琥珀色の戯言

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【読書感想】ピダハン ☆☆☆☆


ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

内容紹介
発売日: 2012/3/23
著者のピダハン研究を、認知科学者S・ピンカーは「パーティーに投げ込まれた爆弾」と評した。
ピダハンはアマゾンの奥地に暮らす少数民族
四〇〇人を割るという彼らの文化が、チョムスキー以来の言語学パラダイムである「言語本能」論を揺るがす論争を巻き起こしたという。


本書はピダハンの言語とユニークな認知世界を描きだす科学ノンフィクション。
それを三〇年がかりで調べた著者自身の奮闘ぶりも交え、ユーモアたっぷりに語られる。
驚きあり笑いありで読み進むうち、私たち自身に巣食う
西欧的な普遍幻想が根底から崩れはじめる。


 『本の雑誌』の年間ベスト10・第3位など、各地で大絶賛のこの『ピダハン』。
 けっして安い本ではないので、やや躊躇しましたが、思いきって購入して読んでみました。
 うん、たしかに面白い。
 ただ、僕はこの本に関して「すごいなー、面白いなあ!」って感じることができたのは、前半3分の2の、ピダハンの生活と考え方の部分、だったんですよね。
 いちばん読んでいて手に汗を握ったのは、最初にピダハンの村に行ったとき、著者の家族がマラリアで瀕死の重体となり、助けを求めるために著者家族がボートで町を目指すところでした。
 ああ、人間って、すごく優しくて、強くて、温かくて、そして脆い。

 
 キリスト教の布教が最大の目的だった、伝道師としてのトレーニングも十分に積んできたはずの著者も、家族の危機を目の当たりにすると、「神の御意志」だというようには悟れず、ひたすら家族を助けるために奮闘するのです。
 これは、あんまりピダハンとは関係のないエピソードのはずなのだけれど、いちばん読んでいて感動してしまいました。

 
 それにしても、「未知の言語を研究する」というのは、想像以上に難しいことなのだな、と、この本を読むと思い知らされます。
 そもそも、そんな「想像」をすることも僕にはあまりなかったのだけれども。
 「わからない言語」も、物体を指差したりとかするうちに、なんとなく通じてくるような感じがするじゃないですか、映画とかを観ていると。
 実際は、そんなに簡単なものじゃないみたいです。
 著者の場合は、「学者」であり、「聖書をピダハン語に翻訳する」という役目を持っているのでなおさらです。

 ピダハン語を習得する上で最も難しいのは、言語そのものよりも「単一言語」環境で学ばなければならないことだった。「単一言語」のフィールドというのは世界の様々な言語環境のなかでひじょうに珍しいことで、研究者は話者と一切共通言語をもたない。わたしがピダハン語を学びはじめたときがそうだった。彼らはポルトガル語や英語はおろか、ピダハン語以外のいかなる言語も話さない。ほんの二、三、言いまわしを知っている程度だ。だから彼らの言語を学ぶにはまず、彼らの言語を覚えなければならない。つまり堂々巡りというわけだ。別の言葉に置き換えてもらうとか、ピダハン語以外の言語で説明してもらうということができないのだ。こうした状況でも研究を進める手立てはある。当然ながらわたし自身も、苦労を重ねたおかげで自分なりにやり方を編みだしたが、単言語環境でのフィールド調査の手法は、わたしがピダハンに出会うずっと以前からすでに大方確立はされていた。
 とはいうものの、困難なことに変わりはない。

 ピダハンは、基本的に自分たちの文化の優越を信じている人たちで、わざわざ他の言語を習得しようとはしません。
 そんななかで、一方的に彼らの言語に「片思い」している立場の著者の苦労がしのばれます。
 しかし、こういう「単言語環境でのフィールド調査の手法が大方確立されている」ものなんですね。
 人間って、すごいなあ。
 大昔は、強い武器を持っている側が「無理矢理自分たちに合わせることを要求する」時代もあったのだろうけど、いまはそういうわけにはいきませんしね。

 ピダハンの言語と文化は、直接的な体験ではない事を話してはならないという文化の制約を受けているのだ。その制約とは、これまで深めてきた考えからすると、次のように要約できる。


 叙述的ピダハン言語の発話には、発話の時点に直結し、発話者自身、ないし発話者と同時期に生存していた第三者によって直に体験された事例に関する断言のみが含まれる。


 言い換えれば、ピダハンは自分たちが話している時間の範疇に収まりきることについてのみ言及し、それ以外の時間に関することは言及しない。だからといって、誰かが死んだらその誰かから聞いた話を全部忘れてしまうというわけではないのだが、それはめったに話題に上らなくなる。時折いまは死んでしまった誰かから聞いた話をしてくれることもあったが、それもひじょうにすぐれた言葉の先生役がごく稀に話してくれるにすぎない。言葉の教師として経験を積むと、主格で話すピダハン語の用法から離れ、客観的視点で話題について言及できるようになる者がいる。これはほかの言語をとっても、なかなかできるものではない。つまり、直接体験の原則は、時に例外はあっても稀で、日常的にはまず破られることがないのである。
 ということは、この言語では単純な現在形、過去形、未来形は用いられる。いずれも発話の時点と直接的な関係があるからだ。だがいわゆる完了形や断言にならない埋め込み文などは存在しない。


 ピダハンたちは、「伝承」を信じません。
 彼らが信じるのは「自分が実際に目にしたもの」そして、「目の前にいる人が、実際に見たと証言しているもの」まで。
 ですから、彼らは「神」を信じることができないのです。
 少なくとも、今生きている人間には「神」を実際に見たことがある人はいないのだから。
(そもそも、「神が見えるものなのか?」という議論はあるとしても)


 そして、著者の信仰も、ピダハンたちとの生活によって、揺らいでいきます。


 ピダハンは、こう問いかけてくるのです。
「なぜお前は、自分の目で見たことがなく、実際に見たという人すらいないものの『実在』を、信じられるのだ?」


 僕たちが「文明」だとか「聖なるもの」だと思っているものは、本当に「信じるに足るもの」なのか?
 もちろん、アマゾンで生活するという環境の影響は大きくて、ピダハンたちだって、都市で何世代か生活していけば、変わっていくのかもしれませんが……


 正直、後半3分の1の「ピダハンの言語」についての話は、僕には理解できたとは言い難かったです。
チョムスキー」という名前を耳にして、「ああ、あの人のことか」と、すぐ思いつくくらいの言語学の基礎知識がないと、読みこなすことは難しいのではないかなあ。
 言語学についての「わかりやすい本」も書いている著者なので、おそらく、前半は「ピダハン」に興味がある一般の人向けで、後半3分の1は、専門的な内容、ということで、区分けしているのだと思われます。
 ですから、後半3分の1の「ピダハンの言葉」に関しては、「専門にしている人以外は、理解することにこだわらなくてもいい」のでしょうし、前半3分の2だけでも、値段分の価値はある本ではあります。
 とはいえ、「目の前に自分で買った日本語の本があるんだけれど、理解困難である」という状況は、ちょっと悔しいものではありますね、うーむ。

 科学者として客観性はわたしが最も重んじる価値だ。かつてわたしは努力しさえすれば互いに世界を相手が見ているように見られるようになり、互いの世界観をもっとやすやすと尊重できるようになると考えていた。しかし、ピダハンから教えられたように、自分の先入観や文化、そして経験によって、環境をどう感知するかということさえも、異文化間で単純に比較できないほど違ってくる場合がありうるものなのだ。
 ピダハンたちは夜わたしの小屋から立ち去るとき、いろいろな言い方でお休みの挨拶をする。たんに「行くよ」と言うだけのこともある。けれども彼らがよく使う表現で、はじめは驚かされたもののわたしがすっかり気に入った言い方があって、それは「寝るなよ、ヘビがいるから」というものだ。こんな言い方をする理由はふたつある。ひとつには、彼らは睡眠を少なくすることで「自分たちを強くする」ことができると信じているのだ。強くなるのはピダハン共通の重大事なのである。ふたつめの理由は、彼らを取り巻くジャングルがそこらじゅう危険だらけで、ぐっすり眠り込むと村の周りにあふれている敵の攻撃に無防備になってしまうことだ。ピダハンたちは夜もかなりの時間、笑ったりおしゃべりしたりして過ごす。一度に長い時間続けて眠れない。夜、村が静まり返ることはめったにないし、数時間以上眠りつづけている者もほとんど見かけない。ピダハンにはじつに多くを教えられてきた。そしてわたしがとりわけ気に入っているのがこの教え――そう、人生は厳しく危険に満ちているものだ、時にはそのせいで、眠りを削られることもあるかもしれない。でも楽しむがいい。人生は続くのだ。

 この本を最後まで読んでいて驚いたのは、著者が「ピダハンたちと生活をしているうちに、神を信じられなくなってしまった」という告白でした。
 ピダハンの村にまでついてきてくれ、マラリアに罹患したときには命懸けで助けた家族だったのに、著者は「自分の理性」を選択したのです。
 そんな家族関係も、著者が「信仰を捨てる」ことによって破綻してしまうというのが、人生の理不尽というか虚しさというか。
 うーむ、「信じているふり」をして、過ごすわけには、いかなかったのか?
 そうできないのが「科学者」なのかなあ……


 けっこう僕には難しいところもあった本なのですが、「全部すぐに理解できて、さっさと読み終えられる本」を無感動にクリアしていくよりも、濃密な読書体験ができる一冊だと思います。

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