琥珀色の戯言

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日本を捨てた男たち ☆☆☆☆


日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」

日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」

【梗概】
 居場所を失った祖国日本を捨て、彼らはフィリピンへ飛んだ。だが、待っていたのは無一文のホームレス生活。海外で困窮状態に陥った日本人を俗に「困窮邦人」と呼ぶ。現在も在フィリピン日本大使館にはこの困窮邦人が次々と駆け込み、援助を求めている。家族に送金を頼み込むも拒否され、帰りの航空運賃や査証不備による不法滞在の罰金を工面できず、異国の地で路頭に迷う日々に。中には命を落としてしまう人もいる。
 日本の外務省によると、在外公館に駆け込む困窮邦人数が最も多い国はフィリピンである。2001年から直近の統計がある09年まで年間100〜200人の間を推移し、9年連続最多を記録している。フィリピンから見れば「金持ち」の国、日本から来た人がホームレスに陥る皮肉な現実。日刊マニラ新聞で働き始めて5年、私はある老人と出会ったことをきっかけに、困窮邦人の取材を始めた。入国管理局の収容施設で見た、老人の図太く生きる姿。同じ日本人として、異国の地でまったく異なる環境に生きるその姿に、正直驚いた。
 この社会現象の発端は、80年代から日本各地でフィリピンクラブが一世を風靡したことにある。独身、派遣労働、安月給、借金地獄……。うだつの上がらない人生を送り続けた男性が、偶然入った一軒の店。目の前に現れた陽気で若い女性たちの虜になり、その日からとりつかれたように店に通う。そして女性を追い掛けてフィリピンへ。だが、所持金をすべて使い果たしてしまい、女性一家からも見捨てられた。挙げ句の果てには教会や路上で寝泊まり生活を続け、近隣のフィリピン人住民に食事を分けてもらい、生き延びている。


面白いノンフィクションでした。
面白がってはいけない話ではあるのでしょうけど……

 午前4時半、早朝を告げるコーランがバクララン教会の周辺から聞こえてくる。教会の前を通るロハス大通りの向かいに建つ、寂れたモスクからだろうか。
 吉田(仮名)1日は、教会内にある公衆トイレの場所を確保することから始まる。コーランが流れてしばらくした後、毎朝5時半ごろにトイレが開くのを並んで待つ。順番が遅くなると、吉田と同じ路上生活者の痰や小便で床などが汚れてしまうため、前夜に掃除が終了し、夜風で床が乾いた後のきれいな状態で使いたいのだという。長引く教会生活で自然に身に付けた知恵なのだろう。
「パチンコ屋の開店の時と同じでトイレの前は行列になる。個室に入ると、ひでえ奴は上からのぞいてくる。だからきょろきょろしながらやる。トイレットペーパーなんてここに来て1回も使ったことない」
 用を足して6時ぐらいになると、教会から歩いて5分ほどのところにある民家へ向かう。ベニヤ板で作った掘っ立て小屋がひしめく細い路地を通過すると、薄緑色に塗られたコンクリート造りの民家に着く。吉田が「お母さん」と慕う小太りのフィリピン人の中年女性はそこに住んでいた。彼女は教会の前で、野菜やゆで卵の揚げ物、ソフトドリンクなどを販売する露店の経営者。体格のせいか、堂々と構えているように見え、たれ目の顔は少し漫画キャラクターを思わせる風貌だ。民家の前にはハエが飛び交い、壁際にはゴキブリが潜むという、貧困地区のありふれた光景が広がっていた。
 私がその民家を訪れたある朝、吉田はほうきを手に黙々と路上を掃いていた。周辺に建つ1軒の民家からはポップミュージックが大音量で流れてくる。掃除が終わると、商売用の台車をデッキブラシと洗濯石けんを使って丁寧に洗い、腰を曲げたまま黙って手を動かす。実に真面目によく働いていた。
 前日売れ残ったゆで卵の揚げ物は、衣をはがしてもう一度使う。揚げ物用の野菜を包丁で刻んだりするのも吉田の仕事だった。こうして毎日、正午ごろまで働き、台車をバクララン教会前の所定の場所まで運んできたところで1日の仕事が終了する。朝と昼は彼女の自宅で食べさせてもらい、日当20ペソ(約40円)ほどを受け取る。その日の朝食は、焼き魚と目玉焼き、それに炊きたての白いご飯。鍋からご飯をよそった吉田は、女性の家族に囲まれてテーブルに座り、手づかみで食べ始めた。
「ご飯食べさせてもらったあげく、全部面倒見てもらうのはいかん。至れり尽くせりはまずいなあ。遠慮して、教会で寝泊まりするほうが気を遣わんでいい。ホントいつも助けてくれるでね。お母さんは神様みたいな人。おかげでこうやってやっとれるでね。最低限の生活、たばこ、仕事も手伝わせてもらえるでありがたい。
 仕事が終わって午後になると、教会周辺を散歩するなどして時間を過ごし、夜になると教会の長椅子に戻って眠りにつく。最低限かもしれないが、生き延びることはできていた。だが、日本行きの航空券を購入する現金を持っていないために、帰国はできない。おまけにビザの延長手続きも金銭的にできなかったため、半年近くも不法滞在状態に置かれていた。

僕はこの「困窮邦人」の問題については全く知らなかったのですが、この本を読んでいると、「なぜその問題がマスコミで大きく採りあげられないのか」もわかるような気がしました。
「困窮邦人」が最も多い国が、「日本よりも貧しく、女性が水商売で出稼ぎに来ている国」であるフィリピンだったというのは意外だったんですよね。

 日本外務省の海外法人援護統計によると、2010年に在外公館に駆け込んで援助を求めた困窮邦人の総数は768人。中でもフィリピンが332人と最も多く、2位のタイ92人を3倍以上引き離して独走状態にあり、2001年から10年連続で最多を記録している。数だけで言えば、フィリピンだけで全体の約43%と半数近くも占めていることになる。

ちなみに、3位はアメリカ、4位中国、5位が韓国なのだそうです。


なんで、フィリピンがこんなに「独走」しているのだろう?
「困窮邦人」には、「フィリピンパブで知り合った女性を追いかけてきてフィリピンにやってきたものの、所持金が尽きて日本にも帰れなくなってしまった人」や「犯罪や借金で日本から脱出してきた人」がたくさんいるときいて、「そういうことか……」と合点がいったのです。
そういえば、最近では小向美奈子さんが「フィリピンに行っていた」という話もありましたね。
そういう背景を知ると、これはさすがに「自己責任」だろう……というのと、「とはいえ、ここまで他国で困窮している日本人を、そのままにしておいていいのだろうか……」というのと、その両方の気持ちが浮かんできます。
「対象に対して、感情移入しにくい」ために、この問題はあまり大きく報じられないのかもしれません。
だって、「フィリピンクラブで出会った若い女を追いかけてフィリピンにやってきて、いいところを見せようと援助しまくっていたらお金がなくなり、相手にも捨てられた」なんて人が「困ったから助けてくれ」と日本大使館に駆け込んできたとしても、「税金でそんな連中を助けるのか!」って言いたくもなりますよね。
実際、日本大使館もこの問題には苦慮していて、そう簡単には日本に帰らせてはくれないようです(犯罪や借金などで「帰れない」人もいるのですが)。
基本的には、日本の家族や知人に連絡をとって、援助してくれないか頼むのが大使館のやりかたで、よほど特殊な事情がなければ、日本への飛行機代を貸してもくれません。
フィリピンで生活していると、日本行の飛行機代を稼ぐのは大変なことですし、そもそも、それで日本に帰ったとしても、そこから先の展望が何もない。
ちなみに、日本の親族に連絡をとっても「いままでさんざん迷惑をかけられてきた」「自分たちも余裕がない」「むしろ帰ってきてほしくない」などと、断られる場合が多いとのことです。
最初のほうで引用した「吉田さん」の生活ぶりをみると、僕はつい、「日本で、いまのフィリピンの生活と同じくらい『生きるための労働』に立ち向かっていたら……」とか、考えてしまうのですけど。


「フィリピンクラブでハマって……」というような話を聞くと、「バッカじゃねえの?」と言いたくなるのですが、そこに至るまでの彼らの人生を知ってみると、むしろ、「そんなに特別じゃない」ような気もするのです。
「不器用で真面目な人生をおくってきた『遊び慣れしていない人間』が、一度フィリピンの人たちの『底なしの(ように見える)陽気さ』に触れてしまうと、人生観がガラリと変わってしまう」
そして、いまの日本では、「貧しくても、周囲の人たちと助け合って、気楽に生きる」というのが、なかなか難しくなってしまっている。
でもまあ、そういう「濃厚な人間関係」=「理想的」ではないと僕は思うし、「やっぱりお金が必要」だから、フィリピンの人も、日本に「出稼ぎ」に来なければならない、というのも事実です。

 メリンダさんは続けた。
「私たちのような貧しい人は、自分たちがつらい経験をしたら、同じ経験をさせたくないと思います。金持ちには、貧しい人の状況を理解することはできない。わたしたちは、同じ状況の人々をよく理解している。困った人に手をさしのべるのは私たちの国民性。だから、彼にはテーブルにある物は食べてもらっていいし、石けんやシャンプー、たばこぐらいはあげてもいい」
貧困層は食べ物を分け合う」「手を差し伸べるのは私たちの文化」。おそらく2人のこの発言はフィリピン国民、特に貧困層に当てはまる共通の価値観なのだろう。


 フィリピンで生活している私自身も、住んでいるアパートの警備員や近所の住民が食事をしているところに出くわすと、必ずと言っていいほど「一緒に食べよう」「ご飯食べた?」と声を掛けられる。
 彼らはみんなで食べる。1人で食べるのではない。たとえ小さなパンでもみんなで分け合って食べる。その心が困った人々には温かく感じられるのだろう。

しかし、まだまだ世界のなかでも「豊かな国」である日本から「自己責任」でやってきて、困窮している人たちを、何の縁もゆかりもないフィリピン人たちが「援助」しているというのも、なんだか不思議な話ですね。
この本を読むと、フィリピン人の側にも「キリスト教に信仰に基づく善意」とともに、「外国人だから、そして、豊かな国から来た人なのに、こんなになって……という特別視」はあるようです。
皮肉な言い方をすれば、「困っている日本人を援助する」というのは、フィリピンの人にとっては、自国の困窮している人たちを援助するよりも「優越感」を抱きやすいという面もある。

「日本人は冷たすぎるね。その人が悪い、じゃあ、その後はどうしますか? 自分で悪い分かってるよ。それで終わりですか。その後(どうするか)の問題ですね」
 つたない日本語で話す女性は、夫が日本人で、自分も東京で数年間生活した経験があるため、日本語はある程度理解できた。さらに英語で話を続けた。
「フィリピン人は家族のことになると温かい。何が起きようとも、家族は助け合う。でも日本人の場合は、自立心を求められるが故に周囲に助けを求められない。助けるのは何も金銭面だけじゃなく、話に耳を傾けることが大事よ」


この本では、著者が、取材者の「ウソ」をきちんと確認しているのが印象的でした。
この本に出てくる「困窮者」たちの多くは、いままでの自分の人生や学歴などで、ウソばかりついている。
そして、取材者に対しても、すぐに「カネかして」「ご飯食べさせて」と依存してくる。
日本国内にも、「援助すべき人」がたくさんいるなかで、彼らへの援助の優先順位が低くなるのは致し方ない気はします。
でも、「フィリピンの人たちの善意に任せている状態」が健全であるとも思えないし、本当に難しい。


「感動のノンフィクション」じゃなくて、取材者自身も取材しながら、取材対象の「どうしようもなさ」に困惑しているのが伝わってきて、すごくリアリティのある本です。
「かわいそうとは思えないのだけれど、このままでは、どうしようもなくなってしまっている人たち」に対して、人は、政治は、どう対応していけばいいのか……

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