琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない ☆☆☆☆


砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない 上 (単行本コミックス)

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない 上 (単行本コミックス)

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない 下 (2)

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない 下 (2)

内容(「BOOK」データベースより)
大人になんてなりたくなかった。傲慢で、自分勝手な理屈を振りかざして、くだらない言い訳を繰り返す。そして、見え透いた安い論理で子供を丸め込もうとする。でも、早く大人になりたかった。自分はあまりにも弱く、みじめで戦う手段を持たなかった。このままでは、この小さな町で息が詰まって死んでしまうと分かっていた。実弾が、欲しかった。どこにも、行く場所がなく、そしてどこかへ逃げたいと思っていた。そんな13歳の二人の少女が出会った。山田なぎさ―片田舎に暮らし、早く卒業し、社会に出たいと思っているリアリスト。海野藻屑―自分のことを人魚だと言い張る少し不思議な転校生の女の子。二人は言葉を交わして、ともに同じ空気を吸い、思いをはせる。全ては生きるために、生き残っていくために―。これは、そんな二人の小さな小さな物語。渾身の青春暗黒ミステリー。

 ちなみに僕は『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』の小説版を既読です。ですから、「この話がどう進んでいくのか?」という興味よりは、あの「残酷だけど、とても美しくて儚い世界」がどんなふうに漫画化されているのだろう、と思いながら読んだのですが、とてもうまく漫画になっているな、と感じました。
 「ものすごく漫画化されて何か新しい面が見えた」というよりは、「難しい原作を過不足無く絵にしているな」という印象で、読みながら、「海野藻屑」というキャラクターに対しては、絵になっているのを見るとなんとなく「もっと異様な美しさ」を持ったキャラクターのはずなのに、とやや物足りない気もしたんですけどね。
 ただ、それは逆に「絵にしてしまうこと」の限界であり、「小説家・桜庭一樹」のキャラクター描写の凄さなのかもしれません。

 この作品、ものすごくフィクションっぽいところと、ものすごくリアルなところが混在しているのです。
 読みながら、「ああ、この話は絶対にハッピーエンドにはならないな……」と思いつつも、その「結末」から目をそらさずにはいられない作品なのですが、なんというか、この小説って、本当に「残酷で救いようがない話なのだけれど、なんだかとても美しい」のですよね。
 この作品を読んでいると、人って、多かれ少なかれ、「戦場」みたいなところで「生きのびていく」存在なのかもしれないな、と考えずにはいられません。僕たちは新兵として戦場に送られ、同じ部隊の「戦友」が撃たれて冷たくなっていくのを観て、はじめて、一人前の「兵士」に成長していく。でも、誰が「撃たれる」か、その瞬間まで誰にもわからない。
 それは「尊い犠牲」として美化されたり、「運が悪かった」と哀れまれたり、「坊やだからさ」と馬鹿にされたり。
 結局、「死者を語れるのは、生きている人間だけ」なんですよね。
 生きている人間は、死者を「美しい踏み台」にして、前に進んでいく。
 僕は、これを読みながら、「医者になれなかった同級生」「医者にはなったけれど、自分の仕事や人生に自分で幕を下ろすことを選んだ同級生」たちのことを考えずにはいられませんでした。
 彼らのことを思い出すたびに、「深い悲しみ」と同時に「まだ戦場にとどまっているそれなりに立派な兵士になった自分への誇り」を感じて、次の瞬間に軽い罪悪感にさいなまれることが今でもたまにあるのです。

 あらためてこの作品を読んでみて、やっぱりこれは「子供向け」の話ではないと感じました。もちろん、桜庭さんは、これを書くことによって、早熟な少女たちに「実弾を撃てない自分に滅入っているのはあなただけじゃない」ということを伝えかったのだとは思いますが……

 ちょうど今夜の『トップランナー』に桜庭一樹さんが出演されていたのですが(『人生はブルマー』「都道府県太」には笑った!)そのなかで桜庭さんは、「少女を主人公にする理由」をこんなふうに語っておられました。

 私が少女を描くときは、ただ…、ただ「少女」というだけじゃなくって、誰にとっても苦しい状況とか、なんか、みんなが共通のこう…悲しみとかを、少女を主人公にして描くとものすごく増幅されると思ったんですよね。大人なら耐えられることも、少女にはちょっと耐えられない、ものすごく苦しむっていう意味で、あの…少女っていうのは感情を増幅させる装置じゃないかなあ、と思っていた時期があって……

 桜庭さんは「少女」を描きたいのではなくて、「少女」というのは、あくまでも「感情の増幅装置」だと仰っておられたんですよね。
 つまり、そこにもともとあるのは、「誰にとっても苦しい状況」とか「みんなに共通の悲しみ」。

 いくつになったら、「実弾」を撃てるようになるんだろう?そんなことを、もうすっかりオッサンの僕は考えてしまいました。
 大人になったからって、「実弾」を撃てるわけじゃないんだ。僕がこの物語でいちばん共感してしまったのは、実はなぎさのクラスの先生なんですよ。大人の年齢になったからって、子どものときに考えていたような「大人」になれるわけじゃない、それは、本当に僕も実感し続けていることだったので。

 あたしは、昨日の夜、神となった兄、友彦としょうもない話をしたことを思い出した。友彦が<当たったらヤバイクイズを知っているかい?>と、またじつに優雅な微笑みを浮かべて私に話しかけてきたのだ。夕食を摂っているあいだの、短い、あたしたちの会話タイムでの出来事だった。友彦は、
<いいかい、なぎさ。当てるなよ>
<な、なんで?>
<これに答えられた人間は史上にわずか5人しかいないんだ>
 さんざんあたしを脅して、困っているあたしに向かって楽しそうに長い髪を揺らし、話しだしたのだった。
<ある男が死んだ。つまらない事故でね。男には妻と子どもがいた。葬式に男の同僚が参列した。同僚と妻はこんなときになんだけどいい雰囲気になった。まぁ、ひかれあうってやつだ。ところがその夜、なんと男の忘れ形見である子供が殺された。犯人は妻だった。自分の子供をとつぜん殺したんだ。さて、なぜでしょう?>
<な、なぜって……>
 知るかぁ、と思ってあたしが目をぱちくりしていると、友彦は満足そうにうなずいて、
<きょとんとしてるな、我が妹よ>
<うん、もちろん>
<わかんないんだな?>
<……悪かったわね。わかんないよ、ぜんぜん>
<よかった、なぎさ。君は正常な精神の持ち主だ>
<はぁ>
 友彦はにこにこして、楽しそうに、
<この問いは一説によると、異常犯罪者の精神鑑定に使われる質問なんだ。普通の青少年はほとんど、99.999……パーセント、答えられない。この史上でこれまでに答えることのできた人間はわずか5人。それは……>
 友彦は、ここ十年ほどのあいだに起こった有名な猟奇事件の犯人である子供たちの名をつぎつぎに挙げてみせた。あたしがぽかんとして見ていると、
<答えられたら、ヤバイクイズ。これにて終了。我が妹は正常なり、ではね、なぎさ>
 ぽかんとしているあたしを残して、襖を閉めてしまった。

 この「ヤバイクイズ」の答えを知りたい方もぜひ御一読を。


砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない―A Lollypop or A Bullet

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない―A Lollypop or A Bullet

ちなみに僕は↑で読みました。文庫版の表紙はちょっとレジに持っていきにくかったので。

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない (富士見ミステリー文庫)

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない (富士見ミステリー文庫)

↑こちらは文庫版。

アクセスカウンター