琥珀色の戯言

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ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選! ☆☆☆☆


ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選! (本人本)

ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選! (本人本)

内容紹介
1981年~1990年、木曜深夜のニッポン放送では、「神」がしゃべっていた。

この国のラジオ史上、最も多くの少年たちの人生を変えた番組が、活字で復活。「これをありえないスピードで、たけしさんがしゃべってるのを想像してください。鳥肌立ちますよ」(松尾スズキ)

さくらももこ水道橋博士玉袋筋太郎、森谷和郎(ニッポン放送)が語る「私の愛した『ビートたけしオールナイトニッポン』」も同時収録!

雑誌『hon-nin』発の書籍レーベル、“本人本”創刊第1弾!!

 たぶん、この本を十分に堪能できるのは、「これをありえないスピードで、たけしさんがしゃべってるのを実際に聴いていた」当時のリスナーだけなのではないかと思います。あのオールナイトでのたけしさんの喋りというのは、聞いたことがない人にとっては、想像するのはなかなか難しいものではないかという気がするので。
 僕もその「神」の喋りを聞いていたひとりだったので、とにかく懐かしく読みました。ただ、当時の僕にとってのビートたけしのオールナイトはテンポが速すぎて聴きづらかったし、隠語、猥談の類が多くて、あんまり好みではなく、「その時間に起きていれば聴く」というくらいのファンでしかなかったんですけど。
あの頃いちばん聞いていたのは、中島みゆきさんだったんだよなあ。たぶん実家にはいまでも録音テープが残っているはず。

 この本では、放送内容が文字に起こされているのですが、今あらためて読んでみると、ほんと、こんなこと喋ってて、よく番組が続いていったものだと驚かされます。

 以下、「伝説の第1回放送(1981/1/1)」より。

ビートたけし:次は「たけしのテレフォンショッキング」! 題名、これ私が考えましてですな。人生相談ですね。ハガキがちょっと来ておりますので、読んでみましょうね。

《僕は二浪の予備校生》。二浪で予備校、頭悪いんでしょうねえ。《うちの父は、東大出の大蔵省官吏。母は日本女子大出、兄も早稲田を出て、三菱銀行に勤めています。そして、何かにつけて家族は私を比較して白い目で見ている。ここまでお聞きになればわかるでしょう。あの一柳展也(1980年11月29日に起こった「金属バット両親殺害事件」の犯人の予備校生)とまったく同じケースなのです。実を言うと僕も親を殺そうと思って、金属バットを買ったのですが》……怖いやつですねえ! 《一柳に先を越され……》、先を越した越されたって話じゃないって感じがしますけど。


高田文夫:アハハハハ。


たけし:《しかし、初志貫徹。近いうちに計画を実行しようと思いますが、まったく同じことをしたんじゃつまりません。頼りになるのは日本中でたけしさん以外にありません。相談に乗ってください》。怖い! 新宿区、海野城太郎。大丈夫かなおい、こいつ。


(電話が鳴る)


たけし:あっ……ちょっと、ヤな予感。(電話をとる)もしもし?


海野:もしもし。


たけし:たけしですが。海野さん?


海野:はい。


たけし:海野さん、金属バットで一柳に先を越されたっつうんで、計画を実行しようと、そう思ってるんですか?


海野:ええ。今日も正月でね、オヤジの会社の連中が来たんですよ。その目の前でね、「こいつはバカだ」とかね、もうめちゃくちゃ言うんですよね。もう溜まり溜まって頭にきて、今日あたり本当にやっちゃおうなんて思ってんですけどね。


たけし:今日あたりやっちゃうのはいいんですけどね……一柳展也っていうのは、事件があった時に、すぐもうバレちゃってんの。やっぱり、やる場合はねえ、逃げ切る覚悟でやんないとダメですなあ。


海野:ああ。どうしたらいいんですか?


(中略)


たけし:うんと力ないと金属バットで頭蓋骨は割れませんよ? 頭蓋骨を貫通するためにはね、溶接で五寸釘かなんか金属バットに付けた方がいい。そうすっと一気にいけるから。そいでなるたけ後頭部を一気に叩くと。これがやっぱり一柳と違うところだろうね。


海野:でも、時間がすごくかかるような気がするんですよね。


たけし:ああ、溶接してるとこを見つかっちゃいけないっていうのはありますね。でもね、やっぱり金属バットってのは、王選手も言ってるように、圧縮バットも禁止されてる時にね――アマチュアは金属バット使いますけど、やっぱプロは木のバットにしてほしいですな。ルイズビルかなんかのね。


海野:木製。それ、溶接できないんじゃないですか?


たけし:ああ! そうか。そういう場合はねえ、ナイフで木のバットを削って突起物をいっぱい出した方がいいんですよ。鬼の持ってる棒あんでしょ? 棍棒みたいなデコボコのやつ。ああいうふうな形にした方がいいんじゃないですかね。


海野:あの、たとえば剣山みたいな。


高田:いいアイディアだ!


たけし:そうそう、剣山を紐でくくりつけるっていう手もありますね。出血多量で死ぬケース。でも、骸骨ん中に穴がいっぱい開きすぎて、そこから足がつく。やっぱり草月流の剣山は良くないですよ。


海野:そいで、やった後はね、捕まりたくないですから、あんまり。


たけし:うん、だから「酒飲んで寝ちゃった」って一柳は言ってましたけど、あんたの場合はビニール本かなんか出して、ナニカに耽っていたっていう状態の方がね、一所懸命夜中じゅう起きてたっていう感じが出ていいんじゃないかな、勉強してるとばれちゃうって感じあんじゃん? 「急に勉強なんかしだしておかしい、あいつは」って。やっぱいつものとおり耽るというね。タンパク質を出すという感じが――。


高田:ははははは。何を言って……。


海野:ああ。それなら大丈夫です。

 「ビニール本」という言葉に時代を感じてしまったりもするわけですが、第1回からこの内容!
 危ない、というより、「よくこんなの放送できたなあ……」と驚くばかりです。
 これが、今から25年前の日本で「最も人気があった深夜放送」だったんですよね。
 僕は正直、当時これを聴いていても「唖然とするばかりで、全く笑えなかった」とは思いますが……

 もしこんな内容の「オールナイトニッポン」が現在放送されたら、倖田來未さんの「羊水腐る」どころの騒ぎじゃないはずです。
 もっとも、当時もこの放送に「クレームが殺到」したらしいですけど(ちなみに、この相談は「仕込み」で、「海野城太郎」は高田文夫さんの後輩の放送作家だったということが、後に番組の単行本で明かされているそうです)、それでも、「ビートたけしオールナイトニッポン」が放送休止になることはありませんでした。さすがに「フライデー事件」のあとは、半年間お休みになったんですけどね。

 ちなみに、この本には、当時この番組のディレクターだった森谷和郎さんへのインタビューも収録されていて、その中で森谷さんは、こんなふうに仰っておられます。

――第1回目の放送が終わったとき、真っ青になったんじゃないですか?


森谷:いやいや、当然、第1回目は生放送じゃなくて録音ですから。危ない内容の発言は、編集しまくりました。


――え……あれで編集してたんですか?


森谷:ええ。そしたらカットしすぎて尺(分数)が足りなくなちゃって。確か番組の中で井上陽水さんの曲がかかるんですけど、それが原曲より2分長いんです(笑)。歌が3分までいってから、もう一度1番に戻るという編集をして、放送時間を埋めました。


――でも今聴き返すと、編集後の放送内容もずいぶん物騒だったと思うんですけど。


森谷:いや、自分の判断としては「これくらいなら大丈夫だろう」と。実際にはもっと危ない内容がたくさんありましたから。差別用語はたけしさんも良くおわかりになっているのですが、そうじゃないんだけど一般的な放送にはそぐわない、公序良俗に反するような部分はカットしました。


――第1回放送で、リスナーが、「今から親の頭をバットで殴ってやろうと思う」と電話で相談するコーナーがありましたが、あれも公序良俗に反していないと?


森谷:それは別に、過激ではあったんでしょうけど、こっちは冗談でやっていますから。みんな絶対に冗談として受け止めてくれているだろうと思って放送したわけです。


――ところがみんな結構本気で信じてしまって……。


森谷:確かにいくつかのテレビ局から取材がありましたけど、こちらとしては「常識的に考えれば冗談だとわかるだろう」という構成をしたつもりであって。そこで本当に社会的騒動になったら、たぶん僕は謝っていると思いますね。ただ、そこまでの騒ぎにはならなかったから。

 ちなみに、森谷さんは現在、ニッポン放送編成局長。たぶん、この世代のラジオマンたちには、あの「羊水腐る」発言が、どうしてあんなに問題になったのか、よくわからなかったのではないかなあ……
 「どちらが正しい」というような話ではないと思うのですが、少なくとも「深夜放送だからこのくらい羽目を外してもいいんじゃない?」とか、「冗談(あるいはパーソナリティの無知)だというのは、みんな説明しなくてもわかるよね?」というような「深夜放送の聖域化」「パーソナリティ(あるいは制作側)とリスナーとの共犯関係」は、もう過去の話になってしまっているのは間違いないでしょう。

 この本、懐かしい番組中のたけしさんのトークの再現はもちろんなのですが、「ビートたけしに魅せられた人々」の代表として、浅草キッドのお二人が、身近な存在として体験した「あの頃のビートたけしという神」について語っているインタビューがとても面白かったです。
 こんなふうにたくさんの「何をやっていいかわからない若者たち」に良くも悪くも「影響を与えた」ラジオ番組というのは、もう二度と出現することはないような気がします。
 たぶん、あの頃は、ラジオにとって、そして、「オールナイトニッポン」にとって、ものすごく「幸福な時代」だったのでしょうね……

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