琥珀色の戯言

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【読書感想】バカ論 ☆☆☆☆

バカ論 (新潮新書)

バカ論 (新潮新書)


Kindle版もあります。

バカ論(新潮新書)

バカ論(新潮新書)

内容(「BOOK」データベースより)
相変わらずバカがのさばる世の中だけど、これ以上、黙って見ているのはゴメンだね―。「男女の関係はあったのか?」なんて間抜けなことを聞く芸能レポーター、「この責任をどう取るつもりか」と偉そうに語るコメンテイター、「やりたい仕事が見つからない」と口先で嘆くだけの若者…。迷惑なバカから笑えるバカ、愛すべきバカまで、バカを肴に芸論や人生論を語り尽くす。原点回帰の毒舌全開、ビートたけしの「バカ論」!


 ビートたけしさんの著書、というか、たぶん聞き書きだと思うのですが、たけしさんがいろんな「バカ」をメッタ斬りしていくところは痛快ながらも、まあ、そんなに目新しい話でもないな、という気がしました。
 なんのかんの言っても、たけしさんも、もう70歳。
 現役で大活躍されているとはいえ、ちょっと古い考えなのでは、と感じるところもありますし、周りも、あまりにも大物過ぎて、遠慮してしまうところもあるのではないかと。

 (「一応総活躍社会」なんてうたいながら)それで今度は「働き方改革」だから参っちゃうね。一体、「もっと働け、活躍しろ」ということなのか、それとも「あまり無理をせずに、もっと休みましょう」ということなのか、どうもやりたいことがよくわからない。
 ブラック企業が問題になったり、電通の新入社員が「過労死」したりして、残業や待遇など労働環境をあらためましょう、というのが「働き方改革」。 
 でも所詮、絵に描いた餅に過ぎない。
 そのために役人が考えたのが、「月末の金曜日は仕事を早く切り上げよう」という「プレミアムフライデー」とか、休暇を分散しようという「キッズウィーク」とか、わけのわからないものばかり。やっぱり役人はズレているとしか言いようがない。
プレミアムフライデー」なんて、もっともらしい横文字を使っているけれど、要は仕事を切り上げて、その分、財布の紐を緩めて金を遣わせようという魂胆だろう。飲食業界や旅行業界が、もっともらしい理屈を作って、役人と結託して考えたとしか思えない。
「もっと休みましょう。もっと遊びましょう」とか、余計なお世話だ。いくらそんな号令をかけても、貧乏人は貧乏人のまま。休みが増えてしまったら、より貧乏になるだけ。なんで「もっと働かせろ。俺たちも活躍したいんだ」というデモが起きないのか、不思議でならない。
 それなのに、新橋あたりで夕方から飲んでるサラリーマンを捕まえて、「プレミアムフライデー最高!」なんてニュースでやっているけど、バカ言ってんじゃないよ。そのビールを運んでいる奴は、ヒーヒー言って働いてるわけでさ。


 この「プラミアムフライデーって言っても、人が『遊ぶ』ためには、その遊び場で仕事をする人が必要になる」っていうのは、たしかにそうだと思うんですよ。
 ただ、この本を読んでいると、たけしさんというのは、ずっと仕事や勉強や遊びに没頭し、1日3時間くらいしか寝なくても平気、という人みたいで、ナポレオンみたいなワーカホリックというか、大部分の人と「時間の使い方」とか「疲れ」の感覚が違う人なのだということがわかります。
 だから、たけしさん基準での「働きかた」を受け入れられる人のほうが少数派なんですよね、たぶん。
 

 この本を読んでいて面白かったのは、たけしさんが「バカ」に毒舌を浴びせる部分よりも、人生相談や思い出話などで、「素に近い面」がにじみ出ているところでした。

 最近は弟子になりたい。芸人になりたいという奴とあまり話す機会も少なくなったけど、それでもたまに「どうしたら漫才師になれますか?」なんて聞かれることがある。
 バカ言ってんじゃない。
 漫才師になるために金を払って学校に入る奴もいるけど、おいらの場合は、流れ着いたところがたまたま芸人だったというだけ。結果的に漫才師になっただけで、なろうと思ってなったわけじゃない。
 大学の機械工学科でレーザーの研究をやろうと考えていた男が、なんで漫才師になったのか--それをまともに説明できる理由なんか、いくら考えてもないんだ。
 挫折して挫折して、折れて折れて、辿り着いたのが浅草で、そこで偶然漫才師になった。おいらはそうやって流れ着いたけど、時代も状況も文脈も違う奴らに「どうすればなれますか?」と聞かれても、答えようがない。


 これって、真摯な答えだと思うんですよ。
 「どうしたらなれますか?」って、芸能の世界には、資格や入社試験があるわけではない。
 たけしさんが、こんなふうに自身で、大学をドロップアウトしてから、浅草フランス座を経由し、漫才師になるまでのことを自分で語るのことって、あんまりなかったような気がするんですよ。
 それぞれの瞬間には、それなりの「理由」があったのだとは思うけれど、「偶然」そうなってしまった、というのが事実なのでしょう。
 もともと、「大学の機械工学科でレーザーの研究をやるつもり」だったのか、たけしさん。


 たけしさんからみた、タモリさんや鶴瓶さん、そして、明石家さんまさんというのも書かれているんですよ。
 ここまで率直に、他の大物芸人のことを語るのか、と驚きました。

 さんまは、しゃべりの天才。
 それはもう突出した才能がある。テレビでトークさせたら、右に出る者はいないんじゃないか。反射神経と言葉の選択のセンスは凄い。
 ただ、いかんせん教養がない。
 そこが限界かもしれない、と思ったりもする。
 バラエティ番組の中で、素人でも誰でもどんな相手だろうときちんと面白くする。けれど、相手が科学者や専門家の場合、結局自分の得意なゾーンに引き込んでいくことはできるし、そこで笑いは取れる。でも、相手の土俵には立たないというか、アカデミックな話はほとんどできない。男と女が好いた惚れたとか、飯がウマいマズいとか、実生活に基づいた話はバツグンにうまいけど。
 トークに関して大天才なのは認める。けれど、例えば数学者と話す場合、その笑いのキーがどこにあるのかわからない。数学者の外見や私生活、奥さんの話を突っ込んで、そこから話を膨らませるのは上手いけど、数学そのものの話はできないから。これでもっと教養があればと、惜しいと思う時がある。
 だからさんまは、”教養なき天才”ということ。


 ”教養なき天才”か……
 悪口を言っているのか、「教養」がどうしても気になってしまう、たけしさん自身と比較して、さんまさんの潔さと「天才」ぶりに、憧れのような、複雑な感情を抱いているのか……
 さんまさんの場合は「自分の笑いのなかから、徹底的に”教養”を排除している」ことが、強みでもあるのですが、たけしさんは、ちょっともったいない、と思ってもいるようです。
 この数学者の例は、本当にうまい説明だよなあ。


 どちらかというとタイトルにある「バカ」についての話よりも、この新書の端々に出てくる、ビートたけしという人の人生観や他者への評価軸のほうが、僕には興味深いものでした。
 基本的には、読んで感心する、とかすごく役に立つ、というよりは、たけしさんの「話芸」を愉しめば良いと思うんですけどね。

 モノマネ芸人が、「本人より似ている」と言われるのと同じで、本物よりコピー商品の方が好まれる時代なんだろうか。エルメスだって、辞めた職人がコピーを作っているところもあって、そっちの方が本物より質がいいらしい。
 笑ったのは、昔「元気が出るテレビ!!」のTシャツを売り出した時のこと。偽物が出回って、それにプレミアが付いちゃったから、慌てて「本物と偽物の見分け方」というのを伝えたらしいけど、「本物は、洗濯すると柄が落ちます」だって。
 本物のほうがセコいってどういうことだ。「偽物はいくら洗っても、色落ちすることもありません」だって、バカ野郎。


 こういう部分を読むと、たけしさんの声と口調で、自然に再生されてしまうのですから、やっぱり、ビートたけしはすごいな。



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