琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】聖書を語る ☆☆☆☆


内容紹介
共にキリスト教徒(プロテスタント)、同志社大学出身の二人が、聖書をベースに宗教・哲学・社会問題と縦横無尽に語りつくす異色の対談集。
第一章では、カルヴァン派の佐藤氏とバプテスト派の中村氏が、同じプロテスタントでありながら宗派によって異なる、他力本願と自力本願などの相違点、終末論など神学的な問題を語りあう。
第二章のテーマは、村上春樹の『1Q84』とサリンジャーを読む。そして、「新世紀エヴァンゲリオン」など、文学やサブカルに見られるキリスト教の影響を読み解く。
第三章は、3・11を契機に激変した日本社会を伝統宗教は救えるのかがテーマとなっている。不安定な世の中にはスピリチュアル的なものがはびこるが、本当の意味で自分と他者をつなぐことのできるものは何なのか。ライプニッツモナド論など引用しながら考察する。


実は、この本の「続編」にあたる『聖書を読む』のほうを先に読んでしまっていたのですが、最近、シリーズ第一弾のほうの文庫版が出たので、読んでみました。


この本の「プロローグ」で、佐藤優さんは、中村うさぎさんをこんなふうに語っておられます。
佐藤さんは出所後、自分のキリスト教的な輪郭を確認したい(佐藤さんはプロテスタントカルヴァン派なのだそうです)、という思いにかられ、そのときに強く惹きつけられたのが、中村うさぎさんの作品だったそうです。

 うさぎさんの作品を読むうちに、この人はキリスト教、それもピューリタニズム(清い生活を重視するプロテスタンティズムの一潮流)の影響を強く受けていると直観した(この直観は正しかった)。それは、うさぎさんが遍歴したブランド品漁り、美容整形、ホストクラブ通い、デリヘル嬢体験などのすべてが、ピューリタニズムの倫理で厳しく禁止されている事柄だからだ。人間は弱いので、浪費、飲酒、セックスを楽しむとそこから抜け出すことができなくなり、人間としての存在基盤が根底から崩されてしまう危険があるので、キリスト教がこれらの誘惑から人間を遠ざけようとする。しかし、うさぎさんはどのような経験をしても崩れない。私の見立てでは、さまざまな経験を通じて、うさぎさんは人間の内側と外側を区別する輪郭を確認しようとしているのだ。この輪郭において、人間は神に触れることができるのである。


 このおふたりは、同時期に同志社大学に在学されていたのです(中村さんは文学部で、佐藤さんは神学部。中村さんのほうが少し先輩です)。
 中村さんは「神学部の存在は知っていたけれど、神学部の学生との接点は全くなかった」と仰っていますけど。


 このふたりの対談を読んでいて感じるのは「同じキリスト教といっても、カトリックプロテスタント、あるいはそれぞれの中の分派によって、かなり教義や考え方が違うのだな」とうことでした。
 それでいて、やはり「キリスト教徒としての最低限の共通点」みたいなものもある。

佐藤優うさぎさんを見ていて思うのは、バプテスト派中村うさぎが洗礼を受けた宗派)というのは、自分の行動はすべて自己責任であるという傾向が強い。人生の選択は自分で行うんだという、自力に対する感覚がすごく強いんです。だから、行動に伴う結果について反省する。


中村うさぎそりゃ、そうでしょ! 自分のやったことは、自分の責任じゃん! 当たり前じゃないの、それ?


佐藤:私の属するカルヴァン派は、その対極にあるんですよ。人間は生まれる前から、天国にあるノートに、選ばれる人救われる人の名前が載っている。この世でどんなに努力しようと、その結果は変わらないんです。


 これを読んで、「じゃあ、カルヴァン派の人たちって、『どうせ結果は決まっているんだから』と、刹那主義、快楽主義にはしってしまうのでは……」と僕は思ったのです。
 ところが、佐藤さんは、こんなふうに説明してくれるのです。

佐藤:バプテスト派はどちらかというと、禅に近い要素がある。自力本願。それに対してカルヴァン派絶対他力だから、浄土真宗に近いわけ。他力本願っていうと適当な感じがするけれど、本当は、すべての努力をして全力をあげて訓練しても最後の勝ち負けは、これは運だ。どんなに努力を尽くしても、自力で自分が勝てると思うなという発想なんですね。


中村:ふーん、すでに勝ち負けが決まっているのに、なぜ努力する必要があるのかな。


佐藤:いや、そういう風には考えない、努力するのは人間として当たり前のことで、努力したから成功するというような発想自体を人間の思い上がりと考えます。
 カルヴァン派の特徴は、試練に対して強いことなんです。選ばれているに違いないから、目前の試練を乗り越えようとするわけですよ。競争にも強い。絶対にあきらめないから。欧米で資本主義がこんなに発達したのは、実はカルヴァン派プロテスタントの主流だからでもあるんです。


中村:努力で何とかしようとするのは人間の思い上がり、かぁ。
 面白いね。私の目には「自分は神に選ばれている」って信じているカルヴァン派は傲慢に見えるけど、カルヴァン派から見ると「人間は努力すれば報われる」と信じる私のほうが傲慢なんだね。

「結果を出すために努力する」人たちと、「努力するのが当たり前のことだと、ずっと信じている」人たち。
なるほどなあ、「他力本願」だったら、努力をしなくなるわけではないんですね。
逆に「勝算がある」という思いがあるから、あきらめないのか……


 この二人の場合、「敬虔なキリスト教徒」というわけでもなさそうなんですよ。
 キリスト教のさまざまな矛盾点についても、しっかり認識して、楽しそうに語り合っておられますし。

佐藤:イメージといえば、創世記に出てくる善悪を知る木の実は、みんな「リンゴ」だと思っているでしょう。でも、あれはおかしい。だって、当時リンゴというのはすごく珍しいくだもので、パレスチナ人はそんなもの知らなかったはずなんです。


中村:たしかに聖書に「リンゴ」とは書かれていない、「木の実」だけだよね。


佐藤:当時のパレスチナにリンゴはありません。


中村:じゃあ、勝手にリンゴだとイメージしてしまったのはヨーロッパ人なんだ。

 「盲信」せず、むしろ、おかしなところに茶々を入れて楽しんでいるようにすらみえる二人なのに、それぞれの人生観においては、やはり、宗教が影響しているんですよね。それがまた特定の信仰を持たない僕には不思議にも思われるのです。

 
 この本の第二章は「春樹とサリンジャーを読む」というテーマなのですが、『1Q84』に厳しい評価を下している中村うさぎさんは、『エヴァンゲリオン』劇場版(「旧劇場版」のほう)を、こんなふうに語っておられます。

中村:1995年から96年にかけて放送されたTVアニメでの結末に、庵野秀明監督自身が納得できなくて劇場用映画を作るんだけど、その劇場版に私、すごく感心したんですよ。
 エヴァキリスト教のモチーフを多用していることで知られてるけど、人間を完全な単体生物に進化させようと人類補完計画が生まれるんです。この計画は、すべての個を一つの全体に融合させてしまうという、まあ仏教でいうニルヴァーナ(涅槃)みたいな感じなの。ところが、14歳の主人公・碇シンジは、このきわめてアンチ・キリスト的な計画に「ノー」と言う。それで計画は挫折し、一度全体になりかけた人類は、またリセットされて個になってしまう。で、完結編の最後の場面で、シンジはアスカという女の子とともに目覚めるの、アダムとイヴみたいに。でも、アスカは目を覚ますなりシンジを見て「気持ち悪い」って言うんです。


佐藤:それ、どうして?


中村:シンジもアスカも、全体となることを拒否した以上、もう個であり続けなければいけない。そのとき科せられるのは、他者からの拒絶なんですね。そこからまた始めなきゃいかんというオチで終わるわけです。


佐藤:話が円環をなしているわけだ。


なるほど……なんとなくわかったようなつもりになっていましたが、この中村さんの話を読んで、けっこう「腑に落ちた」ような気がしました。
キリスト教」という素養があるからこそ、中村さんにとっては「理解しやすい話」だったのかもしれません。
「新劇場版」が、どんな終わりかたになるのか、気になるところではありますが。
ちなみに、この後も『エヴァンゲリオン』が話題になるのですが、佐藤優さんは、この後しっかり『エヴァ』を観たという話が出てきて、さすがに勉強熱心だなあ……と感心してしまいました。


この『エヴァンゲリオン』の結末と、『1Q84』の結末について、中村さんは、

 この(『エヴァンゲリオン』の)結末には、観た人はみんな殺伐とした気分になってしまったけど、それがあの時点で庵野監督の出した最終的結論だったとすれば、私はそれでいいと思うの。でも、そういう結論というか回答めいたものが村上春樹からは感じられず、みたいな。だってエヴァは戦って苦しんで悩んで考え抜いた末の「フリダシに戻る」という結論だけど、天吾と青豆は途中で戦いを放棄して自分たちのことに熱中しちゃうだけじゃん。

ああ、僕も『1Q84』については、同じようなことを感じたんですよね……
この対談のなかでは、サリンジャーの『フラニーとゾーイー』という作品のことも詳しく語られているのですが、近々、村上春樹さんによる新訳が出るようです。


キリスト教徒ではない、というか、特定の信教を持たない僕にとっては、「キリスト教を背景に持っている人たちは、こういう考え方をするものなのか」と、考えさせられるのと同時に、「宗教」というだけでATフィールドを発動するのではなく、もう少し学んでみるべきなのかな、とも思う対談でした。
すごく「意外な組み合わせ」だと思っていたのだけれども、読んでいるだけで、けっこう「キリスト教徒の基礎の基礎知識」くらいは、わかります。


フラニーとズーイ (新潮文庫)

フラニーとズーイ (新潮文庫)

聖書を読む

聖書を読む

アクセスカウンター