琥珀色の戯言

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【読書感想】生死の覚悟 ☆☆☆

生死の覚悟 (新潮新書)

生死の覚悟 (新潮新書)


Kindle版もあります。

生死の覚悟(新潮新書)

生死の覚悟(新潮新書)

きっかけは、小説だった――。
2009年に刊行された、髙村薫の小説『太陽を曳く馬』。この作品は、都内の禅寺で起きた不可解な「事故」をめぐって、髙村作品ではお馴染みの刑事・合田雄一郎が禅僧たちと対峙。仏教や道元、そしてオウム真理教に至るまで、「捜査」の域を越えた「宗論」を繰り広げながら「事故」の顛末を追う、というもの。
この作品の存在を同門の友人から知らされた、「恐山の禅僧」南直哉師いわく、「道元禅師と修行僧が登場する小説を最初に読んだときは、どれほどの資料を読み込み、どこまでの知識を蓄えたのか見当もつかず、軽い恐怖心さえ覚えた。この驚くべき準備の上に、細部まで研ぎあげた文体と論理が屹立する、どこか神殿を思わせるような作品」(『生死の覚悟』「悲しみの中に立ち続ける」より)

南師が切望し、2011年1月25日、両者が初めて顔を合わせる。
それから7年後の2018年9月13日、ふたりは再会する。

このふたりの七年越しの対話をまとめたのが、本書『生死の覚悟』です。いかにして仏教と出会ったのか、信心への懐疑、坐禅の先にあるもの、『超越と実存』について、宗教家の条件、ふたつの震災とオウム真理教など……話題は多岐にわたり、「実存の根源的危機が迫る時代に、生死の覚悟を問う」という内容になっています。

タイトルは『生死の覚悟』と書いて、「しょうじのかくご」と読みます。「生死」と書いて、「しょうじ」


 そういえば、高村薫さんの最近の作品、読んでいなかったな、なんて思いながら手にとりました。
 2009年に刊行された、髙村薫さんの小説『太陽を曳く馬』に禅僧が出てくるのですが、南直哉さんは、その禅僧のモデルではないか、と周囲の人からも言われていたそうです。
 高村さんは、それを否定されているのですけど。

 高村薫さんは、10代のころ、「過剰なまでに死の夢想にとりつかれた」と仰っています。

 かくして、物心ついたころから溜まりに溜まった死のスクラップブックもそろそろ色褪せようとしていたとき、私の人生を阪神淡路大震災が襲った。結論から言えば、一瞬にして大都市が崩落した16秒間ほどの大地震の下で、この心身にまったく新しい死の姿が忽然と立ち現れたのである。どんな物語も道理もまとっていない、生命現象でも物理現象でもない、ただ「何もない」としか言いようのない空洞のようなもの――後に便宜的に死と名付けた――を見た気がしたのである。
 恐怖も不安もない、一切の感情がないその空洞は、同時にその瞬間の私の生命でもあったのだが、こうして長年囚われ続けてきた死の淵に「生」を感じ取るなど、想像もしなかったことだった。この筋金入りの厭世観の塊が、いまにも死ぬかというときに生命を感じる。これこそ人生の相転移である。
 またそのとき、もう一つ想像もしていなかった心身の大転回が起こったのだが、そこに立ち現れたのが仏教だった。四歳でカソリック教会に放り込まれて以降、大学までキリスト教の価値観の下にあった不信心の塊が、四十を超えて突然仏教に目覚めるというのは、一つの魂にとってはほとんど天変地異にも等しい。事実、そのとき私は、自分がまったくべつの人間になって神の消えた世界に立っている、あるいは震災で焦土と化した神戸を目の当たりにしているのを感じたものだった。


 高村さんは、この本の冒頭で、このように、「仏教に惹かれた過程」を述べておられます。
 もともと、「何かを信仰する」ということが難題だった、とも。
 現在も、「なんとなく心が落ち着きかけたと思えば、東日本大震災が起きて新たな無常が積み重なる」と書かれていて、そういうときに手に取ったのが、南さんの著書だったそうです。


 ちなみに、高村さんの小説のリアルさに、南さんは、自分がモデルではないとしても、誰か曹洞宗の僧侶に取材したのですか、と尋ねています。

高村薫いいえ。取材はしておりません。それが私のスタンスでもあります。と申しますのも、私はこれまでほとんどいつも同時代のことを書いてきましたので、現実の企業社会や組織を描くことも多くありました。本当に自分の書きたいことを書くためには、相手にご迷惑をお掛けしないように、直接の取材は絶対にしないということを範として今までやってきました。
 それは今回の三部作でも同様です。実は過去にも、「あれは自分のことだろう。何から何までそっくりだ」と問題になったことが何度がありました。そのときも、何一つ直接の接触がなかったことが幸いして、事なきを得たような次第です。


 正直、「本当かな……」と思うところもあるのですが、事実ならば、作家の想像力というのは、すごいものなのだな、と驚かされます。人は、「これは自分のことではないのか」と思いがちなのは、ネットでもしばしばみられる光景だとはいえ。


 高村さんは、この対談のなかで、何度も「信じる」ということが自分には難しい、と述べています。その感覚は僕にも理解できるのです。

高村:曹洞宗の教義がわかりにくいとおっしゃいましたが、むしろ私のように少し物を考える人間は、前提に信心や帰依がなければいけないとなった瞬間に、もうダメです。そこで仏教への入り口がもう閉ざされてしまう。こちらが閉ざしてしまうのですが。


南直哉:それでは考えることが問われませんからね。


高村:入口が信心や帰依だとしたら、最初から手が届きません。そうではなく、信心や帰依する対象が何なのか、それが知りたいのです。知らなくてもいい。まず信じなさい。お念仏しなさい。坐禅しなさい――。それを近代理性で毒された私のような頭は、受け入れることができません。信心とは、ものすごくハードルが高いことなのです。


南:私が永平寺に入って一番問題だと思ったのもそこです。最初は問答無用でいいと思う。しかし自分で実際にやってみて、説明してからやらせるのと、まずはやらせてみてから説明するのと、どっちが効果的かといったら後者です。それが私の実感。
 アメリカ人の場合は、逆でしたが。彼らにはまず説明しないといけません。説明に納得すれば一生懸命やります。しかし日本人だと問答無用でまずやらせる。その後に意味を説明した方が、インパクトは強いと私は実感しています。つまり方法論としては、説明が先で行動が後よりも、行動が先で説明が後のほうが効果は高い。


高村:オウムを見ていて感じたのは、あそこも最初問答無用で修行させますでしょう。そのときの身体体験があまりに強烈なので、その後どんな言語による説明も受けつけなくなるのではないでしょうか。おそらく坐禅もそうだと思いますが。


 結局のところ、人というのは、頭の中だけで「信じる」というのは、かなりハードルが高いのかもしれません。
 自分の身体で体験したことは、疑いなしに信じてしまいがちなのだけれど。
 そういう傾向は、とくに「絶対神を信じてきた歴史」を持たない日本人には強くて、それが逆に、「自分が体験してきたことは疑問を持たずに信じてしまう」ということにもつながっているのです。

高村:そのどうしようもないこと、理屈ではないことがあるということを再認識させられたのが、私にとっては1995年の阪神淡路大震災でした。「なぜ彼らは死んで、私は生きているのか」と。
 それが最初に浮かんだ言葉です。なぜだ。しかしそこに理由はない。同じ部屋にいたのに隣で寝ていた人が亡くなり、自分は生き残った人もおられます。そこに納得のいく理由なんてないでしょう。そのようなどうしようもないことが起きるのが、人の世だということを初めて考えたのです。


南:そのような解消されない問いは、問いとして残り続けます。「仕方がない」とひとりごちて、収めるしかない。だけど問いは問いとして残り続ける。それを抱き続けていくしかないでしょうね。
 その問いに蓋をするようにして、何か「答え」をあてがうようなことをするのが一番いけない。東日本大震災が起きた時に、「天罰
と言った人間がいましたが、宗教家の中には神の思し召しだとか、因果応報だとか言った人間もいたはずです。 しかし私はそれを「宗教的」だとは思わない。宗教というのは、もっともらしい「答え」をあてがうのではなく、「なぜ?」をそのまま抱え切れるかどうか――宗教家は、その方法を提示することだと思う。それを抱え切る勇気を持つこと。そうでなければ宗教家はダメだと思いますね。安直な言葉で答えを与えれば与えるほど、それはイデオロギーとなって、宗教ではない異質なものに変質していく。


 僕はこれを読んでも、仏教に目覚めたとかいうことはなかったし、内容が理解できないところも多かったのです。
 でも、ところどころに、「そういうものなのか……」と引っかかる言葉があったのも事実で、なんとなく、読んでみてよかった、という気がしています。


空海

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太陽を曳く馬〈上〉

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冷血(上) (新潮文庫)

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