琥珀色の戯言

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【読書感想】名画という迷宮 ☆☆☆☆

名画という迷宮 (PHP新書)

名画という迷宮 (PHP新書)


Kindle版もあります。

名画という迷宮 (PHP新書)

名画という迷宮 (PHP新書)

内容紹介
カラヴァッジョ、ルーベンス、ベラスケス、プッサンレンブラントフェルメール 《6人の巨匠たちの生涯》
★69点の作品をカラーで紹介


これまでルネサンス以降の美術史はあまり知られていないがわかりやすい解説で人気の美術史家・木村泰司先生によるバロック美術の集中講義!

爛熟したルネサンス下で育った若者のなかから革新的な画家が生まれ、後世に大きな影響を与えていることはあまり知られていない。
当時はまだ地位の低い職業だったにもかかわらず気高く挑戦を続け、ときにスキャンダルを起こしたり、トラブルに巻き込まれたりしながら、強烈な作品を作り続けた。

画家自身がどのような人生を送ったかを知ることで、彼らが遺した作品をより深く感じられるのではないか。

本書では、17世紀を通してバロック期に活躍した巨匠たちのドラマチックな人生と美術史に残る大作を紹介する。
『巨匠たちの迷宮』を改題。


 ※著者が2009年に集英社から刊行した『名画の言い分 巨匠たちの迷宮』を改題、再編集したものだそうです。


 僕が絵画に興味を持ち、美術館に足を運ぶようになったのは、21世紀にはいってから、30歳を過ぎてからなのです。
 それまでは、画家といえば、ピカソレオナルド・ダ・ヴィンチゴッホくらいの名前は知っていたものの、わざわざ絵を観るために混んでいる美術館に行くのもめんどくさいな、という感じだったんですよね。
 しかしながら、絵画というのは、作品そのものを観るだけでなくて、画家や作品の背景を知ることの面白さもあって、観れば観るほど、より興味がわいてくるのです。
 正直なところ、僕に絵が「わかっている」という自信は全くなくて、半ばオリエンテーリングみたいな気分で世界の名画をみているところもあるのですが。

 この本で著者がとりあげている画家は、カラヴァッジョ、ルーベンス、ベラスケス、プッサンレンブラントフェルメール の6人で、17世紀に活躍したバロック美術の画家たちです。
 とはいえ、美術ファン以外にとっては、フェルメールは知っている、レンブラントは教科書で『夜警』は見たことがある、ルーベンスは『フランダースの犬』で主人公の少年が憧れていた絵を描いた人だということは知っている、という感じではないでしょうか。
 僕は子供の頃、『フランダースの犬』を観ながら、「ネロ、そのカーテンをサッとめくって観ちゃえよ、絵!」と思っていたのです。
 今から考えると、感動というより、「なんて世の中は理不尽なんだろう」と、やさぐれた気分になる話ではありました。


 著者は、この本のなかで、6人の作家たちの人生の概略を語り、その代表作をカラー写真で掲載しています。
 

 カラヴァッジョの項より。

 ナヴォーナ広場近くにあるサン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会は、フランスの守護聖人である聖ルイ(ルイ9世、在位1226~70)を祀っている教会で、カラヴァッジョの時代から、ローマで最も人気のある教会の一つでした。現在も、聖マタイ伝三連作を見るために、多くの観光客が訪れています。
 ところで、当時の宗教画というのは、今、私たちが美術館で芸術として鑑賞するような対象ではありませんでした。そこに描かれた聖書の物語や聖人の姿を見て、信仰心を高めてもらう、いわばコマーシャルみたいなものだったのです。ですから、聖なるものでなければなりませんでした。
 カラヴァッジョは、聖なる物語を世俗的な空間にもってきて、その辺を歩いている普通の人をモデルに描きました。このカラヴァッジョの革新的な表現のしかたは、デル・モンテ枢機卿のように美術に対して審美眼のある人々や、若い画家たちなどからは絶賛されました。レンブラント(1606~69)のような他国の、プロテスタントの画家までもが、後に影響を受けることになるのです。
 しかし、多くの一般信者はあまりにも現実的・世俗的すぎると感じました。市井の人々は、自分たちと同じような人物が描かれた宗教画よりも、美しく理想化された宗教画のほうをありがたがったのです。美術館ではなく、教会で観賞するとなると、まあ、その気持ちもわからないではありませんね。


 読んでいて考えさせられるのは、アートの世界も、世相を無視するわけにはいかない、ということなのです。
 16世紀の宗教改革から生まれたプロテスタントは基本的に偶像崇拝に否定的で、宗教画には淡泊だったのに対して(聖書の言葉を信者が直接読むことを重視したので)、既成勢力であるカトリックは、宗教画の「一目でわかる」という宣伝効果を活かそうとしたのです。
 レンブラントフェルメールが人々の日常の風景を描いたのは、オランダがプロテスタントを中心とした国で、絶対君主を持たず、宮廷画家として雇われることはなく、富裕な市民のニーズに応える市場ができていたからでもあったのです。

 著者は、レンブラントの『夜警』について、こう述べています。

 アムステルダムの名士フランス・バニング・コック市警団隊長が、彼と彼の部隊の集団肖像画レンブラントに注文したのは1640年の暮れ。18人の兵士が、各自100ギルダーを支払う約束でした。
 すでに述べたように、集団肖像画は、市民社会が成立したオランダにおいて流行したジャンルで、いわば記念写真のようなものです。美術史上、燦然と輝く《夜警》を私たちは純粋に芸術品として鑑賞しますが、当時の人にとっては「商品」でもあったのです。皆が均等にお金を出すのであれば、当然、均等に描かれなければなりませんし、そもそも肖像画である以上、本人に似ていなければなりません。注文主の意向に反する表現は、職業画家として許されることではなかったのです。
 しかし、レンブラントは、当代きっての巨匠という自負もあり、躍動感を出すために集団肖像画の範疇を超えた表現で描きました。その結果、目立つ人と目立たない人との差が大きいうえに、コック隊長と副官のライテンブルフ以外は識別しにくくなってしまったのです。
 さらには、市警団と関係のない少年や少女も描かれ、死んだニワトリを背負った少女などは、見る者の謎を深めるばかりでした。
 要するに、この作品は、それまでの集団肖像画の常識から大きく外れたものだったので、人々の理解をはるかに超えていたのでしょう。目立たない人から不満が出たとしても、それは当然のことだったのです。たとえ注文主たちがこの集団肖像画の出来栄えに満足していても、そしてこの作品の絵画としての評価が高かったとしても、レンブラントに対する世間の評判は悪いほうに向かいました。職業画家にあるまじき自己主張と、注文主の意向よりも画家自身の創造性を重んじる姿勢は当時の社会では受け入れられなかったのです。


 いまでは、レンブラントの代表作として名高い『夜警』なのですが、描かれた当時は「画家のスタンドプレイ」として批判の声も大きかったのです。
 現代の「集合写真」と同じ役割として考えれば、スポットライトがあたっている人物が目立ちすぎていますし、みんなが同じ金額を出し合ったとすれば、不公平だと思う人がいるのも理解はできます。
 レンブラントは、たぶんこれが「問題作」であることは理解したうえで描いたのでしょう。注文主の希望に過不足なく応えることは、彼の技量であれば難しいことではなかったはず。
 それは芸術家としての「やむにやまれぬ衝動」だったのか、それとも、「自分のような有名画家なら許される」と考えたのか。
 ただ、そういう「画家の自己主張」がなければ、この名作は歴史に残らなかったんですよね。

 同じバロックの画家でも、カラヴァッジョのように死刑宣告から逃げ回っていた人もあり、ルーベンスのように、外交官としても成功し、幸福な人生をおくった人もあり。

 とりあえず、生きているうちに、観てみたい絵が増える本だと思います。


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