BOOK」データベースより)
1952年に25歳で英国の王位に即いたエリザベス女王。カナダ、オーストラリアなど16ヵ国の元首でもある。W・チャーチルら十数人の首相が仕え「政治的な経験を長く保てる唯一の政治家」と評される彼女は、決して“お飾り”ではない。70年近い在位の中で政治に関与し、また数多くの事件に遭遇。20世紀末、その振る舞いは強い批判も受けた。本書はイギリス現代史をたどりながら、幾多の試練を乗り越えた女王の人生を描く。


 僕はもう50年近く生きているわけですが、そういえば、物心付いたときから、イギリスはずっとエリザベス女王(2世)なんですよね。
 半世紀ずっと国家の顔で居続けているというのは、本当にすごいことだなあ、とあらためて思いながら読みました。

 エリザベス女王って、実際に何をやっているんだろう、イギリスの王室って、不倫騒動みたいなスキャンダルでタブロイド紙にネタを提供するのが「仕事」なんだろうか?なんて不謹慎なことも考えてしまうのです。
 でも、この本を読むと、エリザベス女王が、「かつてのイギリスの自治領や植民地だった国々と形成した「コモンウェルス(旧英連邦諸国)53国」の首長であり、百戦錬磨の政治家であることがわかるのです。

 率直に言えば、「なんてすごい人なんだ……」と、ひたすら圧倒されてしまうのです。

 1926年に生まれ、1952年に25歳で即位したエリザベス2世なのですが、その即位までの道のりは、順風満帆ではありませんでした。
 祖父であるジョージ5世が1936年に亡くなったあとを継いだエドワード8世が、「王冠を賭けた恋」の末に自ら退位し、その弟のジョージ6世(エリザベス2世の父)が王位につくことになります。
 ジョージ6世が吃音に悩まされながらも国民を励まし続ける姿を描いた『英国王のスピーチ』という映画は、アカデミー作品賞を受賞しています。
 そのジョージ6世が1952年に亡くなり、エリザベス2世が即位したのですが、もし「王冠を賭けた恋」がなければ、あるいは、ジョージ6世がもう少し長く生きていたら、歴史は別のものになっていたはずです。
 この本には、20代のエリザベス2世の写真も収められているのですが、若い頃から、こんなに綺麗で気品がある人だったのか……と驚かされます。そりゃ人気にもなるよなあ。僕が知っているエリザベス2世は威厳に満ちた老婦人なので。

 日本の天皇家の人たちも、世界中を訪問し、慰霊と皇室外交を長年続けているのですが、英国の王室は、その「コモンウェルス(旧英連邦諸国)」が多数あり、世界中に広がっていることから、まさに世界中を飛びまわっています。
 そして、エリザベス女王は、直接政治に口出しをすることはないのだけれど、歴代の首相(チャーチルからボリス・ジョンソンまで)と週に1回の意見交換をずっと続けているそうです(その内容は未公開)。

「アミン訪英」問題で揺れたロンドンでのCHOGM(コモンウェルス諸国首脳会議)から二年が経ち、1979年の夏にはアフリカ大陸で初の会議が予定されていた。場所はザンビアルサカ。かつて北ローデシアと呼ばれた植民地である。ホストを務めるのは「独立の父」カウンダ大統領であり、今回の会議で最大の議題とされたのが、南隣の南ローデシアにおける黒人差別政策についてであった。サッチャー(首相)は行く気がしなかった。自分には直接的利害の薄いアフリカのことなどより、イギリス経済の立て直しのほうが優先すべき課題なのに。


(中略)


 サッチャーは事前に様々な要人と会って情報を集めていたが、このムゾレワこそ指導者にふさわしいと思い、急進的な黒人指導者であるジョシュア・ンコモやロバート・ムガペを「テロリスト」とみて敵視していた。しかし、CHOGMに集まった黒人大統領たちの一致した見解はンコモやムガペらが黒人政権を担うべきというものだった。このため会議の当初からすでに、各国指導者とサッチャーとの間には冷たい空気が漂うようになっていた。キャリントン外相は当時を振り返りこう述べている。「アフリカの各国はサッチャー首相に対して激しい敵意を示していた」。
 ここで会議に風穴を開けたのが女王であった。女王はCHOGMに出席する前に、いつも外務省の高官から加盟国のすべての現状について詳細な報告を受け、それをもとに会議の際には各国(ただしイギリスを除く)の首脳たち全員と同じ時間ずつ私的な謁見をもっている。キャリントン外相はこのときの様子を次のように述べている。「会議での女王の対応の仕方には目から鱗が落ちるような思いがした。陛下は首脳たちの一人ひとりとまったく同じ時間で個別に次々と会見を済まされた。このときから、会議全体の空気が大きく変わったのである。陛下の極意とは、誰に対しても平等に接するということだった。イギリスだからといって優先順位が与えられるわけではなく、それが他の参加国にとっても大きな驚きをもたらすのであった。
 1979年のルサカでの会議の一日目は、こうして各国首脳たちと女王の謁見が済み、再び会議の席に着いた彼らには、なごやかな空気が流れるようになっていた。さらにその日の夕刻。晩餐会場の片隅でひとりぽつんと佇んでいたサッチャーを中央に連れ出して、アジアやアフリカの首脳たちに次々に紹介してくれたのがほかならぬ女王であった。サッチャーは、カウンダやタンザニアのニエレレらと親しく話していくうちに、南ローデシアの惨状についてようやくその現実を知ることができた。また彼らアフリカの指導者たちも、彼女の政治家としての実力が並々ならぬものであると感じ取った。


 イギリスの王室は日本の皇室と近い立場で、直接政治に介入することは厳に戒められています。
 ただし、外交においては、その存在そのものが大きな役割を果たし続けているのです。

 当然のことであるが、王族たちが政府の政策を自らの手で進めるようなことはしない。実際の(EU離脱交渉は、政府高官や外交官の仕事である。しかしフランス大統領やドイツ首相といった多忙を極める要人は、普通の高官や外交官では簡単に会ってはくれない。そのようなときに女王の子や孫たちが訪れるともなれば、彼らに会わないわけにはいかない。こうした王族の訪問に随行するかたちで、政府高官や外交官らが各国を廻り、相手国の政府高官や外交官らと現実の交渉を進める。
 王室はまさに外交の「ソフト」の部分を担い、政府や外務省は「ハード」の部分を担っている。そのソフトの外交の頂点ともいうべきものが、「国賓」による公式訪問となろう。


 半世紀以上にわたって、イギリスという国と英連邦を支えてきたエリザベス2世なのですが、国王としての輝かしい実績の一方で、家族に関しては、順風満帆とは言い難いところはあったのです。

 女王自身にも実は「負い目」があった。わずか25歳で君主に即位したことで、子どもたちをしっかり育ててやれなかったという負い目である。彼女が女王になったとき長男のチャールズはまだ3歳3ヵ月であった。息子としてはもっと甘えていたかったであろうに、その日からエリザベスには「第一に女王、第二に妻、そして第三に母」という優先順位がつけらるようになってしまったのだ。日常の公務はもとより、国内外への様々な公式訪問などで女王もエディンバラ公も忙殺された。
 それだけではない。チャールズと父フィリップとは幼少期から肌が合わなかった。軍人出身で息子を「男の中の男」に育てようとする昔気質の旧弊な父に、チャールズは反発した。そこで頼ったのが、祖母のエリザベス皇太后と大叔父のマウントバッテンだった。しかしここで甘やかされたのがよくなかったのかもしれない。高校時代には寮生活で壮絶ないじめに遭い、「地獄のような生活」を送ったとされる。


 ダイアナ妃の人気と、カミラさんとの不倫騒動から、チャールズ皇太子のイメージはかなり悪く、エリザベス2世のあとは、チャールス皇太子をとばして、ウィリアム王子を次の王に、という意見もイギリスでは多いそうです。
 しかしながら、あまりにも優秀で王として敬意を集め、これほどまでに長い間君臨している母親を持つ子どもというのは、それはそれでつらいだろうな、と、僕はこれを読みながら考えずにはいられませんでした。
 チャールズ皇太子も、もう70歳を過ぎているのだし。


 68年間の長い在位で、エリザベス2世は、ずっと試行錯誤をしてきたのです。
 王室の伝統を尊重しつつも、時代や民衆の考え方の変化に応じて、さまざまなことをアップデートし続けているからこそ、王室は続いているのです。いまの王室はちゃんと税金を納め、ネットで積極的に情報発信もしています。
 王位にありながら、こんなに長い間、そういう「時代に合わせて、変わることを怖れない姿勢」を保ってきたのは、本当にすごいよなあ。


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