琥珀色の戯言

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【読書感想】タモリ論 ☆☆☆☆


タモリ論 (新潮新書)

タモリ論 (新潮新書)

内容紹介
タモリが狂わないのは、自分にも他人にも何ひとつ期待をしていないから」(『さらば雑司ヶ谷』より)


小説デビュー作に忍び込ませた「タモリ・エピソード」が話題となった作家・樋口毅宏が、積年の愛を込めて、その狂気と神髄に迫る。


タモリの本当の〈凄さ〉って何だろう――。
なぜ30年以上も毎日、生放送の司会を超然と続けられるのか? サングラスの奥には、人知れぬ孤独や絶望が隠されているのだろうか?


小説デビュー作でタモリへの愛を告白した作家が、秘蔵の「タモリうんちく」を駆使して、その謎めいた正体に迫る。伝説やエピソード、私的「笑っていいとも! 」名場面など、読めばタモリ観″が一変する、革命的芸人論。


内容(「BOOK」データベースより)
タモリの本当の“凄さ”って何だろう。なぜ三十年以上も毎日生放送の司会を超然と続けられるのか。サングラスの奥に隠された孤独や絶望とは―。デビュー作でその愛を告白した小説家が、秘蔵の「タモリうんちく」を駆使して、この男の狂気と神髄に迫る。出生や私生活にまつわる伝説、私的「笑っていいとも!」名場面、ビートたけし明石家さんまとの比較等、読めばあなたの“タモリ観”が一変する、革命的芸人論!


作家・樋口毅宏さんによる「タモリ論」。
『笑っていいとも』の懐かしい&興味深いエピソードや、実際に『笑っていいとも』を観覧したときのレポートなど、読み物としてはなかなか楽しめました。
ただ、この新書を読んでいると、「タモリという芸人について語ることの難しさ」みたいなものを痛感してしまうのもまた事実。
タイトルが『タモリ論』ですから、192ページのほとんどがタモリさんの話なのかと思いきや、著者自身の小説の紹介や、ビートたけし明石家さんま論にかなりのページが割かれており(たけし論、さんま論が、それぞれ1章ずつありますから)、肝心のタモリさんの話は「昔の『いいとも』で、こんなことがあった」とか「タモリさんが出演していた番組で感じたこと」などがほとんどで、「結局、タモリの本質は何か?」というところには、切り込めていないような感じがします。
著者が大好きなタモリさんの話を、一緒にお酒でも飲みながら聞いている。そんな雰囲気です。


これを読んでいると、「もしかしたら、『タモリを語る』というのは、たけし、さんまを語ることによって、その『タモリとの異質性』を浮き彫りにしていくしかないのだろうか?」とも思えてくるんですよね。
僕自身にとっての基本的なタモリ像というのは、物心つくかつかないかのときに観た「イグアナ」だったり、「怪しげな中国語会話」だったり、「タモリオールナイトニッポン」だったりするのですけど、司会業中心になってからのタモリさんというのは、あまり「自分の芸」みたいなものを露にすることはありませんでした。
タモリ倶楽部』はさておき、『ボキャブラ天国』や『トリビアの泉』など、「タモリさんが司会じゃなくても良いんじゃない?」なんて思ってもいました。


それにしても、『いいとも』のタモリさんってすごいですよね。
人気を保つこともすごいのだけれども、30年も飽きずに続けていることがいちばんすごい。

 久米宏は「ニュースステーション」に出演していた頃、毎年8月は3週間のバケーションを取るなど十分な休暇を取っていたけれども、「昨日を見分けのつかない、終わりのない日常」に疲弊して降板した。対してタモリは、95年まで夏休みを取っていたけど、それ以降はなし。休んだのは船舶免許取得と、ゴルフボールが直撃したときと、白内障の手術を含めた人間ドックの3回だけ。どうかしています。
 お昼の生放送に出演するというのは、長年連れ添ってくれた夫人と海外旅行ができないどころか、平日に休んだり三連休という、コンビニのバイトでさえできることを放棄してしまっている。一生使いきれない金があるにもかかわらず、そこらの学生やプータローより自由が利かない。タモリはそんな自分を冷ややかに見ているはず。
「俺、他人から見たら人生の成功者に見えるかもしれないけど、実のところどうなんだろう?」って。
 だけどタモリはきょうも「いいとも!」に出ている。昨日どころか、十年前と同じ表情で、他者だけでなく自分のことまで笑いながら。

終戦の年(1945年)生まれのタモリさんにとって、毎日のお昼の生放送っていうのは、けっこうハードじゃないかと思うんですよ、たしかに。
ところが、こうして言われてみるまで、「タモリさんは飽きているのではないか?」なんて考えたことがなかった自分にも驚きました。
そもそも、「飽きる以前に、もともとそんなに楽しんでやっているように見えない」のに、30年。
僕の記憶では、タモリさんが心底楽しそうにしている姿って、『ジャングルTVタモリの法則〜』で料理をつくっていたときくらいしかないんですよね。


この本で、あの赤塚不二夫さんへの弔辞の全文を読み返してみて、やっぱり凄いな、とも思いました。
タモリさんは、赤塚不二夫さんの人となりを、こんなエピソードで語っています。

 赤塚先生は、本当に優しい方です。シャイな方です。
 麻雀をするときも、相手のふりこみで上がると、相手が機嫌を悪くするのをおそれて、ツモでしか上がりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。

このひとつの部分だけでも、赤塚不二夫という人が優しい人で、他人を傷つけること、そして、他人から嫌われるのを怖れる繊細さを持っていたことがわかります。それでも麻雀につきあってしまう寂しがりやの一面も。
この本を読んでいると、タモリさんというのは、こういう「本質の切り出し方」がものすごくうまい人なのだなあ、と痛感させられます。
それこそが、「何がすごいのかわかりにくいけれど、他の誰にも真似できないタモリさんの能力」なのかもしれません。


著者は、こんなふうに書いています。

笑っていいとも!」は、不死鳥のごとくまた甦ると信じています。
 だけど一方で、こうも思うのです。
笑っていいとも!」が最終回を迎えた後(「Mステ」や「タモリ倶楽部」など、他の番組は続けつつも)、「芸人・タモリ」は、ようやく「人間・タモリ」に戻ることができるのだと。

 僕は「いいとも!」で見せる「昼の顔」ではない「芸人・タモリ」が好きですし、「いいとも」が無くなれば、「もっとタモリさんが本当にやりたいことができるのでは?」なんて考えていたのです。


「いいとも!」のテレフォンショッキングに徳光和夫さんが出演したときの話。

 興味深かったのは、徳さんの次の発言でした。
 今でこそ「いいとも!」は放送から三十年になる。しかし始まった直後は、タモリさんがお昼の番組の司会をやるというのは、エガちゃん(江頭2:50)がやるようなものだったと。
 観客から、えーっの声が飛ぶ。
 よく覚えています。タモリは今でいうキワモノ扱いでした。それがなぜここまで国民的タレントに上り詰めたのか? たとえて言うなら、江頭2:50)が森繁久彌になるようなものです。あまりに大きな謎でした。

著者は僕と同世代なのですが、僕もこれを読んでいて思いだしました。
タモリがお昼の番組の司会なんて、だいじょうぶなの?(視聴者層的にも、放送コード的にも)」と、当時は僕も感じていたんだよなあ。
それがまさか、30年以上も続くなんて。


著者は、吉田修一さんの『パレード』という小説の、冒頭の文章を引用しています。

「笑っていいとも」ってやっぱりすごいと私は思う。一時間も見ていたのに、テレビを消した途端、誰が何を喋り、何をやっていたのか、まったく思い出せなくなってしまう。「身にならない」っていうのは、きっとこういうことなんだ。

これまでの「お昼の番組」、そして、現在、『笑っていいとも!』を脅かしている各局のお昼の番組は、食べものの話とか、事件や芸能ニュースなどの「役に立ちそうな情報」を中心としたものでした。
ところが、『いいとも!』は、観ても安くて美味しい回転寿司の店を知ることはできないし、最新芸能ニュースに詳しくもなれません。
こんな「身にならない」番組を長い間続けるというのは、「ありえないこと」ですよね。

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