琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

僕の話はなぜ「通じない」のか


 いやほんとに、どうしてわかってくれないんだろう、と思うことってありますよね実際。
 そういうときにどうすればいいのだろう?と考え込んでしまうのですが、そんなとき、僕はこの本を読み返すことにしています。

 以下(2007/3/24)の再掲。

あなたの話はなぜ「通じない」のか (ちくま文庫)

あなたの話はなぜ「通じない」のか (ちくま文庫)

 「他人とのコミュニケーションが上手くいかない」という悩みを抱えているすべての人に、ぜひ一度は読んでみていただきたい本です。あるいは、「メールがうまく書けない」「コメントの返事がうまくできない」「ケンカを売られるようなコメントへの対応に困っている」というブログ・サイト管理人の皆様もぜひ。この本には「人との付き合い方がうまくいかない人のための処方箋」がわかりやすく、具体的に書かれているのですが、これを日常生活で実践するというのは、そんなに簡単な話ではないはずです。でも、この本を一度読むことによって、少しは意識の持ち方が変わるはずです。
僕自身はこの本を時々読み返しながら軌道修正していこうかな、と考えています。

 仮に、相手が、素直に読み直したとしよう。
 しかし、読めばわかることが読めていない、ということは、相手は、文章をよく読む習慣がないか、思い込みで文章を読んでしまうか、とにかく「読解力」に問題がある可能性が高い。読解力によって生じた問題を、相手にもう一度読ませること、つまり、相手の読解力に頼るカタチで解決しようとするのは、得策だろうか?
 読み直したとしても、また、別の部分を誤解し、別の部分につっかかってくるかもしれないのだ。
 百歩ゆずって、相手が読み返し、自分の不注意に気づいたとしよう。そこで相手の非が明らかになる。正しい指摘は、相手の自尊心を傷つける。あれだけ苦情をぶったあとなのだ。感情的な抵抗もあって、相手はやはり、会社に対して好印象は持たないだろう。
「ちゃんと読め」「ちゃんと聞け」では、なかなか問題が解決しないのは、こういう理由だ。

ちなみに、こういう状況に対してのひとつの解決法として、山田ズーニーさんは、

 (相手に自分の返信を「読んで」もらうためには)共感できることを(返信の)メールの冒頭に置いてみたらいいといっているのだ。共感できることは、本当にないか。
 もう一度、「この人が本当に言おうとしていることはどういうことか」をつかむ気持ちで、相手のメールをじっくり読んでみよう。そう。「相手にもう一度読め」ではなく、「自分の方がもう一度読む」のだ。想像力を働かせて相手の思考、想いに、いったん沿ってみよう。
 嫌だろうけど、わかるけれど、「相手の読解力に頼る」より、「自分の読解力に頼る」方が確実だ。

 本当は、ネットで延々と揚げ足取りあっている人たちに、ぜひ一度この本を読んでみてもらいたいんだけどなあ。

(再掲終わり)

 僕は仕事上、どうしても「伝わらない人に伝えなければならない状況」というのがあるんです。
 「医者の言うことはわからない!」としばしば槍玉に挙げられるのですが、僕たちからすると、「どんな人にもわかるように説明する」というのは本当に至難の業なんですよ。
 たとえば、「肝臓に腫瘍ができているんですが……」というような説明をしなければならないとき、「で、肝臓ってどこにあるの?ひとつ、ふたつ?全部取っちゃっても平気?」みたい反応が返ってくることって、けっして少なくはないのです。
 そこで、肝臓というのは、身体のこの場所にあって、こういう構造をしていて……と「理科」の授業をはじめると、それこそ半日かかってしまいます。一生懸命説明しても、反応は「で、悪性腫瘍っていうのは、『癌』じゃないんだよな、よかったよかった」だったりすることもありますし。「自分たちの身体のことなんだから、もうちょっと予習してきてくれればいいのに……」とボヤきたくもなるのですが、それでも、「医者には説明義務がある」のです。「相手が不勉強だから切り捨てる」というのは許されません。

 でもまあ、実際は、本当に「理解してもらえている」と感じることのほうが少ないくらいなんですよね。そういうのって、たぶん車の性能を説明するディーラーの人とか、学校の先生とかもそうなんだろうとは思うんですけど。

 それでも、そういうふうにして話をすることのメリットというのは、確実に存在するのです。
 多くの患者さんや家族は、「話の内容があまりわからなくても、話している相手を受け入れられれば、手術や治療をすることに同意してくれる」のです(もちろん、患者さん側には、他の選択肢そのものが考えにくい、という事情もあります)。そして、受け入れてもらうために大事なことというのは、実は「流暢に話をすること」よりも「相手の不安や疑問にちゃんと答えるという姿勢を示すこと」なんですよね。
 人は、「言葉の正しさ」よりも「人間」を信用しがちな生き物だし、嫌いな人の言葉は、内容なんて関係なく「間違っている」と判断する人もけっこう多いのです(残念ながら、僕にもその傾向があります)。

 当たり前のことなのですが、人は、「自分の話を聞いてくれる人」の話は、「自分も聞いてあげようと思う」。
 逆に、「聴く耳を持たない人」に対して、何かを伝えようとする人はどんどんいなくなっていきます。

 僕は基本的にネットで何かを書くときには、「伝わる人にだけ伝わればいい」と思っていますし、極端な話、読んでくれた1000人のうち1人でも「そこまで言うなら、俺もブログやってみようかな」という気持ちになってくれれば十分なのです。
 「すべての人を説得する」なんて無理なのはわかってるしね。
 マザー・テレサでも、ガンジーでもダメだったのだから。

 しかしながら、こうやってここで文章を書いていると、「自分を守るために」どんどん独善的になってしまうな、とも感じています。
 本当にすべてを「受け入れよう」とすれば、僕は確実に壊れてしまうでしょうから。

 コミュニケーションって、本当に難しいですね。

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