琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

【読書感想】仮面ライダー青春譜 ☆☆☆☆☆


内容説明
1960-70年代。マンガというメディア自体が「青春期」をむかえていたあの頃。
1950年に生まれ、月刊少年マンガ誌ブーム、貸本マンガブームと、マンガとともに育ち、
上京後はアシスタント、マンガ編集者を経て、石森プロに所属。
石ノ森章太郎が「唯一の弟子」と認めたマンガ家、すがやみつるが綴る、熱い、熱い「あの頃」。
ジョージ秋山をはじめ、松本零士本宮ひろ志、そして石ノ森章太郎など時代を代表するマンガ家たちとともに過ごした青春期。


著者について
すがや みつる (スガヤ ミツル)
漫画家、小説家。
1950年・静岡県生まれ。本名・菅谷充
高校在学中に石ノ森章太郎が名誉会長を務めるマンガ研究会「ミュータントプロ」に参加。アシスタント、編集者を経験した後、石森プロに入り、1971年『仮面ライダー』でデビュー。1978年連載の『ゲームセンターあらし』は小中学生を中心に爆発的な人気となった。
2011年3月に早稲田大学大学院人間科学研究科修士課程を修了し、4月から早稲田大学人間科学部eスクールの教育コーチを務める。
主な漫画作品に『仮面ライダー』シリーズ、『ゲームセンターあらし』、『こんにちはマイコン』など多数あるほか、『反世界大戦─双龍の海戦』(有楽出版社)をはじめとした小説、実用書でも著書多数。

僕が小学生の頃、『コロコロコミック』で連載されていた『ゲームセンターあらし』は、絶大な人気を誇っていました。
それまでのマンガの主人公は、スポーツマンだったり、ケンカが強くて男らしかったり、アウトドア系ばかりだったのですが、「あらし」は、「インドア系の遊びでも、ヒーローになれる」ことを教えてくれました。


僕もゲームセンターで、「炎のコマごっこ」をやっては、即座にインベーダーのミサイルにやられていたものです。
「手の動きがコンピューターの処理速度を超えた!」って、当時の機械でもそんなことできっこないし、万が一それが可能でも、こちらに都合が良いようなバグが出てくれるとは限らないんですけどね、今から考えてみると。


この本、すがや先生が自らの少年時代からマンガ家になるまでの半生を、恩師・石ノ森章太郎先生との思い出を軸に描いたものです。
(「描いた」と書きましたが、中身はマンガじゃなくてノンフィクションです。念のため)


これを読んでいて驚くのは、すがや先生が「理系マンガ家」だったことでした。
とにかく記録・記憶が正確・緻密で、当時の資料もきちんと残されています。
 そして、「あのキラ星のような天才マンガ家たちのなかで、自分がどうマンガ家として生き抜いてきたか」という生存戦略も余すところなく書いておられるのです。


こういう「成功した人の話」って、「一生懸命がんばった!」「周りの人の助けのおかげ!」というような一般論や精神論で済まされがちなのですけど、すがや先生の率直さには頭が下がります。


すがや先生が、高校卒業後上京し、マンガ修行をしていた頃の話です。

 鈴木プロは、「少年キング」や「COM」の編集者としてマンガ界では名前が知れていた鈴木清澄さんが、虫プロ商事を退職して設立したマンガ専門編集プロダクションだった。鈴木さんには、「墨汁三滴」の仲間といっしょに「COM」の編集部を訪ねたときに会っていた。一年前、高三の夏休みのことだ。
 鈴木さんは、「墨汁三滴」に描かれたぼくのマンガを見て、「若さがないなあ……」と、つまらなそうな顔でいったことがあった。ぼくのマンガが、ロケットやらロボットが出てくる娯楽作品だったからだった。
「COM」や「ガロ」には、若い新人による多数の実験作が掲載されていたし、同人誌にも、やはり既成のマンガ作品とは一線を画すような意欲的な作品が収録されたいた。
 商業誌に掲載されている娯楽作品のできそこないのようなマンガを描くぼくは、ココロザシが低いと思われたらしい。
もっともぼくは、それでもかまわなかった。ぼくにとってマンガとは、とにかく生活するため、お金を稼ぐための手段でなくてはならなかったからだ。


すがや先生は、見習い編集者を経て、憧れの石森プロへ入ることになります。
そこで、「石ノ森章太郎の唯一の弟子」と言われるほど、かわいがられ、また、「マンガ家・石ノ森章太郎の凄さ」を思い知らされます。

 先生の自宅にチェックを受けにいくことも多かった。そんなときは先生のペン入れの手が空くまで待たなければならない。仕事場で編集者が待ち受けているからだ。
 ただ待っていてもしかたがないので、机に向かう先生の後ろに背後霊のように立ち、先生が、下絵を入れ、ペン入れをしていく様子を見つめていた。何か盗めるものがあれば盗んでやろうと思ったからである。
 先生も、ぼくの視線が気になってか、絵を入れながら、いま描いている最中のページのコマ割りや構図の製作意図を説明してくれた。どうしてこのようなコマ割りにしているのきあ、なぜこのような構図にしているか――といったことなどだ。
 青年誌と少年誌、あるいは幼児誌でのコマ割りや構図の違いと説明してくれたこともある。
 それは、中学生のときにぼくをマンガというハシカに感染させた『マンガ家入門』の内容を、あらためてマンツーマンで教えてもらっているようなものだった。「ひとり『マンガ家入門』」ともいえる状態で、まさに至福の時間である。ぼくは、うっとりしながら先生のアドバイスを聞いていた。
 後に石ノ森章太郎先生から、うちにはアシスタントがたくさんいたが、弟子といえるのは、すがや一人だけだ」とおっしゃっていただいたことがある。おそらく石ノ森先生も、背後霊のように張りついていたぼくとの会話が印象に残っていたのだろう。この言葉を聞いたとき、ぼくは、天にも昇る気持ちになったものだ。

これを読んでいると、すがや先生の「熱意」や「研究熱心さ」が、石ノ森先生を動かしたのかな、とも思えてくるのです。
教え上手と、教わり上手。
やっぱり、「教わり方」も大事ですよね。


そして、この本のなかで、すがや先生は、「マンガの技術」の話を、かなり詳細に書かれています。
「成功者の自叙伝」というよりは、「マンガの技術書」のように。

 石ノ森先生は、本当に「光と影のマンガ家」だった。
 ぼくも『ライダー』の最初の頃は、必死に先生の絵柄を真似ようとしていたものだ。
 しかし、先生の手直しを受けているうちに、あるいは実際に下絵を描き、ペン入れをする先生の仕事ぶりを見ているうちに、「石ノ森先生のマネなんて、できるわけがない」と確信した。石ノ森先生の絵は、光と影の描写以上に、そのペンの描線に特徴があったからである。
 先生は、下絵のときから線が走っている。クロッキーでも描くように、何本もの線を引き、そのうえでペン入れをするのだが、ペンの線は、下絵をなぞるわけではない。下絵の延長でもあるかのように、猛烈なスピードでペンを走らせるのだ。
 だからペンの線そのものに、スピード感と躍動感があった。
 子ども向けマンガの多くは、きっちりと下絵を入れ、その上を丁寧になぞるようにペンを入れる例が多い。少年誌に掲載されたマンガや劇画の絵には、力を入れたり、<止め>を入れることで、力感を出すものが多かった。
 しかし、石ノ森先生が引くペンの線は、絶えず走り、流れ、そして揺れていた。

こういうのは、まさに「プロだからこそわかる、超一流の凄さ」なのだろうと思います。
僕はマンガの技術のことはよくわからないけれど、この、すがや先生の文章を読んでいるだけで、「ああ、石ノ森章太郎というマンガ家は、本当に天才だったんだなあ」と感嘆してしまいました。


ひとつこの本で残念だったのは、石ノ森先生との時代のことを語る分量が多いため、すがや先生自身が『ゲームセンターあらし』で売れてからの仕事の話がやや駆け足になってしまっていることでした。
それでも、『あらし』についての、こんなエピソードを紹介されています。

 石森プロを卒業し、オリジナル作品を発表しつづけた後、『ゲームセンターあらし』を読み切りとして「コロコロコミック」に執筆することになったのは、1978年秋のことだった。
 そのときぼくは、担当編集者のHさんから、
「すがやさんのオリジナルマンガは、どれも主人公がおとなしすぎる。こんどのゲームマンガは、ぜひとも『仮面ライダー』のつもりで描いてほしい」
 という注意を受けた。
 ぼくのオリジナル作品は、ハンサム系の「いい子」の主人公が、まじめに行動するものが多く、派手さに欠けている――とHさんは、ぼくの作品の欠点を指摘した。
 その上に、「クライマックスでは主人公に空中回転をさせてほしい」という注文までつけたのだ。
 テレビゲームといえば、喫茶店やゲームセンターで椅子にすわってプレイするものだったから、この注文には抵抗があった。
 結局ぼくは、半分ヤケになって、『仮面ライダー』の新作みたいなつもりで『ゲームセンターあらし』を描いた。

『あらし』は、『仮面ライダー』だったのか!
出っ歯の仮面ライダーというのも、なんだか不思議な感じがしますけど、あの「必殺技」の出しかたなどは、たしかに『仮面ライダー』っぽい感じがします。
仮面ライダーのような運動神経が無い子ども』にとって、『あらし』は、もしかしたら自分がなれるかもしれないスーパーヒーローだったのですけど


その後、すがや先生は『マイコン入門』や『一番わかりやすい株入門』などの「大人向けの学習マンガ」を開拓していきます。
僕も『マイコン入門』を読んで、いつか自分のマイコンを持って、プログラミングをやって、自分のゲームをつくってみたい!と夢見ていた子どもだったんだよなあ。
すがや先生と石ノ森章太郎先生のあいだには、こんなエピソードもあったそうです。

 その後、石ノ森先生は、『マンガ日本経済入門』がベストセラーになり、この作品と『ホテル』で小学館漫画賞を受賞された。授賞式の後、石ノ森先生主催の感謝パーティに出かけると、お礼のスピーチをはじめた先生から、いきなりマイクの前に呼ばれた。
 なんだろうと思って先生の脇に立つと、
「大人向けの学習マンガを開拓したのは私というころになっていますが、実は、私の前に、この私の弟子のすがやみつるが先に手がけていた分野だったんです」
 と、集まったゲストに紹介してくださったのだ。
 しかも「何か一言話せ」と言われたのはいいが、突然のことにすっかりうろたえ、何を話したのか記憶にない。
 あとで石ノ森先生に、このときのお礼を言うと、「『大人向け学習マンガの開拓者』と紹介されるたびに、なんか居心地が悪くてな。それで、お前のことを紹介しておこうと思ったんだ」と笑いながら話してくれた。

石ノ森先生は、1998年1月にお亡くなりになられました。享年60歳の早すぎる死。
死後も、数々の作品は記録にも、みんなの記憶にも遺っています。
このすがや先生との話を読むと、石ノ森先生の、照れ屋で優しくて律儀な人柄がうかがえて、そういう人が描いたマンガを読んで育つことができてよかったな、なんて考えたりもするのです。


マンガ好きの人、『ゲームセンターあらし』や『マイコン入門』を読んで育った人、そして、「自分の好きな道で食べていくには、どうしたら良いか悩んでいる人」には、とくにオススメの一冊です。

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