琥珀色の戯言

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【読書感想】クワバカ~クワガタを愛し過ぎちゃった男たち~ ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

クワバカ―クワガタムシを愛し、人生のすべてを賭してしまった男たちのことだ。ハブに咬まれても採集をやめない男、一回の勝負に数十万円を費やす"闘クワガタ士"、採集のためにインドネシアへ移住した世界的コレクター。そんな男たちを取材するうちに、著者自身もクワガタの沼へ少しずつはまっていった。そして、そのクワバカたちにも底知れない魅力を感じていき―。少年時代を想起させ、なぜか羨ましさも感じさせる不思議な男たちを描く、傑作"昆虫"ノンフィクション。


 どうして子どもの頃って、カブトムシとかクワガタムシに、あんなに惹きつけられていたのだろう?と思うのです。
 僕は子どもの頃、すぐ近くに山がある土地に2年間くらい住んでいたのですが、夏休み、まだ暗いうちに家を出て、友達と自転車で山に「クワガタ採り」に出かけていたのを覚えています。
 当時(1980年代半ば)でも、カブトムシやクワガタムシはめったに採れず、見つけても小さいものばかり。マムシを見つけて逃げ惑ったときのことのほうが、記憶に残っているのです。

 夏に子どもと一緒にホームセンターに買いものに行くと、クワガタやカブトムシが売られているのを見かけることがあって、子どもたちが欲しかるかな、と思うのですが、うちの子たちはあまり興味がないみたい。まあ、生きものを飼うのはクワガタでもけっこう大変だし、死んでしまったときの悲しみ、というのもありますしね。以前飼っていた金魚が次々に病気で死んでしまったときのショックを、いまだに引きずっているフシもあるし。

 この本、「いい年をした大人」たちが、クワガタムシとその採集に魅了され、「より大きく、より美しく、より強い」クワガタを採ることに、文字通り「人生を賭けて」いる姿が描かれているのです。

 著者のノンフィクションライター・中村計さんは、スポーツに関する作品が多いのですが、そんな中村さんが「クワガタ沼」にハマるきっかけになったのは、自然を撮るカメラマン・西野嘉憲さんが石垣島への移住を決めたきっかけを尋ねたことがきっけかだったのです。

 ノコギリクワガタヒラタクワガタは何種類もいて地域ごと大きさや形が違うなど考えたこともなかったし、ネブトクワガタやマルバネクワガタという種類については見たことも聞いたこともなかった。
 西野いわく、鹿児島から台湾へと連なる南西諸島は固有種の宝庫で、中でも鹿児島の南、約380キロ地点にある奄美大島から与論島まで8つの島々からなる奄美群島には際立って多くの固有種が生息しており、クワガタ愛好家にとっては垂涎の地なのだという。
 どうやら、クワガタの世界は思っていたよりはるかに広大で、奥深く、そして豊穣なもののようだった。いったん足を踏み入れたらそう簡単には引き返せないほどに甘美なものであるということが西野の話しぶりから伝わってきた。
 そんな夢の楽園・南西諸島における最大のスターはマルバネクワガタだという。秋に発生する珍しい種類で、夜行性。しかも、ライトトラップやフルーツトラップにかかることはほとんどないため、自分の足で探すしかない。
 西野が目を輝かせる。
「懐中電灯の光の中、大きなスダジイの木にへばりついてる黒い点が浮かび上がったときの興奮といったらないですよ」
 西野は、じつに話し上手だった。最初、それは西野の特性だと思っていた。ところが、この後、何人もの人から同じ印象を受けることになった。クワガタ好きがクワガタのことを語るとき、ほとんど誰もが名プレゼンターになった。このときは知る由もなかったが。のちに会うことになる「クワガタ沼」に足をとられた人たちの多くは、西野以上に(いい意味で)クレイジーだった。
 クワバカ──。
 いつの頃からか、私は彼らのことを心の中でこう呼ぶようになっていた。もちろん、精いっぱいの愛情を込めて、である。


 少年時代に、クワガタに夢中になった人たちも、いつのまにか興味を失い、「虫、なんか苦手なんだよなあ」なんて言うようになることが多いのではないでしょうか(僕もそうです)。
 それでも、クワガタムシやカブトムシには、その他の昆虫とは違った「オーラ」みたいなものがある、ような気もするのです。
 だからといって、珍しいクワガタムシを採るために、休みを使って南の島に採集に行ったり(しかも、夜中に自然のなかに入っていくわけで、ハブに噛まれて命にかかわるリスクもあり、実際に噛まれた「クワバカ」もいるのです)、南の島に移住してしたりする、というのは、ちょっと僕には考え難いのですが。

 ただ、そうやって、「そんなにすごいお金になるわけでもなく、ごく一部の同好の士にしか凄さをわかってもらえない世界」に生き、自分のやりたいことをやる、1㎝サイズが大きなクワガタを採ることに人生を賭ける、という人々の姿は、なんだかとても神々しくもあるんですよね
 その一方で、採集地の島に住む人たちからは「他所から来た人たちが、山で何かわけのわからないことをやっていて不安になる」とか「そんなに高く売れるような貴重なものなら、島の財産を勝手に持っていかれても良いのか」というような声もあがってくるわけです。
 彼らの家族からも、「そんなことばかりやっていないで、真面目に働け」などと苦言を呈されるのです。

 彼らのおもしろいところは、互いに学歴や家族構成など、ほとんど知らないことだ。私が、あるクワガタ屋を取材しているときに、他の採集者を引き合いに出しつつ、その人の経歴や家族構成に触れると、だいたい「知らなかったです」といかにも関心なさそうに答えるのだ。何十年も付き合ってきて、そんなことがあるのかと驚いたものだが、彼らにとって関心があるのは、この人は、どこで、何を、どのようにして採ったのかということだけなのだ。

 林の回想から浮かぶ本人(定木良介さん)の姿は、まるで夢遊病者だった。1999年以降、頭の中には常に村松の70ミリ(のオキナワマルバネクワガタ)があったという。
「1990年代後半から10年くらいは、発狂しそうな状態でやってましたね。宿に何泊したかもわからなくなって、チェックアウトするとき、『37泊?』みたいな。基本、マルバネ採集のときは、行きのチケットしか取らないんです。発生した日から発生が終わるまで見てやろうという気でいますから。持っているお金を全部つぎ込んで、あんな感覚になることは今後の人生でもう二度とないでしょうね。ほんと、愚かでした。付き合っている女の子がいたときも、『まだ帰ってこないの? こんなんだったら別れたいんだけど』って言われたら『俺の勝ちだ!』って。よしよし、これでマルバネに集中できるぞと。ひどいもんですよ」

 飯島(和彦)も「全身クワガタ屋」であり、「全身虫屋」だ。ときどき、その情熱がほとばしり、場外に飛び出さんばかりのセリフを吐く。
「結婚を機に、昆虫をやめちゃう人とかいるじゃないですか。僕は、それ、許せなくて。なんで、付き合っている女性が嫌だと言ったらやめちゃうの? って。その程度かよって。僕だったら、そんなことを言う女性とは別れるけどなと思っちゃいます。だって、自分がすごく好きなことを否定するような人間とは一緒にいられないじゃないですか」
 吉川も飯島も独身だった。


 僕は「ここまで好きなことがあって、『世間の人々が決めた幸福の定義』みたいなものに縛られずに生きている人たち」って、なんだか羨ましいなあ、と思いながら、この本を読んでいたのです。と言いつつも、「クワガタが、そんなに魅力的なのかねえ……」と心の片隅で毒づいてもいたのですが。
 「結婚して、家族を持たなければ『大人』じゃない、『普通』じゃない」というような「常識」に、僕自身も縛られてきたのではないか、と思うことはあるのです。でも、そういう常識をかなぐり捨ててでも追い求めたい「好き」は、僕にはなかった。

 もちろん、クワガタ好きも、こんなに極まった人ばかりではなくて、日常のなかで副業としてクワガタの養殖をしていたり、仕事の合間に標本集めをしていたりする人のほうが多数派なわけです。
 
 「自分の『好き』に殉じた人たち」の生きざまというのは、なんだか、すごく魅力的なんですよ。
 それだけに、つい、「好きなことだけやってて、いいよねえ」なんて言いたくなってしまうところもあります。
 たぶん、本人にとっては「そこまでやっている」というよりは、「自分がやりたいことをやっていたら、結果的にそうなっていた」だけなのですよね。


fujipon.hatenadiary.com

クワガタムシハンドブック 増補改訂版

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