琥珀色の戯言

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【読書感想】中国人のこころ: 「ことば」からみる思考と感覚 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
中国嫁日記』作者・井上純一先生推薦!
中国人の考え方がわかるようになる一冊。


日本人「あなたたちは、いま何時だかわかっているのか!?」 中国人「……夜の2時半です」
日本人バスガイドさん「皆さま、お疲れ様でした」 中国人観光客「いえ、私は別に疲れていません……」

上記のような「噛み合わない」やり取りは、今日もまたどこかの日本人と中国人との間で交わされているに違いない。
それではなぜ、こうした誤解やすれ違いが生じてしまうことになるのだろうか?
その答えのカギは、日本語と中国語のそれぞれの「ことば」がもつ特質と、それぞれの発想法の違いにあるのだという。
本書は、30年以上にわたり中国語を研究してきた著者が「言語」を切り口にして、
日本との比較を行いながら中国人に特有の思考様式や価値観について分析・紹介した、思わず笑える知識が満載のユーモア溢れる言語文化論である。
グローバル化が進み、中国人との日々の接点が増えている現代日本人にとって、必読の一冊だ。


 中国人の観光客は、声が大きくてうるさい、とか、トイレの使い方が汚い、とかいう話を聞くことが、数年前まではよくありました。九州、とくに福岡には、中国から来る人がけっこう多いですし。
 仕事上も、中国から来た人は、自己主張が激しくて、こちらの都合を考えてくれない、というのを何度か耳にしてきました。

 ただ、最近は、お互いに慣れてきたのか、中国も先進国化してきた、ということなのか、マナーの面での批判というのは、そんなに聞かなくなってきたんですよね。


 この本、「使っていることば」の面から、中国人のものの考え方、そして、日本人との違いを分析する、というものです。
 新書だし、そんなに難しくはないと思い込んで読み始めたのですが、内容はけっこう本格的で、長年「ことば」を研究してきた著者が、さまざまな体験やデータ、経時的な変化に基づいて書いたものです。

 それだけに、中国語にあまり興味も予備知識もない、という人にとっては、かなり敷居が高いと思いますし、仕事や学校、日常生活で中国から来た人たちと接する機会が多い人にとっては、「こういう考え方が背景にあって、彼らはああいうものの言い方や行動をするのだな」と、腑に落ちるところが多いはずです。
 日本人の感覚では、「その言い方は『失礼』なんだけど……」という表現であっても、彼らにとっては「あたりまえ」であり、悪意はまったくない。
 でも、その背景を知らないと、どうしても「カチンとくる」ことになってしまいます。

 中国語には”自己人”という語とそれが有する概念がある。この語は、一般に「身内」と訳されることが多いが、直訳すれば「自分寄りの人・自分の側の人(people one one's side)」という意味であり、日本語の「身内」よりも意味が広い。社会心理学や経済学の用語などで使われる際には、英語で”acquaintance”と訳されることもあり、知人や友人の類までを含む。
 一方、日本語の「身内」は血縁関係に基づく親族を第一義とし、タテ社会的色彩の濃い組織の構成員や、ひとりの親分に属する子分たちを指すこともあるが、いずれも血縁関係になぞらえた意味を持つ。日本人社会における「身内」とは、縁で結ばれ、「長」を中心として結束を持つ集団のメンバーを指し、その集団は閉鎖的な集合であるイメージが強い。


(中略)


「あなたは私、私はあなた」という意識に基づけば、”自己人”に対して、お礼を言うという礼儀に則った行為を行うことは、元来中国人にとって非常に違和感を覚えることであり、そのことによってかえって相手との間に疎遠な感情が生じてしまうのである。自己同一化している相手であってみれば、言わば自分で自分に礼を言うような行為であり、中国人の感覚としては非常に妙なことに感じられる。この感覚は従来中国人の意識において、かなり普遍的なものであった。
 ところが、現在では、その意識にも少し変化が見られる。筆者が行ったアンケートでは「親や親戚に礼を言うか?」という質問を設けたが、親にも親戚にも礼を言うと回答した人は全体の55%に上った。さらに、親には言わないが、親戚には言うと答えた人を加えると、68%に達する。しかも、特別なことをしてもらった時というよりも、日常手助けをしてくれたり、普段の生活で何か品物を貰ったりした時にお礼を言うという回答が多くを占めた。お茶を入れてくれた時でも言うという人もいた。


 著者が親しい中国人と中国を旅した際に、日本ではちょっとしたことにもお礼の言葉を口にしていた人が、中国ではまったく「ありがとう」を言わなかった、という経験があるそうです。
 著者は、それに対して、相手のことをよく知っているだけに、「なぜ、この人は地元(中国)だと、お礼を言わなくなるのだろう?」と腹が立ったというよりは、疑問になったのだとか。
 中国人の感覚としては、むしろ、「ものすごく親しい人だからこそ、お礼は言わない。だって、自分自身にいちいちお礼は言わないよ」なんですね。
 ただし、そういう「中国人の考え方や言葉の使い方」も、外国の文化に接する機会が増えたこともあり、かなり変わってきているようです。

 ちなみに、お礼や”自己人”とは別のことであるが、90年代から現在に至るまで日本で出版された中国関係の書物において、「中国人は謝らない」といった類の記述がしばしば見られる。しかしながら、現在20代から40代の中国人に尋ねてみると、当人もそうだが、周りの人も含め日常の生活において過失や誤りが生じた場合は、普通に謝っているという認識が強いようである。そういった人たちに「中国人はなかなか謝らないですね」と言ってもピンと来ないであろう。現在では、電車やバスで足を踏んでしまったり体がぶつかったりした時などは、むしろ「謝らなかった」から揉め事になるということも多いそうである。


 中国でも、若い世代になると、急速に「グローバル・スタンダード化」している、ということのようなのです。
 日本人にとって、理解しやすい存在になってきている、とも言えます。

 昔聞いた話なので、現在ではそういうことは無いかもしれないが、かつて、日本語を話せる中国人の団体が観光バスで北海道旅行をした。目的の観光地に着くと、バスガイドが乗降口のところで客が降りてくるのを待ち、ひとりひとりに「お疲れ様でした」と声をかける。その時、降りてくる乗客全員が、それぞれガイドさんに向かって「いえ、疲れていません」「私はまだ大丈夫です」などと返事をしたそうである。
 日本人でいちいちガイドさんに自分の疲労の程度や体調を返答する人はいないだろう。ただ、無論これは単なる笑い話ではない。重要な点は、中国人旅行客は、バスガイドの「お疲れ様でした」という定型的表現を受けて、それが長時間バスに乗った自分自身に向けて言われた、実義をともなう発話であると理解したことである。ガイドは自分という特定の個人に向かって、「(長時間の乗車で)あなたは疲れましたね」と実質的なことばを投げかけてきたと理解したゆえに、銘々が「まだ疲れていません」などと自分の具体的な状況を返答したのである。これは、遠路はるばる列車に乗って自分の故郷に帰った時、駅に出迎えに来た親から「長旅でさぞ疲れただろう」と言われ、それに対して「いや、大丈夫だよ」と答えることと等しい行為である。
 講演会や公開のトーク番組などで、講師やゲストが司会者に呼ばれて登壇する。聴衆は拍手を送る。日本人であれば、ちょっと会釈え、人によっては拍手が鳴り止んだ時にお礼を言うこともあるだろう。アメリカ人ならニッコリ笑って軽く手を上げたりするだろう。また人によっては”Thank you!”と言うこともあるだろう。中国人は、そういう場面では聴衆に向かって自分も拍手をやり返すことが多い。国家元首や政府首脳といった人が、式典の際などに参列者の拍手や歓声に応え、自分も拍手を返すというのも、中国ではよく見る光景である。
 こういう現象も含め、中国人は相手からの働きかけを受け流すのではなく、応酬を五分五分にしたり、具体的に同様のかたちで返そうとする傾向が少なからず見受けられる。


 拍手をやり返すのは「変」だというのは、日本的な感覚であって、中国では、相手の働きかけに対して、「等価のやりとりにしたい、するべきだ」という文化があるのです。
 生真面目とか、融通がきかない、というのは、日本的な「察しの文化」からみての解釈であって、あちら側からすれば、「『疲れているかどうか』聞かれたのだから、こちらの状況を答えただけだよ」なのでしょう。

 こうして、ことばや文化の違いの一端でも知っていれば、むしろ、「違和感があるのは当たり前だ」というところからスタートできるはずです。

 テニスの大坂なおみ選手が、記者会見での「日本語で答えをお願いします」という質問に対して、「私はこの件に関して、日本語でうまく思いを伝えられる自信がないので」と、英語で答えたことが話題になりました。
 各国の首脳会談では、英語(や相手国の言語)が得意、という元首であっても、必ず通訳がついています。
 重い立場にいる人であるほど、ことばの重みと、外国語で自分の意思を伝えることの難しさを理解しているのです。

 常に通訳がついてくれる人はそんなにいないとしても、この本を読むと、中国にかぎらず、「自分、あるいは自分の国基準」だけで判断してはいけない、ということがよくわかります。
 けっこうアカデミックというか、そんなに読みやすい本ではないのですが、それは、「ちゃんと書かれているから」でもあるのですよね。


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